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倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」7/さいたま、鎌倉

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【東京・さいたま市・鎌倉市】平成30年5月

◆さいたま市(人口 約128万人)

私が持っている埼玉県のイメージと言えば、東京の隣で千葉県と競う県…と言うところでしょうか。神奈川県に負けじと、埼玉と千葉のプライドをかけて競い合っているように言われています。
 
さいたま市は、浦和市と大宮市が合併、そして真ん中に挟まった与野市があることは知っていました。両都市の間ではいわゆるライバル関係にあって、あまり仲も良くないとの情報もあったようです。
 
浦和市と大宮市はそれぞれ50万人近い人口があり、与野市は挟まれて肩身が狭かったような印象です。全国県庁所在地で唯一のひらがな表記の「さいたま市」、命名の苦労がしのばれます。
 
東京での同窓会に行った時、地図を見ていると「さいたま新都心」と言う名称が私の目に入って来ました。新都心と言うからには、東京副都心の新宿のような姿は無理としても、それに近い状況を期待しました。
 
上野駅から東北本線の電車で20分ほどかかったでしょうか、浦和を通過して大宮の一つ手前の駅で下車。30階建てくらいのビルも建っており、あの「埼玉アリーナ」を含む目新しいエリアではありました。
 
降り立った時には駅のすぐそばに見上げるビルが数棟あって、瞬間的には目を引いたのは間違いありません。ただ、「うーん、新都心ねえ…」それなりの規模ながら、「都心」の文字には少し違和感がありました。
 
ここは恐らく、新しく「さいたま市のイベントスペース」の役割を担っているのではないでしょうか。何しろ埼玉アリーナは全国屈指の収容人員を誇る屋内施設との認識があり、実際に各競技が行われています。
 
20分ほど見学、駅の反対側は線路をまたいでショッピングモールまでは渡り廊下のようになっています。その渡り廊下の途中から見ると2?3km先でしょうか、大宮方面の市街地を見る事が出来ました。
 
大宮駅周辺まで歩いて行きましたが、新都心エリアを離れて10分で普通の街並みになったのもご愛嬌。
30分も歩かないうちに大宮駅周辺の商店街へ、その周辺は昭和時代の名残のような風景が見受けられました。思ったより道幅も狭く、時々見かける高層マンションも昭和風旧市街地に紛れてしまって迫力が今一つです。

特に大宮駅前は「あら、埼玉の中心がここ?」と思わせるような、よく言えば風情があり、悪く言えば古臭い。丁度お昼時でもあったので、大宮駅前の狭いアーケード街の中にある大衆食堂のようなお店で昼食です。
新宿西口の「思い出横丁(闇市通り)」を彷彿とさせる佇まいで、場末の盛り場と見間違うようでした。

大宮駅はこの付近の交通の要衝のはずですが、駅前広場もあるような無いような…そして駅の外観も頼りない。まあ、せっかく来たついでに駅の中に入ってみるか…と何気なく駅舎の中へ入ってみました。
 
入ってみて驚かされたのが、外観からは想像もつかない商業スペースの広さがあり、駅構内の奥行も広い。新幹線の乗り場も各路線の乗り場も充実しており、外観の見かけとの違いは、ある意味だまされました。
 
後で分かりましたが、私が見た大宮駅は旧来の姿が残った東口だったようです。反対側の西口は再開発が進んだようで、近代的な街並らしく、西口に行かなかったのが失敗でした。
 
そして、大宮から東京へ帰る際には、当然ですが浦和駅に寄って駅周辺を見たいと思い途中下車です。ところが、これまた予想に反して駅舎の中が時代物…と言うか、天井も低く薄暗い感じで「本当に浦和駅?」
 
これまで数多くの駅を見てきましたが、一時代前の建物の造りのようで、意外中の意外な感じがしました。さいたま市の2大拠点の一つであると思われる浦和駅の中が、場末の古い駅のようだったとは驚きです。
 
駅を出て周辺を歩いてみましたが、これと言った都会的なイメージも無く、30分も歩かずに駅へ戻りました。合併前は埼玉県の県庁所在地だったはずなのに、冗談ではなく一歩遅れた感じだったのは寂しいですね。
 
もしかしたら「新都心」建築に気を取られて、旧地区の整備が後回しになった、と勘繰りたくもなります。乗降客の人数も、大宮駅に大きく差をつけられているようで、「さもありなん」と言ったところでしょうか。
 
もちろん、大宮も浦和も駅周辺を巡回しただけなので、肝心の中心地には行っていないと言えます。それでもやはり「古き良き時代」を彷彿とさせるという言葉は、埼玉県には似合わないと思いますね。
 
新都心と旧都心?のギャップがありすぎて、何とも言えない寂寞感がありました。こうなると埼玉県の他の都市も確認しないと、さいたま市のイメージで埼玉県を語る事ではいけません。
 
埼玉県にはさいたま市以外にも気になる都市が多く、東京に近いことで、各市の人口も多いですね。その面でも千葉県と面積も人口も似たり寄ったりで、ライバル県の様相を呈している所以でしょう。
 
さいたま市は、3つの地域が合併した4年後に、更に岩槻市が編入して拡大したことは知りませんでした。そこまで含めて、人口では政令指定都市として9番目の規模、約125万人になっていたのですね。
 
新旧混合のような「さいたま市」は最新鋭イメージの期待も空しく、良くも悪くも印象に残る街でした。
 
 
◆鎌倉市(人口 約17万人)
 
さて、翌日は川崎市に住んでいる友人ご夫妻と、我が女房殿も一緒に誘いあって鎌倉市へ出かけました。私が東京在住の頃に鎌倉へ数回は行きましたが、ほとんど忘れてしまっていたので、初めても同然でした。
 
友人ご夫妻とは横浜駅で待ち合わせ、JR横須賀線で約20分、鎌倉駅の一つ手前の北鎌倉駅で下車。鎌倉のお寺巡りをするには、北鎌倉駅から鎌倉駅までの数kmを歩くのが定番のようです。
 
但し、線路沿いを歩くには道幅も歩道も狭く、時には歩道から足を踏み出すくらい歩きにくいのです。せっかくのことなのに、車を気にしながら歩くのは子供連れの場合などは困ると思います。
 
ただ、旧来の鎌倉街道で「それも鎌倉のお寺巡りの特徴」と言われるかも知れませんが…。過去に訪れた時はそんなことは思わなかったので、やはり交通量とか歩き方とかが変わったのでしょうか。
 
さて、最初に立ち寄ったのは「円覚寺」、単に北鎌倉駅に一番近かったからですが、その名前はよく聞きます。登り口の石段を上った先には立派な山門がお出迎え、いかにも格式があるお寺の様相を呈していました。
 
本堂の回廊から見る庭園は、広さはあまりないものの、いかにも和風の趣があり見る人を迎えてくれます。私たちが見て感じるのですから、日本庭園が好きな人にとっては飽きずに見られるのではないでしょうか。
 
次に寄ったのは、円覚寺から7〜8分ほど歩いた「建長寺」の入口へ。過去に数回ほど行ったことはありましたが、よく覚えていないので一番寄ってみたかったお寺です。
 
建長寺は臨済宗・鎌倉五山の第一位、円覚寺が第二位となっていて、この周辺には臨済宗が多いですね。京都・妙心寺や南禅寺も臨済宗で、源氏の後に執権になった北条氏の影響力があったのでしょうか。