狐鬼 第一章
「みや狐(コ)!」
夜の闇に響く、声
同時に突風が頬の痛みと共に吹き抜け、辺りが静まり返る
唯、白狐の息遣いが近い
恐る恐る、瞼を開いた彼女の目を翡翠色の眼が見据える
腰が抜けたのか
其の場に崩れる、すずめを支えるように彼も膝を突く
そして努めて穏やかな声で話し掛ける
「巫女が呼んでいるよ」
背後の巫女が其の手の平を差し伸べるも興奮状態なのか
白狐は中中、応じない
彼を睨め付け、其の顔を近付ける白狐が低く咽喉を鳴らす
抑、何が原因でこうも機嫌が悪いのか、すずめには訳が分からない
唸る白狐が牙を剥き、ずいっと身を乗り出す
「みや狐!」
明らかに叱責だった
其の証拠にぴん!と立っていた白狐の両耳が一瞬で伏す
そうして背後の巫女を窺うように、翡翠色の眼がゆっくりと泳いだ
「あは」
不意に彼が吹き出す
「あはは」
彼女は此の状況で笑い出す彼に驚くも
件の彼に半目を向ける白狐の横面が可笑しくて思わず釣られる
即座に白狐が顔面を向ける
彼女は咄嗟に顔を伏せて誤魔化すが、其の肩が震えていた
何時しか自分の存在等余所に笑い合う二人に
剥き出す牙で歯軋りする白狐は、ぷいっと夜の空に跳ね上がる
ばつが悪そうに巫女を見遣るが
結局、戻る事無く一本の光筋を残しつつ森の向こう、山の影へと消えた
飛行機雲のような、其れを見上げ彼女が呟く
「ねえ悪い事したよね、きっと」
彼も頷き、そして提案する
「そうだね、謝ろうか?」
両手を合わせる二人は声を揃えて夜空に向かって、言う
「ごめんなさい!」
舞台床が彼方此方
剥がれた舞台上に一人残された巫女が光筋の残像を仰いだまま
ゆっくりと、其の手の平を閉じる
漸く、舞台裏の通路から駆け寄る
母親の問い掛けよりも先に少女が頭を振って答えた
「もう、お仕舞い」
頬に触れる、黒紅色の髪を耳へと掛ける
お仕舞いだ
白狐は社に帰ってしまったし
皆は余りの出来事に戦戦恐恐としている
今宵の祭りは、お仕舞いだ