北海道旅行記 三日目
<礼文島>
まつ毛の先に乗った光の粒が朝だということを告げた。
今日は稚内港から出るフェリーに乗って、礼文島という島を目指すことになっている。
荷物をまとめてバンガローを出ると、雲ひとつない青空が広がっていた。
この旅は本当に天候に恵まれている。
兜沼公園の朝の空気は、まだ昨夜の冷気を残して、ひんやりと肌に張り付いた。
管理棟でチェックアウトを済ませ、車に乗り込み、僕らは稚内港へと急いだ。
車内では、どうせまた同じ内容の高校の思い出話が繰り広げられていた。
僕らは五人とも同じ都内の男子校に通っていた。
部活のこと、林間学校のこと、名物教師のこと、文化祭のこと、球技大会には目もくれずカードゲームに興じたこと、2年連続で留年して他の学校へ編入していった同級生のこと、ヘンテコな造りの校舎、帰り道よく立ち寄ったスーパー。
話は尽きることは無かった。
共学校におけるいわゆる青春なんてこれっぽっちも無かったけれど、あの高校で過ごした時間はそれはそれで青春だったのかもしれない。
程なくして、僕らは最北の町、稚内に到着した。
例によって昨夜お風呂に入っていない僕らは稚内港の近くに見つけた温泉に浸かった。
固い床で夜を過ごして凝り固まってしまった身体を天然の温泉がほぐしてくれる。
昼過ぎまで温泉に浸かってから、JR稚内駅を見学することにした。
稚内駅は比較的新しいのか、白い壁とガラス張りの外観で小洒落ていた。
国内最北端の鉄道駅にいることを考えると、凄いところまで来てしまったという実感が湧いてくる。
そして、ここらから更にフェリーに乗って礼文島という島に向かうのだという。
旅程については任せっきりにしていて、礼文島という島が一体どのような島なのかは全く分からなかった。
下調べは無しに感覚で旅を楽しむ。これもひとつ面白いものだと思う。
稚内港から礼文島の香深港(かふかこう)までは約二時間かかる。
フェリーには車を載せられない為、稚内の駐車場に車を停めた。
礼文島で身軽に動けるように、リュックに最小限の荷物を入れ込んだ。
フェリー乗り場でチケットを購入し、ハートランドフェリーという名のフェリーに搭乗した。
2等席は約3,000円でチケットを購入できる。
2等と言っても、席は1~2等までしかなく、2等席は一段高くなっただけの6畳ほどの床である。くつろぐためには雑魚寝をするしかない。
しばらく、カード遊びに興じたり雑魚寝をしたりして過ごしていたが、いよいよ日の光に飢えた僕らは、フェリーの後方にある甲板に出てみることにした。
空は相変わらずの快晴で、真上の空は深い青色で遠くの空ほど白く輝いて、そのコントラストが美しい。
紺色の海にはフェリーが白波の道を作っていて、空と海の境界線に北海道の大地が薄く広がっていた。
甲板で景色を眺めていると、だいぶ時間が経っていたらしく、もうそろそろ礼文島に到着するとのことだった。
フェリーの中に戻り荷物をまとめていると、フェリーは段々と速度を落とし、やがて完全に動きを止めた。
礼文島に降り立った瞬間、港独特の潮の匂いが鼻をついた。
道路が海岸線沿いに続いており、正面には小高い山が見える。
礼文島は小ぶりで細長い形をしており、西側の海沿いには道路が無い為、半日もあれば車で回れてしまう。
香深港は礼文島の南に位置し、今日泊まるバンガローは北端に位置していたが、カブを借りて回る予定だった為そこまで心配はしていなかった。
ところが「カブは経験が無いと貸せない」とレンタルショップの初老の店主が言う。
食い下がれる理由も無く、僕らは仕方なく自転車を借りた。
ママチャリというやつである。
時計を見ると、時間は午後4時30分を指していた。
その日、礼文島の左上にある澄海岬(すかいみさき)で夕日を見ることになっていたが、もたもたしていると日が沈んでしまう。
軋む自転車を北へとひた走らせた。やはり僕らの旅はいつも押している。
初めは気が付かなかったが、徐々に腿にだるさを感じ始め、道が平坦で無く少しだけ上り坂になっていることに気がついた。
5人の中にも段々と差が生まれ始める。
ろくに運動もせず、堕落的な大学生活を3年半も続けていると体力は見事に落ちているものである。
途中、勾配がきつくなったりして、僕らの息は絶え絶えだった。
冷たい北海道の海風が更に体力を奪う。
まだ見ぬ澄海岬の夕日だけが僕らを突き動かす原動力だった。
ただ一方で、港町特有の景色を楽しむことも出来た。
右側には大海原が広がり、低くなり始めた太陽が水面を燦然と輝かせていた。
左側には民家が続いており、干された魚やイカや貝類があったりして、やはりここは漁師町なのだと再認識させる。
時折、並走する海鳥が独特な鳴き声で僕らをせかす。
もうだいぶ北まで来ただろうと思う頃、海岸線を続く道と西側の山へ登る道とに分かれた。
悪い予感は的中するもので、僕らが泊まるバンガローは山へ登る道を通らねばならなかった。
バンガローは山の中にあるのだから良く考えれば当然であるのだが…。
再び腿をだるくしながら、ある程度の高さまで登った僕らは右側に広がる海を眺めたり、写真を撮ったりした。
高台からの眺めは気持ちのいいもので、潮風が火照った身体を冷ましてくれた。
あと少しだと意気込む僕らはこの後絶望する事となる。
坂道は、西側、つまり山側へ大きく蛇行しており、そこから先の道がどのようになっているか見えなかった。
ようやく蛇行するポイントに着き、曲がった僕らが目にしたのは、空に向かって一直線に伸びる上り坂であった。
しかも勾配は更に増している。悪い予感というものは本当によく当たる。
人間は深く望みを失うと言葉が出ないものなのだと思った。
ただ、坂道があるということは下り坂もあると信じ、力を振り絞って坂道を駆け上がった。
何人かは諦めて歩いたりもしていたが、何とか全員のぼりきり、僕らを待っていたのは麗しき下り坂であった。
僕は汗だくになったTシャツを脱ぎ、身体全体で風を切った。
途中地元の小学生達から不審がられもしたが、登りきった達成感と大自然の開放感からか、羞恥心のようなものは無かった。
<澄海岬>
ようやくバンガローに到着した頃、既に午後5時を回っていた。
そこは広場のようになっていて、バンガローがいくつか点在している。
実は昼飯を食べていなかった僕らの空腹は頂点に達していた。
バンガローに荷物を置き、澄海岬に出かける前に、コンビニが近くに無いかネットで調べた。
すると、礼文島に以前訪れたことのある人が書いたブログがヒットし、そこには「ファミリーマートがあります」と書いてある。ご親切に住所の記載まであり、僕らはGoogleマップでその住所を検索する。
見ると10分ほどで着くらしく、一気に元気を取り戻した僕らはファミリーマートへ向かった。
「この辺のはずなんだけどなぁ。」
目的地には近いはずなのだが、一向にそれらしい建物は発見できない。
いつの間にかGoogleマップが指し示すポイントを過ぎてしまっていた。
まつ毛の先に乗った光の粒が朝だということを告げた。
今日は稚内港から出るフェリーに乗って、礼文島という島を目指すことになっている。
荷物をまとめてバンガローを出ると、雲ひとつない青空が広がっていた。
この旅は本当に天候に恵まれている。
兜沼公園の朝の空気は、まだ昨夜の冷気を残して、ひんやりと肌に張り付いた。
管理棟でチェックアウトを済ませ、車に乗り込み、僕らは稚内港へと急いだ。
車内では、どうせまた同じ内容の高校の思い出話が繰り広げられていた。
僕らは五人とも同じ都内の男子校に通っていた。
部活のこと、林間学校のこと、名物教師のこと、文化祭のこと、球技大会には目もくれずカードゲームに興じたこと、2年連続で留年して他の学校へ編入していった同級生のこと、ヘンテコな造りの校舎、帰り道よく立ち寄ったスーパー。
話は尽きることは無かった。
共学校におけるいわゆる青春なんてこれっぽっちも無かったけれど、あの高校で過ごした時間はそれはそれで青春だったのかもしれない。
程なくして、僕らは最北の町、稚内に到着した。
例によって昨夜お風呂に入っていない僕らは稚内港の近くに見つけた温泉に浸かった。
固い床で夜を過ごして凝り固まってしまった身体を天然の温泉がほぐしてくれる。
昼過ぎまで温泉に浸かってから、JR稚内駅を見学することにした。
稚内駅は比較的新しいのか、白い壁とガラス張りの外観で小洒落ていた。
国内最北端の鉄道駅にいることを考えると、凄いところまで来てしまったという実感が湧いてくる。
そして、ここらから更にフェリーに乗って礼文島という島に向かうのだという。
旅程については任せっきりにしていて、礼文島という島が一体どのような島なのかは全く分からなかった。
下調べは無しに感覚で旅を楽しむ。これもひとつ面白いものだと思う。
稚内港から礼文島の香深港(かふかこう)までは約二時間かかる。
フェリーには車を載せられない為、稚内の駐車場に車を停めた。
礼文島で身軽に動けるように、リュックに最小限の荷物を入れ込んだ。
フェリー乗り場でチケットを購入し、ハートランドフェリーという名のフェリーに搭乗した。
2等席は約3,000円でチケットを購入できる。
2等と言っても、席は1~2等までしかなく、2等席は一段高くなっただけの6畳ほどの床である。くつろぐためには雑魚寝をするしかない。
しばらく、カード遊びに興じたり雑魚寝をしたりして過ごしていたが、いよいよ日の光に飢えた僕らは、フェリーの後方にある甲板に出てみることにした。
空は相変わらずの快晴で、真上の空は深い青色で遠くの空ほど白く輝いて、そのコントラストが美しい。
紺色の海にはフェリーが白波の道を作っていて、空と海の境界線に北海道の大地が薄く広がっていた。
甲板で景色を眺めていると、だいぶ時間が経っていたらしく、もうそろそろ礼文島に到着するとのことだった。
フェリーの中に戻り荷物をまとめていると、フェリーは段々と速度を落とし、やがて完全に動きを止めた。
礼文島に降り立った瞬間、港独特の潮の匂いが鼻をついた。
道路が海岸線沿いに続いており、正面には小高い山が見える。
礼文島は小ぶりで細長い形をしており、西側の海沿いには道路が無い為、半日もあれば車で回れてしまう。
香深港は礼文島の南に位置し、今日泊まるバンガローは北端に位置していたが、カブを借りて回る予定だった為そこまで心配はしていなかった。
ところが「カブは経験が無いと貸せない」とレンタルショップの初老の店主が言う。
食い下がれる理由も無く、僕らは仕方なく自転車を借りた。
ママチャリというやつである。
時計を見ると、時間は午後4時30分を指していた。
その日、礼文島の左上にある澄海岬(すかいみさき)で夕日を見ることになっていたが、もたもたしていると日が沈んでしまう。
軋む自転車を北へとひた走らせた。やはり僕らの旅はいつも押している。
初めは気が付かなかったが、徐々に腿にだるさを感じ始め、道が平坦で無く少しだけ上り坂になっていることに気がついた。
5人の中にも段々と差が生まれ始める。
ろくに運動もせず、堕落的な大学生活を3年半も続けていると体力は見事に落ちているものである。
途中、勾配がきつくなったりして、僕らの息は絶え絶えだった。
冷たい北海道の海風が更に体力を奪う。
まだ見ぬ澄海岬の夕日だけが僕らを突き動かす原動力だった。
ただ一方で、港町特有の景色を楽しむことも出来た。
右側には大海原が広がり、低くなり始めた太陽が水面を燦然と輝かせていた。
左側には民家が続いており、干された魚やイカや貝類があったりして、やはりここは漁師町なのだと再認識させる。
時折、並走する海鳥が独特な鳴き声で僕らをせかす。
もうだいぶ北まで来ただろうと思う頃、海岸線を続く道と西側の山へ登る道とに分かれた。
悪い予感は的中するもので、僕らが泊まるバンガローは山へ登る道を通らねばならなかった。
バンガローは山の中にあるのだから良く考えれば当然であるのだが…。
再び腿をだるくしながら、ある程度の高さまで登った僕らは右側に広がる海を眺めたり、写真を撮ったりした。
高台からの眺めは気持ちのいいもので、潮風が火照った身体を冷ましてくれた。
あと少しだと意気込む僕らはこの後絶望する事となる。
坂道は、西側、つまり山側へ大きく蛇行しており、そこから先の道がどのようになっているか見えなかった。
ようやく蛇行するポイントに着き、曲がった僕らが目にしたのは、空に向かって一直線に伸びる上り坂であった。
しかも勾配は更に増している。悪い予感というものは本当によく当たる。
人間は深く望みを失うと言葉が出ないものなのだと思った。
ただ、坂道があるということは下り坂もあると信じ、力を振り絞って坂道を駆け上がった。
何人かは諦めて歩いたりもしていたが、何とか全員のぼりきり、僕らを待っていたのは麗しき下り坂であった。
僕は汗だくになったTシャツを脱ぎ、身体全体で風を切った。
途中地元の小学生達から不審がられもしたが、登りきった達成感と大自然の開放感からか、羞恥心のようなものは無かった。
<澄海岬>
ようやくバンガローに到着した頃、既に午後5時を回っていた。
そこは広場のようになっていて、バンガローがいくつか点在している。
実は昼飯を食べていなかった僕らの空腹は頂点に達していた。
バンガローに荷物を置き、澄海岬に出かける前に、コンビニが近くに無いかネットで調べた。
すると、礼文島に以前訪れたことのある人が書いたブログがヒットし、そこには「ファミリーマートがあります」と書いてある。ご親切に住所の記載まであり、僕らはGoogleマップでその住所を検索する。
見ると10分ほどで着くらしく、一気に元気を取り戻した僕らはファミリーマートへ向かった。
「この辺のはずなんだけどなぁ。」
目的地には近いはずなのだが、一向にそれらしい建物は発見できない。
いつの間にかGoogleマップが指し示すポイントを過ぎてしまっていた。
作品名:北海道旅行記 三日目 作家名:きよてる