火曜日の幻想譚 Ⅱ
222.停留所とミルクティー
そろそろ高校生活にも慣れてきた、夏休み前の日。
帰りのバスで、降車ボタンを押そうとしたら先を越された。この停留所で降りる人はまずいない、それこそ僕ぐらいだ。不思議に思い、周りをキョロキョロと見渡す。すると、後ろの座席に座っている新村が、してやったりといった表情でこっちを見ていた。僕と彼女は数カ月前まで同じ中学校に通っていた、いわゆるおさななじみ。でも新村なら、もう一つ先の停留所のほうが家に近いはずだ。
「新村。おまえ、押し間違えたのか」
ボタンが押せなかった照れ隠しに、僕は思わず声を荒げて彼女に問いかける。
「痩せるために一つ前の停留所から走ることにしたの。残念だったね、押せなくて」
そう言って、フフンと得意げな顔をする。降車ボタンを押したという、ただそれだけのことなのに。
「お客さん、降りないんですか?」
運転手さんに急かされて、ようやくバスが停留所に停まっていることに気付く。僕らは運転手さんに謝って、慌ててバスから降りた。
さて、僕の家は比較的交通量の多い通りの反対側にある。そして、近くには横断歩道があるものの、信号がない。すなわち、行き来する車の少なくなるタイミングを見計らって横断しなければ、家には帰れないのだ。だから、僕はいつもバス停の近くにある自動販売機でジュースを買うことにしていた。そのジュースを飲みながら横断のチャンスを見計らえば、ちょうどよい水分と糖分の補給になるというわけだ。
「さて、と」
今日も僕は自動販売機にお金を入れて、何を飲もうかと品定めをする。そのとき、横にいた新村がバシンとボタンを勢いよくたたいた。
「?!」
声を上げる間もなく、取出口にミルクティーが転がり落ちてくる。違う、僕が飲みたいのはこれじゃない、そう言おうとした瞬間、新村は僕の手にお金を握らせ、ミルクティーを取り上げた。
「もたもたしすぎ」
そう言って、ミルクティーのふたを開け、ちょっと飲んで、またもやフフンと得意げな顔。僕はその顔をにらみながらお金を投入し、スポーツドリンクを買った。
僕らは横断歩道の前で、車が来なくなるタイミングを待ち受ける。しかし、こんな時に限って一向にその瞬間は訪れない。
「……ねえ。高校はどう?」
車が行き交う道路を前に、ミルクティーを飲みながら新村は聞いてくる。
「悪くはないよ」
「ふうん」
「おまえは?」
「悪くはないよ」
「ふうん」
「…………」
「…………」
とりとめのない会話の後、ようやく渡れそうなタイミングが訪れる。僕らは飲み物のキャップを締め、せーのっ! で走り出して素早く横断歩道を渡りきる。
「じゃあね」
新村はそのまま、制服のスカートをひるがえして、バスの中で宣言したとおり自分の家へと走っていった。
でもあいつ、痩せるためならミルクティーとか飲んでちゃ駄目なんじゃないか? それに別に太ってはいないだろう。後ろ姿を見ながらそう思ったが、なぜか、それを言うのは野暮な気がした。