消費税とは政府による国民殺しである
本論は消費増税の是非、延いては消費税という付加価値税そのものが存在することの是非を問うため、それが及ぼす影響と性質について考察するものである。
消費とは、食べ物や衣服や家具や家電を買ったり、お金を払って髪を切ってもらったり、自宅で電気や水道を使ったり、家を修理してもらったりするという、誰もが行い、かつ誰にとっても生きるために必要な行動である。
そして、特定の行動に対して税を掛けると、国民はその行動を控えるようになる。酒税を掛けると国民は酒類が値上がりしたことでそれを買うことを控えて酒を飲まなくなり、たばこ税を掛けるとたばこを買えず吸わなくなり、自動車走行税を掛けると車に乗らなくなる。これは言わば特定行動に対する「罰金」とでも言うべき性質であり、罰則を設けて罰金を掛けると人々はその行動を控えるようになるのだ。
こうした罰則制度を作るに当たって、政府からすれば、特定の行動に対して出来る限り行動を控えるように希望し、意図的に税を課すことでそれへと誘導しているのだ。
酒類という品目を例を取って考えてみよう。課税する側の政府は「お酒を買って飲みたい」と思っている人達へ「出来る限り飲酒を控えて欲しい」と希望し、酒税分を価格に上乗せするという強制的な値上げによって、お酒を飲みたいと思っている人達がお酒を買えないように誘導している。
では消費税はと言えば、消費とは生存に必要な行動であり、生活必需品に対しても課税されるものである。つまり生存に対する罰金であり、政府は「生きるために必需品などの商品を買いたい」と思っている国民へ政府は「出来る限り必需品などを買わないで欲しい」と希望し、強制的な値上げで消費をしないように誘導している。言い換えれば「生きたい」と思っている国民へ「出来る限り生きないで欲しい」と希望し、生きられないように誘導している。
それをもっと分かりやすく言えば「死にたくない」と思って生きようとしている国民へ政府は「死んで欲しい」と希望し、彼らが死んでいくように誘導しているのだ。国体と国民を守る責務を負った政府が、守るべき国民達を死へと追いやるということはあまりに異常なことである。
これは、国民が主人であって政治家はその下僕であるという民主主義の基本に基づいて考えるならば、本来仕えるべき主人へと臣下が毒を盛って死へと追いやっているかのように異常な状況である。
酒や宝石などに課税される物品税とは異なり消費税の非常に害悪な点は、生活必需品に対してすら課税されるという点である。米や野菜や肉などの食料品をはじめ、光熱費や衣服や生理用品など生きるためになくてはならないものであっても関係なく課税をして国民を生きられなくしている悪税こそが消費税なのだ。
実際、1997年4月に3%から5%に増税すると、国内経済は一気に不況へ突入して、約3%だった完全失業率が2%上昇して約5%になり、それまで年間約二万五千人だった自殺者数が一万人増えて約三万五千人に増加した。そして、この高い失業率と自殺率は2011年頃まで維持し続けた。つまり、元から景気が悪い状態での消費増税という政府による前代未聞の愚策によって国民が十数万人も殺されたのだ。こうしたデータを見れば、消費増税によって不況が起こったことで人々が失業して経済的貧困に追い込まれて、最終的に自殺するという一連の流れが見て取れるだろう。
そして、その裏には、国内の低所得者層には貯蓄が無く、辛うじて生きているという背景があるだろう。そう言える理由は、たとえ失業しようと貯蓄があればすぐに失業には至らないからである。そしてその状況を作り出しているのは、政府が貧困層からも容赦なく税金や保険料を徴収し、貧困に陥った所で碌に支援をしていないという見殺しの事実だろう。そうでなければ、このように失業率と自殺率が連動するなどという悲惨な兆候は決して出てこない。
このことに加えて、長年のデフレーションと経済的停滞という悪政が事実として存在する限りにおいて、貧困は当人の自己責任だなどという論や、政府は生活保護などの支援をちゃんと用意しているなどという論は単なる詭弁であり、特に貧困層が直面している悲惨な現実とは全く異なるということの証左である。
加えて、この場合の自殺というものは遺書を残していたり、飛び降りる際に靴を揃えていたりというように状況から自殺と判断出来る場合のみであって、遺書を残していない自殺者などは数に入っていない。故に実際の自殺者数はその二倍とも三倍以上とも言われているということは留意して欲しい。年間の自殺者数が一万人増えるということは、自殺をする人が一日あたり二十七人増えているということであり、おおよそ一時間当たり一人増えているということになる。
前述したように、消費は生きるために必要な行動であり、それを抑制しようということは、政府が国民を自殺へと追い込んでいることと同意なのだ。国民は、食べ物や衣服や光熱費などにお金を使わなければ生きていけないため、年収二百万や三百万の人は、その殆どを消費に回さなくては生活出来ないだろうことに対して、年収一千万の人はその半分である五百万でも消費に回せば生活していける。このように所得が低い人ほど所得に対する消費の割合が大きくなる傾向がある。つまり、所得の低い人ほど、所得額に対して払っている消費税の割合が高いのだ。これは、貧富の格差を縮める所得の再分配という税制の存在意義の一つに真っ向から逆らい、経済的な格差を拡大しており、所得税などをはじめとした累進課税制度が持つ性質である所得格差を縮める「累進性」とは正反対に所得格差を広げる「逆進性」という性質を持つ制度なのである。
実際に消費税10%の時、年収一千万以上の世帯では所得に対して支払った消費税の割合は2・8%だが、所得が四百万円以下の世帯では5・7%と約二倍に増加しており、更に年収二百万円以下の世帯に限定すれば負担率は8%以上にもなるのだ。これからも、逆進性を持った消費税がいかに低所得者層を苦しめているかが見て取れるだろう。
作品名:消費税とは政府による国民殺しである 作家名:ナナシ