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封神演義から読み解く現代政治の腐敗構造

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 多くの国民が貧困にある中での消費増税や社会保険料の増大など国家を衰退させ、国民の生活を更なる貧窮へと追い込み続けるという極端な悪政を続ける現代日本の政治構造を理解するに当たり、最も分かりやすいのはチャイナの伝奇作品である封神演義において暴政を敷く殷王朝と比べることである。
 明の時代に作られたとされる同作品は日本国内でも伝奇小説として翻訳されていることに加えて、それを原作とした同名の漫画作品も高い人気を博しているために内容を存じている方も少なくないと思うが、そうでない人へと向けてあらすじを以下に書き記す。
 物語の舞台は紀元前一千年頃の殷代末期、かつては栄華を誇った殷王朝第三十代の君主である紂王は、近く後宮に入るはずであった有蘇という氏族の生まれである蘇妲己という名の若く美しい娘の体を乗っ取った狐狸の精によって籠絡されてしまう。そうして、千年を生きる狐狸精こと妲己は当時の王妃を謀殺して自らが妃の座に就いた。私利私欲に塗れた奸臣達と、淫蕩に耽る妲己の言うままに亡国に至る悪政を行う暗君へと成り果てた紂王に対して、一部の賢臣や忠臣達はその君主としてあるまじき行いを改め、国と民の暮らしを豊かにするという本来の責務を果たすべきだと主君を諫めたが、それに激怒した紂王は妲己の助言を元に逆らう臣らを次々と残虐な方法で処刑した。その余りに惨い光景を見て恐れた臣下達は紂王へと逆らわなくなり、妲己が宮内に呼び寄せた義理の姉妹達も加わることで尚更に悪化する政治の腐敗によって国は衰えて民達の暮らしは貧しくなるも、悪政は改められずに彼らは虐げられ続けた。これに対し、後に周と名付けられる殷の従属国の一つは、虐政を行う殷王朝へと反旗を翻した。後に太公望とも称される主人公姜子牙を初めとした崑崙山に住まう闡教(せんきょう)の道士や仙人達が、殷周革命に関わる道士仙人や一部の人間を神として封ずる儀式のために周へと助力することに対して、闡教と敵対する截教(せっきょう)にて道術を学んだことのある聞仲が太師を務める殷王朝へは截教の仙人達が加わることで仙界においても対立が起こる。周の指導者である文王とその後継者となる武王、彼らを支える周公旦らの臣下に加えて周の軍師となった姜子牙が、妲己や奸臣によって堕落した殷王朝を打ち倒すべく戦いを繰り広げる、というお話である。
こうした殷王朝の惨状を現代の日本に置き換えれば以下のようになる。
 硬度経済成長という栄華を誇った日本において、殷王朝のように民を苦しめる消費増税や緊縮財政などの悪政を敷くのが現在の与党政権であり、紂王のように良心や知性を持たず、賢臣の言うことは全く聞かぬ割に、身近な奸臣の言うことは素直に聞く無能な統治者が総理大臣。ただし、民主主義制度における内閣総理大臣とは国民の下僕である政治家という存在の代表に過ぎないため、立場として類似すると判断する主な根拠は政治における決定権を持っているという点である。  狐狸が乗り移った妲己のように、本来はその国に所属しないにも関わらず悪政を要求して実行させるのがニューヨークウォール街を拠点とする国際金融資本組織であり、その下僕が経済財政諮問会議などに出席する人材派遣会社の役員を初めとした民間のビジネスマン達。架空の存在である狐狸精として例えるのは不適当と思うかもしれないが、本質的にはその国の人間でないにも拘わらず、自らの思い通りに動く存在や仲間を利用するなどして内政へと干渉する様は海外の国債金融資本組織と類似しており、狐狸は国内へと干渉しようとする異国の権力者のようにも描かれているようであり、そうであるならば十分に現実性を帯びている存在と言える。史実における蘇妲己は勿論のこと狐狸に乗っ取られてなどいないが、妲己は殷王朝へと反乱を起こした有蘇氏との戦いに殷が勝利した際に有蘇氏から王朝へと献上されて宮内へと入ったと言われており、殷へと敵対していた一族の出身である彼女は、殷王朝への忠義やその民に対する情などは持ち合わせていなかったとしても不自然ではない。元々はその国の人間ではない、あるいはそうした自覚が無いが故にどれだけ国を衰退させた所で罪悪感を覚えることがない彼らは、日本においては小泉竹中政権やその後継である第二次安倍政権などが典型であるが、今まで外国の投資家などから国益を守ってきたあらゆる制度や伝統的な文化を途轍もない速度でもって破壊していくことだろう。
 殷王朝における奸臣達のように国が滅ぶことにも構わず、出世という私利私欲のために民を苦しめる悪政へと誘導しているのが財務官僚であり、現政権の悪政へと反対する官僚を追放するための人事の管理者が官房長官。衰退している国の中において、自分達だけは甘い汁を吸おうと暗君に取り入って、民へと重税を押し付ける代わりに自分たちは減税してもらうなどの私欲拡大を図る富豪達がいれば、それは経団連を初めとした財界人。虐げられている殷の民は日本国民が近い。ただし、殷における民衆は被害者だが、日本国民はそうではない。殷の紂王は民が選んだわけではないが、日本の政治家やその代表である総理大臣は国民自らが選んだからである。故に、日本国民は被害者であると共に加害者や責任者でもあると考えるのが当然であり、殷の民と同じくただ可愛そうな存在ということはなく、責任がありながらも知性が足らず凡庸であるという点で言えば、むしろ紂王と重なる部分さえあるだろう。殷の民により近しい存在を挙げるならば選挙権を持たない幼い子供達であろう。
 現代の日本における問題は、周のように新たな王朝を建てて民のための善政を行うべき真っ当な対抗勢力が見当たらないということである。殷とは違って政権内部で政治の自浄が行われればそれに越したことは無いが、1997年の5%への消費増税以降延々と続いているあからさまな悪政を見るにその可能性は極めて低いだろう。政権を打倒するはずの野党第一党にしても、掲げている政策は現在の悪政と同じく単なる緊縮財政であり、現政権と大差ない。彼らが政権と獲得したとしても、自民党政権時と五十歩百歩の悪政が敷かれる可能性が高い。しかし、長期政権化による政治腐敗の危険性が下がるため、全く政策が同じだとしても長期的な展望を考えれば、まだ野党による新政権を選ぶ方が希望があるのかもしれない。
新しく善政を行う新政権へと助力をする姜子牙達に当たる存在は、本来であれば国内の賢明な学者達であるはずなのだが、残念ながら国内の学者の多くは単なる事なかれのサラリーマンであるため国難においてですら保身を重んじて諫言さえまともに行わず、国家国民のために尽力するような識者などは国内において非常に稀である。