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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Slacker

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 隣でグラスが傾いて、今まで顔を出していた氷が入れ違いに沈んでいった。
「北見さんってさ、死ぬこと怖がってないよね。おれはビビりだから、余計かっこよく見えるよ」
 グラスを持つ手の後ろで、中身と同じ色に照らされている顔。四歳先輩の、高里さん。まだ二十六歳で、会社では若手に分類される。短大卒のわたしはどこに分類されるのか訊いたら、それは『超若手』らしい。
「そんな風に見えますか? ちゃんと歩道、歩いてますよ」
「車道を歩くってのは、死にたい人でしょ。なんだろうね、死にたいわけじゃなくて。未練がないってか、歩道に車が突っ込んできても、気にしないって感じがする」
 去年、短大卒で入った事務員は、わたしと香山さんの二人。休憩室の会話を盗み聞きしていると、わたしは『北見京子』というお堅い名前の通り真面目でガードが固く、香山さんは見た目も派手だし、下の名前が『まりな』だから、パリピという印象を与えるらしい。その会話の輪の中に、高里さんもいたと思う。
「お酒飲めないなら、言ってくれたら違う店にしたのに」
 高里さんはウィスキーを飲み干すと、苦笑いを浮かべた。わたしのグラスには、氷はない。日が暮れたばかりで外は暑いけど、夏場でも温かい飲み物を飲むのは、胃に入り込む電流のような冷たさに体が耐えられない気がするから。どんな環境で、どんな場所であっても、時間が過ぎるのは一緒だ。同じ一秒を、期待が縮めて、絶望が引き延ばす。心に波が立っていなければ、一秒は常に一秒のまま。そんなことを今真顔で言ったら、どんな反応が返ってくるだろう。
「一年経ったけど、どう? 敵味方に分かれてきたんじゃない?」
 高里さんについて、ひとつ気に入っていること。それは、単刀直入な性格。わたしは首を傾げた。
「この人は、優しくしてくれないなとか。そういうのは分かってきました」
 その答えは特に新しい言葉を生み出すこともなく、お酒の泡が消えるみたいにどこかへ行ってしまった。高里さんは、自分のことをすらすらと話して、わたしのジンジャーエールをおごってくれた。八時を回ったばかりの駅はまだ明るくて、高里さんは笑った。
「八時で終わりって、なんかペース狂うよな」
「今までは、もっと遅くまで飲んでたんですか?」
「まあ……、そうだね」
 高里さんは濁すような笑顔で言った。お酒を飲むことに関して、注意する誰かがいるらしい。彼女がいるかとか、そんな話にはならなかった。香山さんなら答えを知っていそうだけど、わたしがその事実を確認したということの方が、早く広まりそうだ。
 駅で高里さんを見送り、わたしは自分の家に帰った。オートロック、普通の間取り、日当たり良好。怪しげな盛り塩も、変なお札もない。至って普通の部屋。居間には、置物のように動かない彼氏の牧人がいて、わたしが靴を並べ終えるとようやくこちらを向いた。
「おかえり」
 高里さんは、わたしを『死ぬことを怖がっていない』と評した。牧人を見たらなんて言うだろう。『上には上がいる』とか? 牧人とわたしの共通点は、崩壊した家庭に育ったということ。牧人の家族は新興宗教の一員で、世界が終わるということを熱心に信じていた。そうならないためにお金を寄付し続ける家族。その後ろ姿を見ていた牧人は、金くれないと世界を終わらせるとか、どんな神様だよと思ったらしい。そんな牧人は、わたしから見ても、同い年とは思えないぐらいに落ち着いている。
「サシ飲み、どうだった?」
「お店が八時で終わるのが、不満だったみたい」
「それは、脈ありだな。とにかく、いろんな人間と仲良くなっとかないとな」
 牧人は笑った。わたしが隣に座ると、言った。
「出世できそうなやつか?」
「いや、分かんないな。高里さん、同期が多いんだよね」
 わたしはそう言って、テレビのボリュームを少しだけ上げた。牧人は、短大時代からの付き合い。今の会社に入るときは、ずいぶんと心配された。わたしが築く人間関係の危なっかしさを、極端に恐れている。牧人のアドバイスは『変な奴の味方にはつくなよ』。その通りだと思う。
「自分の話をするのが、好きな人だな。聞き役って感じじゃなかった」
「そういう奴の方が、出世すると思うよ」
 牧人は去年、福吉測量という測量業の会社に入った。わたしからすれば、無口な牧人がアクの強い先輩たちと一緒にあちこち飛び回る仕事をどうやってこなしているのか、想像もつかない。苗字が向山だから、『ムッキー』と呼ばれていることは知っている。実際、明後日から出張だから、何日かはビジネスホテル暮らしになるだろう。
「牧人も、仕事中は自分の話ばかりするの?」
「おれはしないよ」
「じゃあ、出世しないじゃん」
 わたしが笑うと、牧人も笑った。
「下が入ってくれば、おれも自分の話を聞かせるようになるだろうね。いや、ないか」
「話せることが少ないもんね」
 わたしたちの共通点は、育ってきた過程そのもの。それは、座布団のように尻に敷かれた過去の記憶だ。多少足が痺れたぐらいで腰を上げて、誰かに見られるようなことは、あってほしくない。
 わたし達が過ごす夜中は、過酷だ。隣の部屋で眠る牧人はときどきうなされて起きるし、わたしも変な夢ばかり見る。お酒を受け入れる肝臓さえあれば、潰れるまで飲めるのに。役割を与えられたものが死ぬ瞬間には、いつだって怖さと憧れがあった。ピカピカのラッピングに包まれた人形は、箱から出されて、自分を購入した家の一部になる。体のあちこちに少しずつ埃が浮き、持ち主の少女は綺麗にしようと最大限の注意を払うけれど、何回目かで顔の塗装が一緒に剥がれてしまって、少しだけ興味を失う。そしてある日、親の怒りを買った少女に向けて、その人形が投げつけられてぶつかり、ばらばらに壊れる。北見家に購入された『物』は、決まって短命だった。高校を卒業するのと同時に家を出たから、もう付き合いはないけれど、わたしは、そういう場所で育った。
 妹の麻子は、わたしが三歳のときに、北見家に放り込まれた生き物だった。正確には、母親が産み落としたのだけれど。麻子の記憶は、自分が六歳になったぐらいから残っている。その頃は、投げつけられた人形が頭にぶつかってばらばらになったとき、何に対して涙が出るのか、自分でもよく分かっていなかった。今は分かる。それは、自分にぶつけられて壊れたものに対する涙だった。わたしより後に来たものが、先に苦しみのない世界に行ってしまった。
 自分は取り残された。その言葉が頭に鮮やかに浮かんで、わたしは目を開けた。いつも、すぐには眠れない。わたしは冷蔵庫の前でお茶を飲んだ。牧人はすでに眠っている。本人が起きているときは、あまり思い出さないようにしていること。
作品名:Slacker 作家名:オオサカタロウ