倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」2/広島、呉
時々高層ビルが目に入る大きな通りには車両等の通行量も多く、賑やかなイメージです。新しい街並みと感じられるのは、戦後復興の象徴として再建された広島市だからでしょうか。
30分ほど歩くうちに道路標識に「←平和公園」と書いてある案内板が所々に見えてきました。商業施設やホテルなどが立ち並ぶ中に、原爆ドームの上部が見えた時は「広島に来た!」と思いました。
すぐそばまで行きましたが、原爆ドームは思いのほか小さい建物でした。
TVなどの映像で見る原爆ドームは結構大きいと感じていただけに、意外な感じがしました。
もちろん、目的は建物の大小を見るのではなく、その歴史的な価値に思いを馳せることです。法隆寺や姫路城などに続き、京都市街地などと同時期に世界文化遺産に登録され、その認知度は高い。
米国は第二次大戦を終わらせる決定的手段として原爆投下を敢行した…と今でも正当化しています。米国内での世評も同様に、投下の正当化を支持する意見が多いのも聞いています。
一方、第二次大戦の終戦間際になってロシアが協定を破って瀕死の日本に進攻して来ました。トルーマンは、ロシアへの牽制として自国の武力の誇示のために投下を実行した…との憶測もあります。
もしそうだとするなら、被爆地にとってはとんでもないとばっちりです。原爆を発明したアインシュタインはものすごく後悔したらしいのに、後の祭りです。
資料では日清戦争以降に広島城に日本軍の西日本参謀本部(大本営)が置かれていました。米軍とすれば恰好の標的だったかも知れません。
当時、日本軍の大本営(軍の中枢機関)は皇居と広島城の2ヶ所にあったのですね。「大本営発表」と言うと「戦況を偽った虚偽の塊」、嘘の情報発信の元凶だったイメージがすぐ出てきます。
原爆投下の数日前にも米軍機から「新型兵器を使用するので、市民は避難をするように」と警告のビラが…。それにも拘らず措置を取らなかった日本軍部の責任は大き過ぎます。
戦後生まれで広島には関係がない私ですが、何故か「エノラ・ゲイ」と言う名前はすぐに出てきます。当時の世界最強、米軍のB−29爆撃機、原爆投下用に改造したB−29がアメリカには15機もあったそうです。
広島は長崎と並び、「戦争と平和」「核問題」「昭和時代の日本の過ち」の話題の中心にならざるを得ない街です。
そしてこれからも今の平和な日本の国づくりを成し遂げたシンボルとして繁栄して欲しいものです。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」2/広島、呉 作家名:上野忠司