北へふたり旅 81~85話
北へふたり旅(85) 札幌へ⑩
札幌市の時計台は札幌駅から、大通公園へ向かう途中にある。
正式名称は「旧札幌農学校演武場」。
名前からわかるように札幌農学校(現在の北海道大学の前身)の
演武場として建てられた。
明治2年。開拓使が置かれ、北海道の開拓がはじまった。
広大な北海道の土地を開拓するため、指導者を育成する必要があった。
育成の場所として「札幌農学校」が1876年、開校した。
マサチューセッツ農科大学から、ウィリアム・スミス・クラーク博士が
指導者のひとりとして招かれた。
「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」のクラーク博士だ。
クラーク博士が入学式や卒業式のセレモニーや、兵式訓練に使う施設として
演武場の必要性を提案した。
1878年。演武場が建てられた。
このとき、時計のついた塔の部分はまだなかった。
授業の開始や終了を知らせる、小さい鐘楼があるだけだった。
時は太陽暦へ切り替えが行われていた明治時代。
全国で西洋式時計塔の建築がブームをむかえていた。
時流に乗り、この演武場にも時計をつけようという話がもちあがった。
アメリカ・ハワード社に時計を発注した。
ところが届いた時計は、まさかのアメリカンサイズ。
大き過ぎて鐘楼に取りつけることができない。
大議論の末、できたばかりの演武場を改築し、なんとか時計を設置した。
以後130年余り。大きな改修を経ることなく今に至った時計台。
明治・大正期、全国に72の機械式塔時計が設置された。
しかしいまも動いているのは、わずかに3機。
もっとも古いのがこの時計台。
時計台はビルの谷間の中にある。そしてとつぜん姿をあらわす。
♪~時計台のしたで逢って、私の恋ははじまりました~
黙ってあなたについてくだけで 私はとても幸せだった~♪
妻が石原裕次郎の「恋の町札幌」をくちずさむ。
アカシアの街路樹の間から、妻の口ずさむ白い時計台が顔を出す。
(意外と小さいですね・・・もっと大きいと思っていました)
ホテルへ荷物を預けたあと、大通公園をめざして散歩に出た。
南へ歩きはじめて5分。街路樹のすき間から白い時計台があらわれた。
緑のすき間から4面の時計を見ることができる。
時計台の隣り、街路樹のむこうに市役所の建物が見える。
札幌の通りにはたくさんの街路樹が植えられている。
「札幌で一番古い街路樹は、明治19年に植えられた駅前のニセアカシア。
きっかけは、ウィーン万博。
津田仙(津田塾大学の創設者である津田梅の父)が、あまりにきれいなので、
タネを持ち帰り、それから作られた苗木が植えられました。
札幌の町では昔からニセアカシアの花が咲き乱れたので、
アカシアを題材にした歌もたくさんうまれています」
「そういえば裕次郎の赤いハンカチも歌いだしは、
アカシアの花の下で、あの娘がそっとまぶたをふいた赤いハンカチよ~だ」
「緑のつややかな葉ばかりで、花が見当たりませんが・・・」
「アカシアの花の季節は6月。白い花が咲きほこるそうだ」
「あら。残念です。6月ですか。花の季節は・・・」
「北海道の6月は梅雨もない。
風が爽やかで、1年の中で最も気持ちの良い季節といわれている。
青空の中に咲き誇る満開のアカシアの白い花。
見たい景色のひとつだ。素敵だろうね」
「来年6月。アカシアの花を見るためもう一度やってきましょう。ここへ」
「6月か。茄子の最盛期だ。忙しいぞ。
2人で休暇をとって何日も休んだら、Sさんに殺されかねない。
無理だろうな・・・アカシアの花を見に来るのは」
「現役で働いているうちは無理ですか・・・
しかたありません。あきらめて働きましょう。
でも、もういちど来たいですねぇ。アカシアの咲いている札幌へ」
「その頃には北海道新幹線が、札幌までやって来る」
「あら。いつですか。それ」
「開業予定は2030年度の末。いまから10年後だ」
「10年後ですか・・・あと10年後も元気かしら、あたしたち。
なんとも微妙ですね。うふっ」
(86)へつづく
作品名:北へふたり旅 81~85話 作家名:落合順平