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倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」4/熊本・長崎・福岡

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【熊本市】平成28年1月、
 
◆熊本市(人口 約74万人)
 
九州では3番目に人口が多い熊本市。
熊本県と言えば「肥後もっこす」「おてもやん」で代表されるようにバンカラで明るいキャラを感じます。
 
熊本市は九州のほぼ中央に位置するので、戦前までは九州の中心としての存在感があったと思います。特に行政関連、文化教育関連、戦時中までは軍関連などの中心地として大方の人が納得しているでしょう。
 
しかし、現在は福岡市に取って代わられ、中心地としての影が薄くなっている時期が続いていました。街の拡大や人口増など福岡市の発展が目覚ましかったこともあり、九州人の目は福岡市に向いています。
 
それでも熊本市は政令指定都市に制定された平成23年から少し巻き返しているイメージはあります。やはり「政令指定都市のネームバリュー」は大したものです。
合併以前の人口は60万人足らずで、70万人を目指して周辺の町との合併を進めたと聞いています。政令指定都市制定の目安は人口70万人なので、何とか人口を増やすことが必要だったのでしょう。
 
さて、私は平成28年1月2日、まさにお正月に熊本市まで出かけました。あの熊本地震が起きる2か月半ほど前です。
 
平成23年に九州新幹線が全線開通して、鹿児島本線に在来線特急がなく中距離が逆に不便ですね。「どうぞ新幹線をご利用ください。」とのメッセージなのでしょう。
料金・約2.2倍と、所要時間・約3分の1を比較すれば、新幹線利用の方が利口なようですが判断は微妙です。
その時は結局、新幹線利用だと所要時間25分のところを普通電車で約1時間30分かけて熊本市へ…。
 
熊本市へは過去に7〜8回は行ったことがあるものの、市街地を歩いても方向がよく分からないレベルです。どこの都市に行くにも、普段は駅周辺の街並みを見て歩きますが、熊本市では駅前から路面電車で中心部へ。
 
12〜13分ほど乗車して、「ここで降りようかな…」と思った電停で下車。そこは交通センターの近くで、熊本市の交通センターは広い公園を利用したような形態で、全国的にも珍しい。
 
交通センター周辺からほど近くに、幅広いアーケードの商店街があり、そこが「下通り商店街」でした。「上通り」と「下通り」があるのは知っていましたが、位置関係がよく分からないままに適当に歩きました。
 
熊本市街地は政令指定都市の割には街の全体やビルなどの建物がやや迫力不足のイメージを受けます。しかし広い道路には通行車両も多く、アーケード街などの活気は九州の中心都市としてのプライドを感じます。
 
ランドマークになるような目立つ建物は無いようですが、高層ビルが少ないのは熊本城に遠慮しているかも?熊本城そのものがランドマークになっているので、高い建物などはあまり必要ないのでしょうかね。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
下通りのアーケードを歩いて行くうちに、路面電車が走る通りに出た付近が、「上通り商店街」でした。その電車通りから左手に熊本城が見えたので、昼食後に行ってみることにしました。
 
日本三名城の一つと言われる熊本城、そして熊本城と言えば加藤清正。
熊本では、清正公=親しみを込めて「せいしょこさん」と呼ばれ、敷地内には「加藤神社」があります。
 
熊本城が建つ小高い茶臼山から見る市街地は、いかにも「九州の中央ですよ。」と言わんばかりです。城の広い敷地を散策すると、いかにも落ち着いた雰囲気で市街地の中にあることを忘れさせますね。
 
資料によると、現在の場所には室町時代から「千葉城」、「隈本城」と名前を変えて歴史を刻んでいます。九州の諸大名が絡んでいるのも、地勢的にも九州の真ん中で、時代に翻弄される運命だったかも知れません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
 
西南戦争の際、熊本城では司令官、谷干城のもとに西郷軍の攻撃に耐えてその後の進攻を許さなかった。熊本城の城壁は、特に「武者返し」の造りが素晴らしく、西郷軍は1人として城内に進入出来ていません。
西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか、清正公に負けたとでごわす。」と語ったとか。
 
熊本城に隣接した「桜の馬場・城彩苑」は広くはなかったものの、城下の雰囲気が出ていて楽しめました。ミニテーマパークのようで、単にお城見学ばかりでない「仕掛け」も必要なのが分かります。