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春なのに黒

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「彼が好きだった」
昼下がりのオープンカフェで佳那芽は 高校時代に知り合った美也子と会っていた。
「なぁに。久々に会ったと思ったら」
美也子とは、気の置けない仲だと佳那芽は思っていた。
「だいたい その彼って誰の事よ」
「あれ?話してなかったっけ?」

そんな会話が始まる2時間前。
いや1時間と56分前。
まあ どっちでもさほどの違いはないけれど 佳那芽は公園の前の公衆電話ボックスに 自分の姿を映すように立っていた。
春の風。
春一番ほど強くはないけれど、黒髪の先を揺らし、深めに被った帽子を押さえないと脱がされそうな街路樹の湿ったにおいの混じった風。
零れた涙など映らないほど擦れてくもったボックスの壁面が 心と向き合うには良かった。

「失恋?」
そんな言葉をやっと声に出せた時、佳那芽の唇が笑みへと動いた。
「受け止められないって、なに?」
佳那芽は、彼の言葉を思い出して 笑いそうなほどだった。
「振り返らないで? って何をどう?」
佳那芽の後ろを自転車が通り過ぎていったので とっさにボックスに手をつくように避けた。はめていた黒っぽいセミロング手袋を軽く掃うと 帽子を整え、公衆電話ボックスへと入った。
「いまどき・・・」
受話器を外し、100円玉を入れた。
可笑しな電子音とともに 美也子の電話番号を押した。
「もしもし」
『・・・・・』
「繋がった? かなめだよ」
『誰かと思ったわ。公衆電話からなんておっどろきよ。何?』
「あいたい」
予想はしていたものの、会話の間と思考の時間はコイン一枚分の終了には容易かった。
なんとか用件だけは伝えられた。
そして、待ち合わせした花と珈琲の店であったのだ。

作品名:春なのに黒 作家名:甜茶