左端から見れば全部右寄り Part-6
8.これって公約なの?
今月下旬、自民党総裁選が終わると間もなく、来月下旬には衆院選があります。
で、支持率に差があり過ぎますが、『一応』野党第一党である立憲民主党は『政権取ってこれをやる』と言う公約らしきものを発表しています。
その第一弾、『政権発足後、初閣議でただちに決定する事項』はと言えば……。
1.補正予算の編成
2.新型コロナ対策司令塔の設置
3.2022年度予算編成の見直し
4.日本学術会議人事で任命拒否された6名の任命
5.スリランカ人ウィシュマさん死亡事案における監視カメラ映像ならびに関係資料の公開
6. 「赤木ファイル」関連文書の開示
7.森友・加計・「桜」問題真相解明チームの設置
だ、そうです。
1~3はわかります、コロナ禍の収束と痛手を受けた経済の立て直しは急務ですからね。
ですが、4~7って……。
政権奪取とか言ってる割に、現政権の批判ばかりですよね。
『政権取って』じゃなかったんですかね?
そして第二弾も発表されました、
『自民党では実現しなかった、多様性を認め合い差別のない社会へ』だそうです。
1.選択的夫婦別姓制度を早期に実現
2.LGBT平等法の制定/同性婚を可能とする法制度の実現を目指す
3.DV対策や性暴力被害者支援など、困難を抱える女性への支援を充実
4.インターネット上の誹謗中傷を含む、性別・部落・民族・障がい・国籍、あらゆる差別の解消を目指すとともに、差別を防止し、差別に対応するため国内人権機関を設置
5・入国管理・難民認定制度を改善・透明化するとともに、入国管理制度を抜本的に見直し、多文化共生の取り組みを進める
だ、そうです。
『サイレント・マイノリティ』に優しい政策ですね、反面、マジョリティに向き合っているようには見えません。
私の感覚では『サイレント』なのはむしろマジョリティの方だと思うんですが……。
で、5で出ました。
立民党がお好きな『多様性』の実現ですね。
学生運動華やかなりし1960年代、『共産化革命』の旗印の理念に『インターナショナル』がありました、国などと言う括りは取っ払って世界中が一つの政府の下にまとまろう、ってことだと私は理解してます。
前にも書きましたが、『多様性』は必ずしも悪い言葉ではありません、人材や文化がまじりあって新しいものを生み出す、そこに多様性は必要でしょう。
ですが、それはまじりあうべき人材や文化を尊重し合ってこそ生まれるものであって、何でもごちゃ混ぜにすればいいと言うものではありません。
現在、多くの在日外国人が日本に暮らしています。
日本文化を尊重し、社会に溶け込んだ上で、その方の特性や母国の文化をもたらすならば、それは良いことだと思いますよ。
例えば、日本の農業に感銘を受けて農村に住み付き、地域の方々と仲良く交流しながら、お祭りの時など母国の名物料理を振舞う、素晴らしいじゃないですか。
ですが、日本の生活習慣を無視して母国と同じように振舞い、それを不快に感じる住民がいても無視して『我が国ではこうなのだ』と主張するならば、それは迷惑でしかありませんし、まして犯罪行為を行うならば害悪でしかありません。
もちろん日本人の中にも犯罪者はいます、ですが犯罪率の高さを見れば『異分子』と思われても仕方ないんじゃないでしょうかね。
『多文化共生』と立民党は書いていますが、『共生』じゃなくて『強制』の変換ミスじゃないんでしょうか? 『入国管理制度の見直し』の内容も全く不明確ですね、まあ、それをどうしたいのかは想像つきますけど。
4.にも不穏なことが書かれてますよ、『差別を防止し、差別に対応するため国内人権機関を設置』です。
その前段の『インターネット上の誹謗中傷を含む、性別・部落・民族・障がい・国籍、あらゆる差別の解消を目指す』は良いですよ、確かにそれらの差別や誹謗中傷はいけません。
ですが、それを取り締まる機関となると疑問が生じます。
つまり、差別や誹謗中傷と判断する基準をどこに置くかと言うことです。
2019年12月、川崎市では外国人の雇用機会を義務付ける様な条例を制定しました。
例えば接客の仕事などで日本語が流暢でないと務まらない場合もありますよね。
日本人がパリでブティックの店員になりたい、と面接を受けたとします。
フランス語を流暢に操り、パリジャン、パリジェンヌの好みを熟知した上で日本人の感性をそこに付け加えた提案ができるならば良いですよ、それこそ『多様性』です。
ですが、フランス語はろくに喋れず、日本のブティックで働いた経験もなく、『採用されないのは差別だ』と訴えたら? それでもブティック側の差別になるんでしょうかね? 川崎市の条例がどの程度の強制力を発揮しているのかはわかりませんが、日本のブティックに同じことを強制しているのであれば問題ですよね、日本人の雇用機会を奪うことでもありますし。
それが差別なのか、誹謗中傷なのかは常識の範囲でしか捉えることはできないのです。
『日本語が喋れないからお引き取り願う』のは私の常識では差別ではありません、能力の問題です。
誹謗中傷はもっと難しいですね、例えば『あたしの彼を奪うなんて! この売女!』と言う書き込みがあったとします、ですが『彼』を交えた当事者間で何があったのかなどわかりません、元カノの言動についてあることない事吹き込んで、その結果『彼』が心変わりしたのなら、それを吹き込んだ女性は罵倒されてもやむを得ないでしょう、ですが元カノのわがままなどに振り回され続けて疲弊していた『彼』が気持ちを移したのであれば罵倒される筋合いはないわけです、その両極端の間には無数のケースが考えられますし、ケースごとに、そして人ごとに感じ方は違うでしょう、同じ事象でも元カノに同情的になる人もいるでしょうし、新カノを支持する人もいるでしょうしね。
つまり、『機関』を設けて監視する、取り締まると言うのは危険があるのです、『差別と感じたから差別』『誹謗中傷と感じたから誹謗中傷』とするならば、全く常識が通じない社会になるかも知れず、そう主張する外国人にとっての天国になるかも知れないと言うことです。
さて、『第三弾』はあるんでしょうかね?
私が思うに、立民党は政権を取れるなどとは考えてないんでしょうね、コロナ対策にしても経済立て直しにしても、『やります』と言っているだけで具体的な方策は打ち出していません、本音はそこにはなく、ジャブの一発、ボディブローの一発でも入れられれば御の字と考えているんじゃないでしょうか?
本気で倒そうとして大振りのパンチを繰り出すと、カウンターパンチを受けるかもしれませんのでね。
作品名:左端から見れば全部右寄り Part-6 作家名:ST