消費税とは政府による国民殺しである
良く例に出される欧州の消費税にしても、イギリスを例に取れば標準税率は20%だが、食料品・医薬品・生活用品・水道・公共交通機関の利用などに対しては軽減税率が適用されて非課税であり、それは日本で導入されているような無差別にあらゆる消費へと課税される税とは全く異なり、むしろ嗜好品などに課されている「物品税」に近いものである。緊縮財政による低成長が傾向としてみられる欧州の他国については、イタリアとスペインは標準税率が21%と22%で軽減税率が共に4%、第二次大戦前のインフレがトラウマとなって極端な緊縮財政に傾倒しているドイツですら標準税率が19%、軽減税率が7%となっている。日本よりは遥かにましとは言えども欧州が経済的な低成長に陥っているのは国家が成熟したからなどという全く根拠のない風説ではなく、政府の支出を増やさない緊縮財政と、軽減税率があるとは言えども国民に対して重税を課していることが原因だろう。これは、先進国各々の政府支出増加率と名目経済成長率において、相関係数0.9という非常に高い正の相関が示されていることからも明確な事実である。相関係数0.9という数値は、定義上非常に強い正の相関に分類される数値であり、あらゆる統計データにおいてでも珍しい数値である。例えば一日の摂取カロリーに対する肥満率や体重の偏差値、一日の平均勉強時間に対する学力テストの得点率、地域における道路距離に対する自動車交通量、あるいは一日に飲む水の量に対する排尿の量など、誰が考えても明らかに強い関係性があると分かるものでも、多くの場合は相関係数0.9より低いというほどに強い関係性を示す数値である。
その論に対して「公共投資の支出額を伸ばすと経済成長率が伸びるのではなく、単に経済成長している国が公共投資を伸ばしているだけだ」と反論する者達がいるが、それは明確な間違いである。その論が正しいならば、どれだけ凄まじい経済成長をしていた所で、例えばもう国内に交通網を十分に敷いたために公共投資予算を減らしたり、近年は災害が少ないから災害対策予算を減らしたりという場合は、経済成長率は非常に高いが公共投資の増加率は低いという例外としてデータに表れなければならないが、主要国中そんな国は一つも存在しない。加えて経済成長していなかろうと災害が起きれば対策として予算は増加させねばならず、インフラストラクチャーが破壊されても同様であるが故に、そんな理屈は現実的にあり得ないだろう。ということは、経済成長しているから公共投資を増やすのではなく、公共投資を増やすから経済成長し、公共投資額を増やさないと経済成長しないとしか考えられないのだ。
国民を貧困から自殺へと追い込み、所得格差を拡大させる消費税は明らかな悪税であり、これほどまでに極めて非倫理的かつ悪質な税制は一刻も早く廃止にするべきである。それでも、消費に対して課税したいというのならば、タバコや酒や宝石などの嗜好品にのみ限定するべきである。生存することに対して必要である生活必需品に対しても課税をするならば、それは政府が国民に対して、特に貧しい人に対して「低所得者はどうか死んで下さい」と熱望していることと同様である。
世間一般によく言われる、公務員に対する税金泥簿という発言や、財源確保のための増税にしても明らかな間違いである。現代のような変動相場制における税制とは、人件費や社会保障費のための財源を集めるために存在しているわけでなく、ただインフレーションやデフレーションを直すこと即ち物価の調整のために存在しているのである。故に、デフレ状況下では、政府は国債発行、即ち通貨発行をデフレを脱却するまで積極的に行うことで財源を確保すれば良いだけのことである。
消費税を廃止し、国債発行即ち通貨発行によって予算を確保して積極財政を行うことで、所得の上昇と雇用の創出をするより他に貧困に喘ぐ国民を救う手立てはあり得ないのだ。
政府は国体を守る責務も負っているため、例えば戦争や国防のように国家を守るために国民へ危険を負わせることも必要な時があるだろう。それは誰かが命の危険を負わなければ外敵から領土や市民を守ることなど出来ないからである。仮にそこで戦死した人がいても、たとえ僅かでも後方にいる民間人達への侵攻を一秒でも遅らせられたならば、あるいは何を為せずとも兵力の一端を担えたならば、それは決して無駄死になどではなく、例えば大東亜戦争において戦死した先人達の中に無駄死にをした者など一人もいなかったはずである。しかし、重い消費税や社会保険料で金銭的に苦境に陥り、自殺に追い込まれた人々は何のために死ぬのだろうか。彼らが死ぬことで公に役立てたのだろうか。あるいは彼らは死ななければならなかったのだろうか。政府が消費税を廃止したり、保険料の減免をしたりさえすれば死なずに済んだ彼らに対して情を排して俯瞰してみれば、その死は全くの無意味であり、国家や将来に対して何の貢献もしていない単なる無駄死にである。特にそれを他の日本人が他人事としか見ておらず、重く受け止めないというのならば尚更のことである。
勿論それは生死の問題だけでなく、不況によって死なずとも進学が出来なかったり希望する職種に就けなかったり、あるいは結婚がしたくても出来なかったりと言ったように自らの人生を狂わされた人々も多くいるはずである。国民を経済苦に追いやるということは、政府が重税や保険料さえ課さなければ、あるいはまともな経済政策さえしていれば生まれてくるはずだった子孫達の命をその前に殺しているという目に見えない惨事にも繋がっているのだ。少子化問題に対する子育て支援金にしても、仮にそれで子供が育った所で大人になった彼らを待ち構えているのは、貧困に陥っているにもかかわらず異常に高い消費税と社会保険料によって更なる貧困に叩き落とされるという悲惨な現実なので、その内のいくらかは結局経済苦による自殺に追い込まれることになるだろう。子供を作って育てろと言いながらも、彼らが育てば悪政によって貧困へと追いやることで無惨にも殺そうとする日本政府は一見すれば一体何がしたいのか全くわからない極度の倒錯ぶりだが、単に保身のためにその場限りで出来るだけ予算の掛からず、かつ対策をしているという風だけを装える政策だけを行っていると考えれば特におかしくはないだろう。これでは、現代日本の政治家の殆どには極一部の例外を除き、良心や知性というものは存在しないと判断するしかない。
そうした現実を同じ日本人として惨いと思うのならば、特に本来ならば最も忌避すべき無駄死にを政府が国民へと押し付けているという余りに悲惨な現状は、国民が集団として纏まり、自ら達の権利を行使するという正しい形で政治へ訴えかけて働きかけるという形でもって直ちに改めなければならない。
作品名:消費税とは政府による国民殺しである 作家名:ナナシ