倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」4/熊本・長崎・福岡
令和元年現在、全国の都道府県の人口動態を見ると、関東圏以外では福岡市(福岡県)が微増しています。東京一極集中と言われる中で、関西圏・中京圏さえも漸減しているのに…です。
博多駅周辺からの大博多通り〜天神界隈の賑わいや、百道周辺の整備具合など、歩いて楽しい街並みです。特に「百道周辺」は、都会の喧騒感が無いのに都会の要素が沢山あって、最先端の街の佇まいがあります。
福岡市を取り囲む都市高速道路から見える市街地のビル群も、「ああ都会だな…」と思わせます。車で30分〜40分ほど走ると海沿いに出て、都会でありながら自然にも触れ合えるのが良いですね。
東京のようにデカ過ぎると訳が分からんようになりますが、人が人らしく住むには適当なサイズのようです。
歴史、文化、スポーツ、芸能、伝統行事、街の規模…いろいろな面で「博多っ子」にとっては誇りでしょう。
私にとっても、10歳の頃から福岡市に行くことは別の世界に行くかのような思いがありました。父親が当時の西鉄ライオンズの試合を見に連れて行ってくれた平和台球場の景色は、今でも覚えています。
その頃から市街地の中心だった天神地区を通る時は、高い建物?が建っていたイメージが残っています。果たして今の天神地区と比べてどうなのか…は分かりませんが、クリスタルキングの思いは理解出来ますね。
博多駅前の景色は、確かに超高層ビルはありませんが、間違いなく全国に通用する大規模な駅前と言えます。さらに福岡市周辺の市街地が途切れない自治体を「大福岡圏」と捉えると、約250万人の人口規模になります。
それは人口約195万人の札幌市を大きく凌ぎ、屈指の都会地としての存在になり得る規模だと言えます。市内を網羅する西鉄バスは、最近まで全国首位の保有台数を誇り、常に高い乗車率で絶え間なく運行中です。
ところで、福岡市の街は二通りの名称があって、商人の街=博多、武士の街=福岡となります。江戸時代に遡った頃から第二次大戦後に至るまで、「博多」と「福岡」の地名論争は避けて通れません。
戦後の話として、両方の地名に関わる話題は「住民(市議会)投票の結果、1票差で福岡に決まった」とあります。
博多の地名を残すことの折衷案として、「福岡市」の「博多駅」と言う全国でも珍しい駅の名前になりました。
私が高校卒業後に、長浜にある予備校の寮で1年間過ごしましたが、既に都会としてのイメージは十分でした。但し、その頃はまだ都市高速道路はなく、天神界隈の道路はかなりの混雑を見せていたのは覚えています。
約40年前(昭和46年)に福岡北九州高速道路公社が発足し、本格的な都市高速道路の建設に取り掛かったようです。昭和55年の開通後は距離を伸ばし、福岡市都市高速は特に環状的な路線が充実、九州自動車道との連結もスムーズです。
ところで、全国の特定の大都市には都市高速道路が通っているように思いますが、3大都市圏以外はほとんどありません。
そう言えば、札幌市や仙台市などの都会地でも見かけませんでした。
全国的に見てみると、首都圏・関西圏・名古屋圏・福岡北九州圏…に限られているのは意外です。広島市にはかろうじて一部分にあるようですが、特に北国では積雪の問題などの他に維持管理がかなり難題のようです。
そう考えると、都市高速道路があるために福岡市はより都会的に見えるのでしょう。
九州は地理的な立場で空港や海運などアジアに向けた窓口の役割があり、その中心は福岡市なのは間違いありません。毎年7〜8回ほど訪れていますが、いつ訪れても「適当に大きな街で、飽きが来ない」都市なのです。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」4/熊本・長崎・福岡 作家名:上野忠司