ドラクエユアストーリーを肯定したい
このように、現実世界で生きている我々人間を、ドラゴンクエストというファンタジー世界にいわば「異世界転移」させて、我々自身の経験としてその世界で暮らしてもらう事が、そもそものドラクエのゲームコンセプトなのである。
……こんな面倒な話は抜きにしても。
確かに主人公の名前を自分とは別の名前にしてしまえば、FFの様に架空の人間を神視点で辿るようなプレイの仕方は可能である。だが、それも含めてドラクエはプレイヤーに向かって「キミはこの世界をどう楽しむ!?」と自由度の高い問いを投げかけているのだ。
だからこそ、ゲーム内の行動には常に思い出ができる。モンスターに遭わない様に願いながら必死で街に帰ったり、なんとか貯めたお金で武器を買ったり、FFやテイルズでは濃厚なストーリーによって補うその旅路は、しかしドラクエでは自然に我々の体験という形で補完されていく。
ドラクエはまさしく、現実と空想をリンクさせるゲームであると私は思うのだ。オンラインゲームの様に現実世界の人間関係をそのまま仮想世界に持ち込む形式とは違う、「オフラインゲームは現実世界にとって無駄に過ぎないか」という命題に対する究極の答えを、ドラクエは国内最古参のRPGでありながら既に出していたのではないかと思う。
そして、そのエッセンスは紛れもなく、この「ユアストーリー」にも込められていると思う。
確かにVRオチだった。それまでもビアンカも、サンチョも、パパスの無念も、アルスという子供も、手に入れた幸せは全てVR世界のものだ。
だからって、本物じゃないのか。主人公が「リュカ」としてあの世界に本物を見出した様に、我々もドラクエを無垢な心でやっていた頃はみんな本物だと思って、自分だけの、自分の力で歩んで切り開いたドラクエという世界を楽しんでいたんじゃないのか。
「大人になれ」という言葉に、どの様な気持ちを持って立ち向かうか。そこが、あの映画が我々に投げかけた一番の試練だったんじゃないかと私は思う。
そして、我々はその試練に、屈したのだとも。
ここまでのご静聴を、心より感謝申し上げる。過ぎた言葉も多かったと思う。加えてお詫び申し上げたい。
初めに書いた様に、ここまで述べて来た内容は全て、ちょっと凝り性なにわかドラクエファンによる一考察に過ぎない。
だが、最後に一つだけ、言いたい。
なぜ、あの映画の後、ドラクエはナンバリングタイトルでも、外伝作品でもなく、「ダイの大冒険」のプロジェクトを立ち上げたのか?
ドラクエは主人公=自分自身というゲームだと先ほど私は述べた。
だが、ジャンプ黎明期を支えた往年の名作「ダイの大冒険」の主人公は自分ではない。ダイだ。
私はあの瞬間に、ドラクエが敗北してしまった様に感じてならない。
35年間ドラクエが我々に伝えようとして来た事が、あの瞬間に既に時代に求められていなかったという事実として、白昼の下に晒されてしまったように思えてならない。
プレイヤー一人ひとりの思い出となる様にドラクエを作っていた筈の製作陣が、あの瞬間に所詮は虚構を作っていただけだと突きつけられてしまったのではないかと思えてならない。
「ダイの大冒険」はいい。あれは名作だ。そのコンテンツをリブートさせるのは素晴らしい企画だ。私は僅差でロト紋派だけども。ちなみに天空物語やソウラもオススメである。あと漫画版ドラクエ6とか。
だが、その影でユアストーリーであり続けたドラクエは死んでしまったのか、はたまた息を吹き返して、新世代のスタッフによる新たなドラクエが誕生するのか。
その時の主人公は誰か。
今は続報を待つのみである。
作品名:ドラクエユアストーリーを肯定したい 作家名:ニモ船長