青い鳥は切り刻まれて
「俺は出かけるけど、逃げようなんて思うんじゃネーぞ?俺の手の中に何があるか、しっかり憶えとけよ?」
部屋の住人が笑う。
バタンと扉の閉まる音。
俺は動きたくても動けなかった。
ベッドの上に居ることだけは有難かったけど。
彼が何しに出て行ったのか、考えるのが恐ろしかった。
俺の鞄の中を調べ出て行ったのだ。
いや…いくらなんでも…。
それでも怖かった。
鞄の中には手帳も携帯も、俺の身分を証明するものがいくつか入っていた。
俺の歌声が欲しい…だけで、俺の生活をどうにかしようと思ってるとか…。
無いと願いたかった。
俺は動けない体を横たえて天井を眺め続けた。
何もかもが痛い。
体だけじゃない。
心も痛かった。
しばらくすると、住人ではなく昨夜、車を運転していた方の人がやってきた。
「やぁ、そう様子ですと洗礼を受けたあとのようですね」
昨日とはだいぶ、雰囲気が違って驚いた。
俺は痛む体に力を入れて横を向いた。
起き上がろうとしたけど、流石に無理だった。
「何かを期待してます?残念ですけど、仲間を裏切るような事は出来ませんから」
俺をここから出す気は無いらしい。
俺は訪問者を眺め続けた。
勝手知ったる他人の家なんだろうか。
適当な飲み物と摘むものを持って、食べ始める。
「何も聞かないんですね?」
訪問者が突然、話しかけてきた。
「聞くことねぇから」
「そうですか?」
訪問者は嫌味に言う。
「俺はここから帰るから。昨夜だって断って」
「捩じ伏せられたんでしょう?」
今度は、訪問者が呆れたように言う。
「俺は歌わない。自分の為以外」
そうだ。
あんな風に、人の目を集めて歌いたくなんかない。
「…本当に、才能を腐らせるタイプなんですね」
訪問者は感心したように言った。
それからグラスの中のものを一口飲んで、俺の方へとやってきた。
「アナタの帰る場所なんて、もう無いですよ?数時間後には、ここにアナタの荷物がくるでしょうね」
憐れそうに俺を見つめる。
「仕事も失って、歌うしかなくなっているでしょうね」
俺は目を丸くした。
「何言って…」
「彼の連絡を受けて、私が来たんだと思いもしないんですか?」
確かに、言われてみれば、それは至極当然の理由だった。
「曲ができました。聞いておいて下さい」
一枚のディスクを差し出された。
「俺は嫌だ…」
「彼の前でも、そうやって駄々をこねられますか?」
俺は絶句した。
「歌うしかないんですよ。アナタは」
動けない俺を見て訪問者は微笑むと、オーディオ機器にディスクを入れて曲を流しだした。
俺の耳に入ってきた簡単な伴奏とメロディは美しくて、切なくて、破滅的だった。
「今までの私たちの曲とは違った感じで作ってみました。アナタのお披露目の曲ですからね」
そう言って、訪問者はメロディを追う様に歌う。
けれど、所々で途切れる。
「私には歌えないメロディラインですよ」
そして苦笑いを浮かべる。
「アナタなら…歌えるでしょう?」
曲が終わり、もう一度、同じ曲が繰り返される。
二度目に流れてきた曲は、俺の体の中に入ってくる。
三度目に流れてきた時には、俺はこの曲を口ずさんでいた。
訪問者が俺の頭を撫でた。
「想像通り、良い声ですね」
この人は、本当に昨夜の運転手と同じ人なんだろうか。
とても優しい笑みをくれた。
「勘違いしないでくださいよ?私が認めているのはアナタの歌だけですから」
俺の顔を見て、彼は急に離れてしまった。
「お荷物以外の何物でもないんですからね」
そう言ってTVをつけた。
それから何かを探してデッキの中に入れる。
すると映し出されたのは部屋の住人と訪問者がステージ上にいる、黄色い声援のうるさい映像だった。
「アナタをこの舞台の上に引きずり上げようって言うんですから…どれだけ無謀かは分かってくれますよね?」
訪問者は再び座り、飲み物を喉に流し込むと紙とペンを机に出し考え込み始めた。
俺は、その舞台の映像に見入った。
とうてい、俺の存在できる場所じゃない。
俺が居るべき場所にはなりえない。
煌びやかな世界だった。
色々な機械を操る訪問者の手さばきは軽やかで見事で、この部屋の住人は昨日見たよりも魅力的だった。
もう一人、常にいるメンバーは歌も踊りも部屋の住人とは違って、やっぱり凄い。
それから、時々出てくるもう一人。
なんだろう。
荒削りな感じ?
歌も歌というより激しいお経…みたいな。
これが一番、俺が今流行ってる歌が好きになれない原因だ。
やたらと早口で捲くし立てる言葉。
「…ラップはお嫌いですか?」
俺の方を見て無いのに訪問者が言った。
聞かれて答えないのも悪い気がして
「うん」
と俺は答えた。
「慣れますよ」
訪問者も短い答えを返してきた。
別に慣れたくない…とは言えなかった。
俺は、その後もボンヤリとTVの画面を見続けた。
作品名:青い鳥は切り刻まれて 作家名:櫻都 和紀