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皆様、こんにちは。

 今日の当地は朝からずっと雨です。

 何となく肌寒いです。

 昨夜はのんびりと韓流時代劇でも観ようと思っていたらー。

 お風呂に入る前に、新作についてふと気づいたことがありまして。

 内容的に少し「これはちょっとおかしいんじゃないか?」という部分があることに気づきました。

 ショックを受けて、入浴もそこそこに夜は新作の原稿を見直す作業を続けました。

 別に翌日でも良かったんだけど、とりあえず大丈夫と自分が納得できるところまではやりたくて、気がついたらもう時計は午前零時を回っていました、、、


 でも、そのお陰で何とか手直しが必要な部分は直せたと思います。

 昨夜のせいで、校正業そのものもかなり進みました。

 今日は残りの見直しをやって一度目の校正を終わらせようと考えています。

 さて、前置きが長くなりましたが、、、

 今日はサンリオ「いちご新聞」五月号を読みました。

 かなり前に届いていたのですが、やっと読む時間が取れました。

 付録は可愛いビッグステッカー。

 今月から恒例のキャラ投票が始まります。

 私はキティちゃんに入れる気満々ですー笑 

 いつものように巻頭の辻社長のエッセイを読み、スタッフさんの「大切にしている言葉」も読みました。

 その中で印象的な言葉がありました。

 ー夢は叶っても叶わなくても良いと思う。大切なのは、夢を持つことで自分が目標に向かって、努力したり積極的に行動したりすること、ポジティブになれること。

 言葉は変えていますが、こんなことが書かれていたんですね。

 なるほどと思いました。

 以前、末っ子が大好きなアニソンに

 ー夢は見るものじゃなくて叶えるもの。

 というフレーズがありました。娘がよく歌っていたので、記憶に残っています。

 ー夢は見るものじゃなくて、叶えるもの。

 ー夢は叶っても叶わなくても良い。

 言葉だけ並べると、矛盾しているというか正反対です。

 でも、私はどちらも正解じゃないかなと思います。

 ー夢は見るものじゃなくて、叶えるもの。

 これは理想ばかり夢のようなことばかり言っていないで、もっと積極的に行動しなきゃ!

 その程度の意味じゃないでしょうか。

 ただ座って待っているだけでは、何も起きません。もちろん、夢も叶いません。

 そういうことのような気がします。

 それから、

 ー夢は叶っても叶わなくても良い。

というのは、「一生懸命、夢に向かって努力した人」への言葉でしょう。

 たとえ夢が最終的に叶わなかったとしても、目標に向かって努力したことそのものが大切であり、尊いのだという意味です。

 両方の言葉は一見、真逆に見えますが、実はまったく同じことを言っているように思います。

 その意味は

 ー夢を抱き、夢に向かって一生懸命努力することが大切なんだよ。

 ということです。

 「夢」という言葉から連想されるものは様々です。

 また、「目標=夢」についても、人それぞれの受け止め方、考え方があると思います。

 今回は見た目は真逆の二つの言葉が表す意味について、自分なりに考えてみました。

 もうオバさんではありますが、新学期も始まったことですし、

 いつまでも「夢」を持ち続ける、そんな生き方をしたいと思います。

 私にとっては「幾つになっても夢を持つこと」そのものが人生の夢なのです。


☆「大手コンテスト参加で気づくーライバルは他人ではなく自分&最高傑作とは自分史上、最高の作品のこと。」
  皆様、こんにちは。
  今日も暑い一日となりました。
  お昼ご飯の用意をするときだけですが、今年初めてクーラーを作動させました。
 つい今し方は韓流時代劇「王になった男」を観たところです。
 あっという間に一時間余りが過ぎました。
  面白いですね。
  ですが、、、
 今日はその話は置いてといて、別の話をしたいと思います。
 私はかつて大型総合同人誌「コスモス文学」に所属していました。
 18年間、参加したコスモス文学が終刊となり、作品発表の場を求めてネットに来たことは既にお話ししたと思います。
 活動拠点をネットに移してからでさえ、気がつけばもう10年経過していました。
 いちいち過ぎ去った年月を数えはしませんでしたが、本当にあっという間だったように思います。
もう随分と長い間、公募の賞からは遠ざかっていました。
むろん、岡山市長賞を頂いた「市民文芸」のコンテストや準佳作を頂いた県文学選奨などは欠かさず応募していましたし、ネット小説サイトのコンテストには思い出したように応募していました。
 後は、毎年これも応募すると決めている「歴史浪漫文学賞」も応募を続けてきました。
なので、厳密にはまったく無縁であったとは言い切れないのではありますが、、、
 今年の5月と6月、私はそれぞれ一月な一つずつ、コンテストに参加することを決意しました。
5月の方はもう締め切りも過ぎました。
何故でしょうか、そこは大手のサイトで、自分には一生縁が無いと思っていましたし、今でも思っています。
 今のコンテストはネットでリアルタイムで進行状況が判るだけに、私のような昔ながらのアナログ人間には「公開処刑」のように思えてなりません。
恥をかくのは実力不足だから仕方ないけど、何もわざわざ不特定数の人の前で
生き恥をさらしたくない。
それが本音の自分が何故、わざわざ大手のコンテストに参加したか。
理由は様々ですが、、
何か「証」のようなものが欲しかったのかもしれません。
「証」はもちろん入賞ということではなく、「自分が小説書きとして活動した証」のようなもの。
応募しただけで「証」になんてなるの? と思われるかもしれませんが、
ハイ、私にとっては一生無縁だったと思うサイトに生き恥をさらすことを覚悟で
応募しただけで「決意の証」なのです。
 同人誌時代、私は井の中の蛙状態でした。
 これは自分の力を過信したということではなく、「外の世界を知らなかった」という意味です。
 同人誌の中で仲間たちと切磋琢磨していましたが、その外には更にもっと広く大きく、また厳しい世界があるとは考えていませんでした。
同人誌の終刊により、ネットに拠点を移した後、否応なく現実を知ることになります。
更に瞬く間に過ぎ去った年月により、更に現実を突きつけられることになりました。
 自分ほどの人間はごまんといる、、、
 更に自分より優れた書き手はもっといる、、、
 また、日々、新しい書き手が彗星のように現れる世界ではやはり若手の勢いというのは物凄いパワーがあります。
 むろん、文芸だけでなく、どの道においても、それは同じことです。
 今日の一つ目のリブログしたゲッターズ飯田さんのブログではないけれど、
ホントに自分に「極めよう」という強い意思がなければ続けられません。
 何を極めるのか?
 それは自分自身であり、自分自身が追い求めるもの=私なら文芸道です。
 そこに、他者の存在は必要ありません。