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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Soft targets

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― 十年前 ―
       
 目を開けて体を起こすと、しんと張りつめた教室の空気を割った気分になった。わたし以外はまだ目を閉じて、机に伏せている。担任がそうするように言ったのだ。クラスで熱帯魚用の水槽を買うお金を積み立てていたのが、二日前に消えた。今どき何でも古風なやり方にこだわる担任で、昔の学校でやっていた『クラス課題』を再現するのが目的。ひとり当たり二百円を出せば買える計算だった。今は、目標額のちょうど半分を越したぐらいで、その額は三千円。そのために、三十二人の小学六年生が机に突っ伏して、先生だけが見える状態で名乗り出るという『ゲーム』をしている。わたしが顔を起こして手を上げたとき、担任はぎょっとしていた。予想が外れた顔だ。
「わたしが盗りました。明日返します」
 その言葉で、催眠から解けたように全員が机から顔を上げた。首がぐるりと回って、目線がわたしに集中する。そう、みんなも意外だったのだ。わたしはお金を盗むような性格じゃないと思われていたし、そういうことには不自由していない『設定』だったから。鷲井家は、それなりに問題を抱えた家だ。でも、それはお金じゃない。
「鷲井さん、顔を伏せてって」
 担任のうろたえた口調は、その先の計画が崩れたことを意味している。その頭の中は、オンとオフのスイッチしかないみたいに単純に見える。犯人は、鷲井紗季だった。それは本人が手を挙げたから間違いない。でも、これだけのお膳立てをしたのに一体どうして、鷲井は声を上げたのか。
 それはクラス全体が、特定のひとりを疑っているからだ。湯本貴理子。席替えでかなり離れた位置に座っているけど、その背中はいつも丸くて、影に入り込もうとしているかのようだ。お金や物がなくなるとなれば、それは湯本の仕業というのが、このクラスの『設定』。実際、湯本には前科もある。
「えーっと……。委員長、続きを」
 担任は五十二歳。委員長の女子は杉本さんで、当然十二歳だ。四十歳年下の女子を、大人が頼り切った目で見ている。杉本さんが来週の予定行事をひと通り呟いた後、言った。
「えー、鷲井さんは明日までに、お金の返却をお願いします」
 その声が震えていて、かわいそうになった。杉本さんだって、湯本が犯人と思っていたに違いない。解散になって、皆がぞろぞろと帰り始めた。本来なら家の人を呼ぶから待っていなさいと、わたしは教室にひとり残される。そう期待して座ったままでいると、いつの間にか担任と二人だけになった。結局担任は、『明日、朝早めに職員室に来なさい』と言っただけで、わたしを解放した。帰り道はひとりで歩いたけど、それはいつものことだ。
 鷲井家の問題はお金じゃない。二年前に離婚した母と、その母が一年前に再婚した新しい『父』だ。そして、わたしもその問題の一部。母はモデルのように手足が長くて、どこにいても目立つ。動物なら群れからすぐ置いていかれて、ハンターに撃たれるタイプ。再婚相手の『父』は半年ほどその後を追って、捕まえたらしい。簡単だっただろう。群れからはぐれるのは、見つけてもらうためなんだから。
 家の近くまで来たとき、横断歩道の手前に丸い背中がいるのが見えた。湯本がおどおどとした口調で、隣に並んだわたしに言った。
「あ、あの。鷲井さん。あのね」
「湯本、中学もあいつらと一緒なんでしょ? こういう評判って、ずっとついて回るんだよ」
「ごめんなさい」
 そう言って頭を下げる湯本は、公立の中学校に行く。わたしは私立。だから六年生を最後に、あのクラスの面々とはさよならだ。
「卒業したら、この横断歩道も通らなくなっちゃうな」
 わたしが言うと、湯本は自分の家がある方向に目を向けた。その隣の水道工事業者が湯本家。今まで、家の水が流れなくなったことはないし、それが湯本家の保守のお陰だという感じもしない。ショーウィンドウには蛇口が並んでいるけど、ずっと同じものが埃を被っているように見える。信号が青になって、わたしは道路を渡る湯本の隣を歩きながら言った。
「三千円かー。何が欲しかったの?」
「貯金」
「将来を買うってことだね。三千円じゃ足りなくない?」
「あの、鷲井さん。どうするの。犯人だって、言っちゃったのに」
「わたし? あーまあそこは、なんとかするよ。気にしないで。じゃ、また明日」
 横断歩道を渡りきったところで別れ、湯本は蛇口の家へ猫背で歩いていき、わたしは高級住宅街のゲートをくぐった。開きっぱなしだから誰も気にしないけど、ここから先は一応、選ばれた者だけが入れる地域だ。
 湯本は、蛇口の家に向かいながら一度振り返ったけど、何も言わなかった。『ありがとう』と言いたかったぽいけど、さすがにそれは違うって思ったのかもしれない。
     
 母の雪乃は三十六歳。再婚相手のカトーは二十七歳。車が二台停まる大きな家は、カトーが買った。わたし達は招き入れられる形で、この家に住んでいる。
「クラスの子がお金盗ったの。わたしが身代わりになった」
 雪乃に言うと、紅茶を飲む手が止まった。
「えー、どうして紗季が」
「正義感かな。三千円ちょーだい」
「自分でそうしたんでしょ。金庫から持っていって」
 わたしのお小遣いは、一階の耐火金庫に入っている。それは義務教育が終わるまでの積み立て分で、つまりわたしが中学を出る年までの分なのだけど、例えば今日、全額を使っても構わない。でも、補充されることはないから、よく考えて使わないと詰む。ハンズフリーを耳に付けたまま、カトーが二階から降りてきて、言った。
「おかえり」
「ただいま、パパ」
 わたしは何重にも意味を込めているけど、カトーは気づいていない。気づかない振りをしているのかも。雪乃が再婚するという話を聞いたのは、五年生の夏休み。こうやって、二時間ドラマが始まるんだなと、その時は思った。人生でありとあらゆる失敗をやらかした人間が辿り着く、二時間で語りきれるぐらいの空っぽな踊り場だ。でも、カトーはありとあらゆる意味で違った。俳優みたいに、見られるために調整されたみたいな外見で、何をしていても絵になる。優しいかどうかは、よく分からない。無口で、こちらから話しかけないと電池が切れた人形のようにじっとしているし、ほとんどの時間、左耳にハンズフリーのイヤーピースが付けられているから、機械と人間のハイブリッドみたいに見える。そんなカトーは、わたしの苗字が変わるタイミングを進学まで待っていて、籍を入れようとがっつく雪乃を説得した。そして、カトーは料理もできる。教えてはくれないけど、その手腕を見学することは許されている。カトーが何かをしている時、わたしはできるだけ隣にいるようにしている。積極的に話しかけることはないけど、動いているのを見ていたいから。そうなると、雪乃は何なのかという疑問が湧いてくる。
 わたしは、雪乃の身体のバランスを保ったまま、数パーセント縮小コピーしたような見た目をしている。でも、カトーが料理を教えてくれないのと同じように、雪乃もどうやってこの男を捕まえたかは、教えてくれないんだろうな。わたしは、書斎で本を選んでいるカトーの隣に立った。
「読書?」
「ネットで探したけど、ダメだった」
作品名:Soft targets 作家名:オオサカタロウ