自殺をしようとした知人の話
そんな人達の気持ちや境遇の悲惨さが広く知られることになれば、富者へはより優遇する割に弱者や貧者へは余りに冷たい今の世の中は、そこに生きる多くの人々へ段々と優しくなり、自死を考えるほどに心の底から苦しんでいる繊細な人達も生きやすくなるのにと、今追いやられている多くの命が失われずに済むのにと、そう考えずにはいられません。
それを叶えるため、今仮に自らは何不自由なく暮らしていたとしても、ほんの少しずつで構わないので、普段は見えない世間の陰で苦しみ震えている人々のことを考えてあげていって頂きたいと思います。
他者からすれば、必死に生きようとする誰かの姿は時に見っともなく映るのかもしれません。しかし、本当に心ある人は、懸命なその人を笑うようなことをしないはずです。そこにどのような事情や経緯があったとしても、仮に当人に大きな責があったとしても、そうして足掻く様が他の人にとって無様に見えたとしても、自らにはまだしたいことがあると思い、あるいは失いたくないものがあると思って生きようとするということは、決して下らないことなどではありません。
この世の誰もが、今生きているからこそ心の内にそうした「生きたい」という気持ちを少なからず持っているはずです。だからこそ、それは自らだけでなく他の誰かも同じなのだということを心の隅に留めておいて頂きたいのです。
個人に迫る危機というものを考えれば、例えば自分が酷い貧困や困難に陥った時、他の誰にも何にも頼らず、自らも敢えて足掻かずに諦めるということを潔さや美徳だと考える人もいるかもしれません。
それは正しい物事の考え方の一つなのかもしれませんが、しかし同時に、自らが苦境に立たされても、心を失わずにそれへと抗うということは精神が強かでなければ出来ないことでもあります。仮に周囲の誰がその人へ何を言ったり思ったりしたとしても、少なくとも私は、そうした人達の在り方を立派だと思い、尊敬します。だからこそ、今苦境にある誰かの内にまだ抗いたい、諦めたくないという気持ちがあるのならば、自らが生きるためにどうか精一杯に抗って欲しいと思います。ただ必死に生きようとするその人は、何も恥じるようなことなどしてはいません。
弱者を利用した権力者の偽善や、私益や保身の建前ではなく、本来同胞であるはずの同じ国民としての本当の思いやりと、人々の暮らしを豊かにする正しい物事の考え方が広く当たり前になった時に、初めて世の中はよりよいものとなっていくのでしょう。
どれほど空想的と思われようとも、そうした世の中を本気で目指したからこそ、先人達は我々へと豊かな国を残してくれたのであり、少なくとも彼らの先の道を生きる我々は、そのことを忘れるべきではないはずです。
私が申すにはおこがましいことですが、今を生きる人々には、かつては当たり前にあったはずの良心や、多くの人々が豊かで幸せに暮らせる世の中をみんなで目指すという生きる場所に対する理想をこそ取り戻して欲しいと思います。
作品名:自殺をしようとした知人の話 作家名:ナナシ