天界での展開(2)
「そうかい、悪かったな! ・・・あっ、あった! 見つけたぞ、俺の袖だ! 下ばかり見てなくて良かっただろ?」
「・・あ・・・あれですね、紛う事無くあなたの袖です。」
「そうです。あんたに引き裂かれた俺の袖です!」
「・・しかし、困りましたね・・道路上なら何の苦も無く拾えるのですが、他所のお宅の立木に引っ掛かっているので・・ 清廉女史、このお宅は、一体どなたのお宅ですか?」
「此処は、たしか文殊菩薩様配下、天界大学院教授の主倍津阿さまのお宅だと・・」
「おお、懐かしい・・あの教授には、私が天界大学院在学中に随分と可愛がって頂きました。早速お訪ねして、庭に入る許可を頂きましょう。」
「まあ、それは、良うございましたね。閻魔殿秘書室第一秘書の純真様存知おりの方のお宅でしたなら、苦も無くご許可が頂けるでしょう。」
「・・・・・あれ? ご不在なのかな・・何度インターホンを鳴らしても応答がありません。」
「もう暫くお待ちになっては? この広いてお家ですもの、歩いてインターホンの在る処に来るまでにも幾らかお時間を要すかも知れません。」
「そうですね。」
「お二人さん、お話中ではありますがね、こんな時こそテレパシーで交信をなされば、宜しいのではないのでございましょうか。」
「いや、それは、出来ません。テレパシーは、あくまでそれなりに重要な要件のみ仕様可能と決まっています。」
「なんとまあ、不便極まりのないことだな。」
「何と言われようと、規則ですから。」
「はい、はい・・」
「はいは、一回で!」
「は~い、分りました~」
「・・・」
「申し訳ありません、清廉女史。私も、もう殆ど嫌になっております、この一二三院四五六居士と関わるのは。何の建設的会話も出来ません。それに、何処でどの様に間違えたのかは分かりませんが、この死人と関わり始めてからというもの、驚かされることの連続でして・・まったく、自分が死人であり、まだ閻魔様の審判さえ受けていない身であるという自覚の欠片もありません。」
「閻魔殿秘書室第一秘書の純真様の御心中お察し申し上げます。かく言う私も、この死人の所為で、公務員になって以来、初めての早退に追い込まれまして・・」
「ああ、その事でしたら、既に聞き及んでおります。あと少し無遅刻無欠勤が続けば、天界公務員共同組合の推薦を受けて、天界公務員特別表彰を頂けるものを・・この死人の所為で、栄誉ある表彰を不意にされたのですからね。」
「いえ、その表彰などどうでも良いのです。私と致しましては、私の早退に因り、多くの同僚の方に迷惑を掛けたと、ただその事のみの自責の念で申し上げているに他なりません。」
「何という素晴らしいお言葉。まさに公務員の鏡ですね、清廉女史は。」
「勿体ないお言葉でございます・・」
「秘書さ~ん・・それに、姉ちゃんさん、お二人だけでの話はいくらして頂いても良いのですが、時々は、インターホンを押して、この家の中から返事があるかどうかなど確かめながらですね、話して頂ければ、俺としては、有り難く思う次第で御座いますが。」
「うっ、インターホンは、時折押しています。」
「そうでございましたか。俺はまた、あんた等二人、時の経つのも忘れて、おまけに俺の袖の事なんかは遥か忘却の彼方で、楽しく仲良くウキウキドキドキしながら二人の愛を育んでいらっしゃるかの様にしか見えなかったものですから。」
「こ、これ! 言うに事欠いて・・」
「まあ、俺にしてみれば、そんな事はどうでも良い事でありますからですね、お二人さんが、仲良く話に花を咲かせていらっしゃる間、ちょいとこの辺りを見物させて頂くよ。それに、こんな処に俺みたいな薄汚れた死人が居たのでは、中の方も怪しんで返事をしようにも出来ないのかも知れないからな。」
「・・そうですね、そういう考えも否定出来ませんね。では、一二三院四五六居士、この辺りを少しの間だけ散策する事を許可します。良いですか、くれぐれも遠くの方まで行かない様に。これ以上の騒ぎは御免ですよ。」
「はい、お二人さんも、くれぐれも時々はインターホンを押すのをお忘れなく・・」
「・・」
「・・・」
「じゃあな、行って来ま~す。」
「・・」
「あっ、一二三院四五六居士。」
「何だい?」
「くれぐれも・・あの角を曲がった処で立ち止まって、黙ってこちらを覗き見などしない様に。覗きと盗み聞きは、此処では大罪ですからね。」
「・・・分かったよ・・・・・」
去った 猿に会う
「な~んだ、天界といったって、何も特別変わった処などありゃしないじゃないか。確かに天界の入り口には、ご立派な建物が在って一見仰々しくはあるが、そこで働く公務員達は、人間界の役人よりも規則に煩いし、特例も無い。俺が生きてた時、時々行ってた役所の方が余程大らかだったぞ。・・あれ? そうこうブツクサ言いながら歩いているとだな・・、何だ、あれは?」
・・・
「もしもし、ちょいと訊ねるんだけど・・」
「はい? う、うひゃ~! し、死人じゃないか!・・あんた、死人だろ?」
「そうだけど、それが?」
「淡々と聞き返すんじゃない! 驚くじゃないか・・此処は、一般天界人の居住地の筈だ。あんた、まさかそれを知らないって事などないだろう。おまけに、何だ、その薄汚れた装束は・・あっ、片袖無いじゃないか。そんな出で立ちでこの辺りをうろつくんじゃない!」
「そりゃ悪かったな。しかしだな、これには実に深い訳があってだな、、」
「深い訳?」
「うん、そうだ。」
「その深い訳というのは?」
「つまり、深い訳とはだな、あまりにも深過ぎて、そうそう簡単に関係者以外に語る訳に行かない。」
「・・まさか、公安関係の方で・・何か特殊任務の為の変装とか・・?」
「うっ、見破られたか・・私の変装を見破るとは、あなたも相当な方と推察した。あくまで職務上で訊くのだが、あなたの姓名及び職業は?」
「これは、これは・・ご苦労様です。私は、生涯院金欠居士という者で、職業は、元天界銀行に勤務しておりましたが、今は退職して年金暮らしです。身元を証明する為に、年金手帳などお見せしましょう・・」
「いや、その必要はありません。その立ち振る舞いなどから、随分と信用出来る方だとすぐに分かります。」
「ありがとうございます。しかし、いくら仕事とはいえ大変ですな、死人にまで身を窶さねばならんとは。」
「いやいや、それもこれも、みなさんの安らかな日々を願ってのこと。労いの言葉など不要です。」
「ご苦労さまです。・・ところで、私に訊ねたい事とは?」
「あぁ、あの向こうで立ち話をしている方々に混じって、一匹の猿が居りますね。あの猿は、天界で特別に許しを受けて此処に住んでいるのですか?」
「あれは、猿ではありません。人間ですよ。」
「何と・・よく化けているなぁ・・」
「化けてなどおりません。生まれたままの姿形だそうですよ。」
「あ、まさか・・あれが、噂の毘沙門天様の下で働いているという・・」
「そうです。生前の名は、豊臣秀吉。そして、今は、類人院猿顔居士という天界名の者です。なんですか、人間界では出世頭の一人だとか・・」
「・・そうです、その通り。道理で天界の方々に混じってペラペラと、まあよく話している。」