倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」2/広島、呉
【広島市・呉市】平成27年7月
◆広島市(人口 約120万人)
今回、広島市を50数年ぶりに訪れたのは、ほとんど広島市街地の記憶が残っていなかったからです。
関西以西では福岡市に次ぐ大きな街、中国地方の中心としてどれくらいの存在感があるのかの確認です。
佐賀駅から博多駅まで在来線特急で約40分、10〜20分ほどの待ち合わせで新幹線に乗車出来ます。博多駅から広島駅まで約1時間、つまり佐賀駅から広島駅まで合計2時間ほどなので、それは便利です。
降り立ってすぐに目に入ってきたのは駅前広場で、広さが目立ちました。
駅前広場の横に30階建てくらいの高層ビルが建設中で、着いてすぐに見上げてしまいました。
その広い広場の向こうには路面電車やバス乗り場がいくつもあります。いかにも乗ってください…と言わんばかりの台数の往来で活況を呈し、賑やかさを醸し出していました。
ただ、人口120万人を擁する都市の駅前ともなると、全体的にもう少し迫力があっても良かった…。私が描く都会の駅前は、目の前に大きなビルが立ち並び、街を象徴するモニュメントなどがあればなお良い。
そうは言っても広島市には特別な事情があるようです。
広島駅から200mも歩かないうちに大きな川が市街地を横切っており、さすがに中洲の中に出来た街です。その川が象徴するように、駅前に多くのビルを建てるためのスペースがないのでしょう。
そして、宮島口に向かうほんの一部の路線を除いて、広島市にはちゃんとした地下鉄がありません。幅広い河川が5本も6本も市街地を流れているので、地下鉄工事そのものが不可能では…と聞いていました。
一方で、巷で言われる「河川が多く地盤が悪く工事が出来ない。」と言うのは誤りとの話もあるようです。他の大都市は、交通の邪魔になると言う理由で路面電車を排除して来ました。
原爆で壊滅した街に光明がさしたのは、「被爆直後に動き出した電車」で、それが市民に希望を与えた…。そんな路面電車を排除するような地下鉄建設に反対する市民も多く、ご破算になったとの話もあるようです。
理由はどうであれ、都会に不可欠と思われる地下鉄がないのは事実です。
その分、路面電車やバスなどの交通手段が発達しているのでしょう。
さて、広島駅に着いた日、慣れない街で方向が分からないままに、しばらく中心街をウロウロ。本当に広い川の流れが多い…と言う印象を持ちながら、予約していたホテルに入りました。
着いてみたらホテルも川のそばで、部屋の窓から見えた川の両岸には遊歩道などが整備されています。水辺の心地よいイメージから感じられる清潔感があり、「広島市は川の街・水の街」との印象が残りました。
そのホテルから15分ほど歩いたら、大型商業施設などがある繁華街に出ました。広島と言えばお好み焼きとカキ、特に決めていた店もなく室内の様子が分かる店に入ることにしました。
入った店では、カウンター席の目の前で店のスタッフがお好み焼きを鉄板で焼いてくれました。お好み焼き1人前を頼んだついでにカキフライも注文。
しかしお好み焼きが思ったよりも大きく、私にとって多めに頼んでしまった…と、ちょっと後悔。ゆっくり時間をかければ良いかと思っているところへ、欧米出身らしき数名の外国人青年が来店。
彼らが座ると席がいっぱいになってしまい、私も1つ席を譲るくらい盛況でした。彼らにとって目の前で焼いてくれるサービスが珍しいようで、お好み焼きを楽しんでいたようです。
午後9時になろうとする時刻に、店の人に「そろそろ人出も少なくなりますかね?」と尋ねました。即座に「いやあ、今日はカープの試合日なんで、終わったらまた一気に客が増えますよ。」との返事。
なるほど「広島はカープの街」でもあるんだと実感。福岡でのホークスファンと同様、いやそれ以上に熱烈なカープファンがいるんでしょうね。
私もカープの試合を見たかったのですが、1週間前にネットで検索した予約サイトでは満杯でした。広島にはサッカーのサンフレッチェもあるけど、そちらの話題は出なかったですね。
◆呉市(人口 約22万人/平成31年)
翌日は広島駅から朝8時頃発の電車で30分ほどかけて呉駅へ。
今回は戦艦大和の大きな模型があると聞いていた「大和ミュージアム」に行くのが目的でした。
人口は約23万人とのことで楽しみでしたが、駅前は予想した賑わいは感じませんでした。人口の割にはやや寂しく、広島市が活況を呈していたので、余計に寂しく感じたかも知れません。
呉駅から20分ほど海(港)側に歩いて「大和ミュージアム」へ。
建物から道路をはさんだ場所に実物大?の潜水艦らしきモニュメントが見えました。
もしかしたらモニュメントではなく本物の潜水艦だったかも知れません。
しかし、ずんぐりむっくりの姿だったので、潜水艦のイメージとはちょっと違ったかな。
大和ミュージアムでは戦艦大和の10分の1と案内してある模型を見たかったのです。入館して早速その戦艦大和の大きな模型が目に入ってきた時は、車とはまた違う造形美を感じました。
その模型以外にも実物大のゼロ戦や潜航艇の回天など、戦時中当時の武器を数十点展示してあります。戦争当時を表す施設と言えば、普通はどうしても暗く厳しいイメージが思い浮かびます。
しかし大和ミュージアムは新しく明るい施設で、しかも周辺は整備された海沿いの芝生です。鹿児島県の「知覧」のような悲壮感はほとんど感じませんでした。
呉の造船所で製造された戦艦大和は、当時の世界最大の戦艦で日本海軍の誇りであったことでしょう。しかも間もなく同型艦の「武蔵」も佐世保で製造されています。
昭和初期〜日中戦争勃発の頃にかけて大型戦艦を製造したのは、その頃は当然だったかも知れません。しかし間もなく、第二次大戦の頃には航空機が戦闘アイテムの中心となり、空母の時代になっていきました。
開戦後、わずか半年後にミッドウエー海戦での大敗を喫し、後退を余儀なくされています。ミッドウエーでは日本海軍の空母を一度に4隻も失い、それがターニングポイントになったようです。
大戦中の戦闘機と言えば昭和15〜16年頃から日本のエースとして世界一の性能を持つと言われたゼロ戦。
そんなゼロ戦も、終戦間際の頃にはアメリカのP−51ムスタングには太刀打ちできずに敗れ去りました。
その頃のアメリカでは娯楽でも「オズの魔法使い」が世界初のカラー映画として上映されていたのです。竹槍の訓練をしていたと言われる旧態依然とした日本が、第二次大戦に勝てる要素はなかった。
沈没した戦艦大和が発見され、残骸の映像がミュージアムの視聴覚室モニターに映し出されていました。フジツボや海藻に覆われた戦艦大和の船体には哀愁が漂い、船首の菊の御紋がいかにも痛々しかった。
呉の街に長居はせずに、お昼頃の電車に乗り、呉駅からもう一度広島駅へ向かいました。
◆再び広島市
路面電車が走る広島駅前の広い道路を歩き、途中で右折して平和公園を目指しました。広島市に来て、やはり原爆ドームを訪れることを逃すことは出来ません。
◆広島市(人口 約120万人)
今回、広島市を50数年ぶりに訪れたのは、ほとんど広島市街地の記憶が残っていなかったからです。
関西以西では福岡市に次ぐ大きな街、中国地方の中心としてどれくらいの存在感があるのかの確認です。
佐賀駅から博多駅まで在来線特急で約40分、10〜20分ほどの待ち合わせで新幹線に乗車出来ます。博多駅から広島駅まで約1時間、つまり佐賀駅から広島駅まで合計2時間ほどなので、それは便利です。
降り立ってすぐに目に入ってきたのは駅前広場で、広さが目立ちました。
駅前広場の横に30階建てくらいの高層ビルが建設中で、着いてすぐに見上げてしまいました。
その広い広場の向こうには路面電車やバス乗り場がいくつもあります。いかにも乗ってください…と言わんばかりの台数の往来で活況を呈し、賑やかさを醸し出していました。
ただ、人口120万人を擁する都市の駅前ともなると、全体的にもう少し迫力があっても良かった…。私が描く都会の駅前は、目の前に大きなビルが立ち並び、街を象徴するモニュメントなどがあればなお良い。
そうは言っても広島市には特別な事情があるようです。
広島駅から200mも歩かないうちに大きな川が市街地を横切っており、さすがに中洲の中に出来た街です。その川が象徴するように、駅前に多くのビルを建てるためのスペースがないのでしょう。
そして、宮島口に向かうほんの一部の路線を除いて、広島市にはちゃんとした地下鉄がありません。幅広い河川が5本も6本も市街地を流れているので、地下鉄工事そのものが不可能では…と聞いていました。
一方で、巷で言われる「河川が多く地盤が悪く工事が出来ない。」と言うのは誤りとの話もあるようです。他の大都市は、交通の邪魔になると言う理由で路面電車を排除して来ました。
原爆で壊滅した街に光明がさしたのは、「被爆直後に動き出した電車」で、それが市民に希望を与えた…。そんな路面電車を排除するような地下鉄建設に反対する市民も多く、ご破算になったとの話もあるようです。
理由はどうであれ、都会に不可欠と思われる地下鉄がないのは事実です。
その分、路面電車やバスなどの交通手段が発達しているのでしょう。
さて、広島駅に着いた日、慣れない街で方向が分からないままに、しばらく中心街をウロウロ。本当に広い川の流れが多い…と言う印象を持ちながら、予約していたホテルに入りました。
着いてみたらホテルも川のそばで、部屋の窓から見えた川の両岸には遊歩道などが整備されています。水辺の心地よいイメージから感じられる清潔感があり、「広島市は川の街・水の街」との印象が残りました。
そのホテルから15分ほど歩いたら、大型商業施設などがある繁華街に出ました。広島と言えばお好み焼きとカキ、特に決めていた店もなく室内の様子が分かる店に入ることにしました。
入った店では、カウンター席の目の前で店のスタッフがお好み焼きを鉄板で焼いてくれました。お好み焼き1人前を頼んだついでにカキフライも注文。
しかしお好み焼きが思ったよりも大きく、私にとって多めに頼んでしまった…と、ちょっと後悔。ゆっくり時間をかければ良いかと思っているところへ、欧米出身らしき数名の外国人青年が来店。
彼らが座ると席がいっぱいになってしまい、私も1つ席を譲るくらい盛況でした。彼らにとって目の前で焼いてくれるサービスが珍しいようで、お好み焼きを楽しんでいたようです。
午後9時になろうとする時刻に、店の人に「そろそろ人出も少なくなりますかね?」と尋ねました。即座に「いやあ、今日はカープの試合日なんで、終わったらまた一気に客が増えますよ。」との返事。
なるほど「広島はカープの街」でもあるんだと実感。福岡でのホークスファンと同様、いやそれ以上に熱烈なカープファンがいるんでしょうね。
私もカープの試合を見たかったのですが、1週間前にネットで検索した予約サイトでは満杯でした。広島にはサッカーのサンフレッチェもあるけど、そちらの話題は出なかったですね。
◆呉市(人口 約22万人/平成31年)
翌日は広島駅から朝8時頃発の電車で30分ほどかけて呉駅へ。
今回は戦艦大和の大きな模型があると聞いていた「大和ミュージアム」に行くのが目的でした。
人口は約23万人とのことで楽しみでしたが、駅前は予想した賑わいは感じませんでした。人口の割にはやや寂しく、広島市が活況を呈していたので、余計に寂しく感じたかも知れません。
呉駅から20分ほど海(港)側に歩いて「大和ミュージアム」へ。
建物から道路をはさんだ場所に実物大?の潜水艦らしきモニュメントが見えました。
もしかしたらモニュメントではなく本物の潜水艦だったかも知れません。
しかし、ずんぐりむっくりの姿だったので、潜水艦のイメージとはちょっと違ったかな。
大和ミュージアムでは戦艦大和の10分の1と案内してある模型を見たかったのです。入館して早速その戦艦大和の大きな模型が目に入ってきた時は、車とはまた違う造形美を感じました。
その模型以外にも実物大のゼロ戦や潜航艇の回天など、戦時中当時の武器を数十点展示してあります。戦争当時を表す施設と言えば、普通はどうしても暗く厳しいイメージが思い浮かびます。
しかし大和ミュージアムは新しく明るい施設で、しかも周辺は整備された海沿いの芝生です。鹿児島県の「知覧」のような悲壮感はほとんど感じませんでした。
呉の造船所で製造された戦艦大和は、当時の世界最大の戦艦で日本海軍の誇りであったことでしょう。しかも間もなく同型艦の「武蔵」も佐世保で製造されています。
昭和初期〜日中戦争勃発の頃にかけて大型戦艦を製造したのは、その頃は当然だったかも知れません。しかし間もなく、第二次大戦の頃には航空機が戦闘アイテムの中心となり、空母の時代になっていきました。
開戦後、わずか半年後にミッドウエー海戦での大敗を喫し、後退を余儀なくされています。ミッドウエーでは日本海軍の空母を一度に4隻も失い、それがターニングポイントになったようです。
大戦中の戦闘機と言えば昭和15〜16年頃から日本のエースとして世界一の性能を持つと言われたゼロ戦。
そんなゼロ戦も、終戦間際の頃にはアメリカのP−51ムスタングには太刀打ちできずに敗れ去りました。
その頃のアメリカでは娯楽でも「オズの魔法使い」が世界初のカラー映画として上映されていたのです。竹槍の訓練をしていたと言われる旧態依然とした日本が、第二次大戦に勝てる要素はなかった。
沈没した戦艦大和が発見され、残骸の映像がミュージアムの視聴覚室モニターに映し出されていました。フジツボや海藻に覆われた戦艦大和の船体には哀愁が漂い、船首の菊の御紋がいかにも痛々しかった。
呉の街に長居はせずに、お昼頃の電車に乗り、呉駅からもう一度広島駅へ向かいました。
◆再び広島市
路面電車が走る広島駅前の広い道路を歩き、途中で右折して平和公園を目指しました。広島市に来て、やはり原爆ドームを訪れることを逃すことは出来ません。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」2/広島、呉 作家名:上野忠司