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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Slacker

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 行き場をなくして、わたしたちは喫茶店に寄った。紅茶を飲んでいると、丸めた新聞でリズムを刻むように入ってきた常連のおじさんが、マスターに『飛び込みだわ』と言った。香山さんは、スマートフォンでSNSの投稿を検索して、目を丸くした。
「あった。やっぱ人身みたい」
 おじさんが会話を共有するように、マスターに言った。
「まったく、残された方の身にもなれってんだよな」
 しばらくして常連のおじさんが会計を済ませて出て行き、わたしがケーキを半分ほど食べたところで、香山さんが言った。
「死ぬときまで、他の人のことを優先して考えなきゃいけないのかな。それって最悪じゃない?」
 わたしはうなずいた。香山さんは賢い。ただのパリピじゃないって、会ったときからそう思っていた。仕事内容で評価されるべきなのは、本当はわたしじゃない。香山さんは、見た目で損をしている。そしてどこか、麻子に似ている。
 振替案内に沿って帰りの足にありついたわたしは、混んだ車内で香山さんの言葉を思い出していた。それは麻子の言葉に変わり、記憶の通りに同じ場所から聞こえてきた。一度は『破壊』されそうになった布団。顔だけ出した麻子は、隣で横になるわたしに向かって言った。
『もう、いいよね。気にしないよね?』
 わたしは、狂った空気に支配されていただけなのだろうか。それとも、根っから北見家の人間なのだろうか。その答えは、今でも出ていない。ただ、当時十五歳だったわたしには、麻子の言いたいことがはっきりと分かったのだ。
『麻子が、その方がいいなら』
 しばらく沈黙が流れて、麻子はうなずいた。わたしは言った。
『でも、麻子がいなかったら、わたしも持たないかも』
 自分の事情ばかり、ぺらぺらと。よく饒舌に、思いついたものだ。そんなわたしに比べると、中学校に上がる前の麻子は、自分で命を絶つことを決意してなお、わたしの『その後』を気にするぐらいに大人だった。三年長く生きていながら、何の希望も提示できなかった当時のわたしは、ずいぶんと情けない存在だったと思う。麻子は全ての悩みから解き放たれたように、それでも少しの罪悪感は表情に残したまま、言った。
『お願い、身代わりになって』
 とてつもない重石を、お腹の上に落とされたように感じた。それでも、麻子のことを思うなら、受け入れなければいけないと耐えた。次の日、学校から帰ってくると、麻子は風呂場で首を吊って死んでいた。そうやって、後から来た麻子は、先にこの世から出て行った。
 今になって、思うこと。果たしてわたしは、取り残されたのだろうか。
 家に帰ると、牧人はテレビを見ていなかった。ほのかな料理の匂いがして、本当は薄く延ばして卵焼きにするつもりだったに違いない炒り卵と、恐竜のひと口サイズに切られた野菜が、お皿の上に盛り付けられていた。
「事故、大変だったな。もう食べた?」
「食べてないよ、ありがと。作ってくれたんだ」
 牧人は、料理を勉強している。一緒に住み始めてからは、わたしが自分の分を三倍の量作るだけだったけど、いつしかその役割は交代制になった。牧人の料理は荒っぽいけど、決して下手じゃない。でも今日は、お皿の上に乗った料理が、どうしても直視できない。身代わりになったはずの自分に訪れなかった運命。最愛の妹にすら三年先を示せなかった十五歳のわたしは、もう二十一歳になる。二人で、『人間なんて、いるだけ最悪だよ』と言い合っていた。あれは愚痴ではなくて、約束であり、取り決めだった。自分の意思で人生から出て行くことは、一度だけ切れる最強のカードだった。
 食べていると、涙が卵の上に落ちて、牧人の顔が少しだけ険しくなった。
「会社で、何かあったのか?」
 わたしは、首を横に振った。そうじゃないんだ。何もなさすぎて、わたしは約束を破ってしまった気になってるんだと思う。あの姉妹の片方だけが生き延びて、あれだけ嫌いだった人間に囲まれている。
 数日前に分かったことだけれど、今はお腹の中にも。
 牧人が人間らしい感情を見せたのは、あれが初めてだった。翌朝も、わたしが崇高な存在に生まれ変わったようにじっと見つめて、仕事で家から出るのを嫌がっていた。牧人の頭の中には、ちゃんと『数年後』があったのだ。それが、ぴったりとレールにはまった。いつか、自分の話しかしない男になろうとしていて、その道が急に開けたのかもしれない。空っぽの本棚に置かれた測量士補の参考書は、昨日届いたばかり。
 ここ数日、牧人はわたしが『静かに眠っている』と言う。
 麻子がずっと住み続ける、わたしの頭の中。ただ身代わりになることを引き受ける形でしか、妹を救えなかった。だから、頭の中の居場所ぐらいは、いくらでも提供する。それでも、ここ数日は、その取り決めを根底から破壊するようなことを、考えてしまう。
 例えば、もし生きていたら、十八歳だとか。
 その、酷い裏切りの言葉が頭に浮かんだ夜は、罰を受けるように、かつて隣に眠っていた妹のことを、ひと晩だけ思い出さなくなる。
作品名:Slacker 作家名:オオサカタロウ