狐鬼 第一章
途端、激しく咳き込む
彼女が苦しげに薄っすらと片目だけを開ける
上半身が仰け反る姿勢に
負傷した肋骨が呼吸をする度、痛みと共に軋む
思わず苦痛に顔を歪める彼女に彼が微笑む
「おはよう、すずめ」
其の声は何処迄も優しく、心地良く響く
だのに、彼女の目からは止め処無く涙が溢れては頬に溢れていく
「泣きたいのは、僕の方だよ」
明白に飽き飽きした顔で吐き捨てる彼に
彼女が震える声で答える
「ごめんね、たか」
もう戻れないのに
もう愛でられないのに
其れでも諦めない自分が一番、悪いんだけど
「如何しても忘れられないの」
「優しかった事」
「楽しかった事」
「またね、って言ってくれた事」
此れは彼女なりの、愛の告白なのだろうか?
考える彼が仕方無く白状する
「すずめ」
「僕は巫女を探していたんだ」
何時から此処にいたのか
何処から会話を聞いていたのか、定かではないが
「巫、女?」
聞き返す彼女に彼が頷く
「すずめか、ちどりか」
「何方なのかは分からなかったけど結局、間違いだった」
「そ、うなの?」
「うん」
「僕がすずめに近付いた事で」
「何かを期待させたり、何かを勘違いさせたのなら謝るよ」
「でも、必要な事だったんだ」
其れだけの事だ
其れだけの事なのに彼女にとっては世界の中心だった
「ごめんね、すずめ」
真逆、こんな片田舎にまで
好き好んで訪ねて来るとは思わなかった、とでも言いたげに唇を歪める
「他に?」
「言いたい事は、ある?」
彼女の髪を掴み上げたまま
優しく問い掛ける彼に、其の首を振り微笑む
「風鈴を有難う」
瑠璃紺色の川を泳ぐ、赤紅色の金魚が描かれた硝子風鈴
何もかも嘘でも
何もかも瞞物でも、あれだけは本物だ
喩え、嗄れた声を誤魔化す為とはいえ思い出だ
彼の歪めた唇が呆れたように、への字になる
「すずめは何時だって、そうだね」
へらへら笑って赦す振りをして
ぺこぺこ謝って自分自身の罪にする
詰りは自己否定の塊、鬱陶しい事此の上無い
「でも、巫女じゃないなんて残念だよ」
自分が巫女なら
自分が巫女なら如何なると言うのだ
束の間でも彼の傍らにいられるのだろうか
一縷の望みを抱く
彼女の眼差しを受けて、彼がやんちゃそうな笑顔で吐き捨てた
「今直ぐにでも命の珠を取り出してやるのに」
唯の人間では意味がない
愛し、愛される神狐が付かなければ巫女とて意味がない
そして白狐の手前、殺す事は出来ない