薔薇の野心
ローズ・チョウは、中国系で政治家だった父から明晰な頭脳と姓を、そしてアフリカ系アメリカ人で女優だった母から人を惹き付ける振舞いと美貌を受け継いでこの世に生を受けた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ローズは子供の頃から『賢い子』と評判だった。
学校の成績は優秀、大人相手に話していても驚くほどに頭が切れたのだ。
だが、彼女の『頭の良さ』をつぶさに考察すれば、そこに『攻撃性と戦略』も見えて来るはずだ。
自分に都合の良い結論をまず設定し、そこへ誘導して行く話術が巧みなのだ。
他者の考えを容れることはなく、多方面から攻撃し、言いくるめて自分の考えに誘導し、結果的に常に正しいのは彼女だと言う結論に持って行く、それゆえに彼女は常に『正しい』と言うことになる。
その能力をフルに発揮することによって、彼女は小学生の頃から大学に至るまで常にリーダー的立場にあった。
この国では表向き平等を装っていても人種差別は根深い、中国系とアフリカ系のハーフである彼女はともすると差別の対象となった。
そんな時には彼女の能力が物を言った。
その差別意識がいかに理不尽なものなのか、相手が降参するまで論破して行く。
それ自体は間違った事ではない、ただし彼女はそこに留まらない。
東洋とアフリカの血を引くことの優位性を認めさせるまで攻撃の手を緩めないのだ。
そのことによって、彼女は黒い肌や黄色い肌を持つ生徒のヒロインに祀り上げられた、白い肌を持つ生徒に疎まれることはあっても彼女は気に留めなかった。
なぜならいつでも論破できるというゆるぎない自信があったのだ。
大学を卒業した彼女はロー・スクールを経て弁護士になった。
そこでも彼女の能力はいかんなく発揮された。
彼女にとって重要なのは『結果』であり『正義』ではない、求める結果に判決を導くためには事実を曲げることも厭わない、仮に強盗殺人と言うような凶悪犯罪で動かしようのない明白な証拠が揃っていたとしても彼女はひるまない、巧みに論点をずらして行き、最後は『社会が悪い、被告は事件の被害者にとって加害者であっても、歪んだ社会の被害者でもある』と言う印象を引き出して最低限の量刑を勝ち取るのだ。
弁護士として名声を得るようになった彼女だが、35歳の時に彼女の人生を大きく変える事件が起こった。
急進派として知られ、革新党の代表候補にまで名前が挙がるようになっていた父が殺害されたのだ、白人至上主義者の極右による残虐にして短絡的な犯行だった。
それを機に彼女は政界へと打って出た。
父の支持基盤をそのまま受け継いだだけでなく、『人種差別が父を殺したのだ』と主張し、リベラル派を自認する白人の広い支持も勝ち取った彼女は稀に見る高得票率で当選し、議事堂のじゅうたんを踏んだ。
それから15年、革新党内で着々と力をつけて行った彼女は、党の大統領候補指名を争うまでの力をつけた。
今や左派が揃う革新党の中では彼女は対立候補と対等以上に支持されている、だが、話はそう単純ではない、大統領候補となることはまだ『勝利』ではない、大統領に就任してこそ『勝利した』と言える。
保守層に絶大な人気を持ち、自国の利益を最大限に追及して経済を立て直し、国際社会においても自由主義の砦と評されている現職の大統領を破ることは容易ではない。
ローズは急進的左派の間では絶大な支持を誇るが、政治的中間層、すなわち浮動票を持つ層にはあまり人気がない、それは彼女自身も自覚している。
翻って、党内のもう一人の候補・ティム・フローレスはと言えば、70代半ばと大統領候補となるには少々高齢ではあったが、党内では穏健派として知られ、その容姿も穏やかな紳士に見える、中間層にも受け入れられやすいソフトムードを備えているのだ。
だが、左派が揃う党内ではそのソフトムードは『ぬるく』映る。
大統領候補選びは終始ローズがリードする展開で進んでいた。
ところが……ローズはだしぬけにそのレースから降りることを表明した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
その前日、ローズはフローレスに会って、大統領候補を辞することを伝えていた。
「最終目的は革新党から大統領を出すこと、それには広く支持を得られそうな先輩の方がより大きな可能性があります、党内で争うのは止めて、先輩を立てて応援させていただきます」
「そうか、ありがとう……」
フローレスはそう言いながらも今一つ腑に落ちないと感じていた、あのローズが自ら降りるとは思えなかったのだ、だが、ローズが応援に回ってくれれば急進派も自分に投票してくれるはず、そうなれば大統領候補に選ばれるのは確実、そして大統領にも……。
自分の年齢を考えれば、最初で最後のチャンスだろう、フローレスにはローズの提案を拒否する余裕はなかった。
「その代わり、副大統領候補には私を指名していただけますか?」
「ああ、もちろんだよ」
実のところ副大統領候補には自分の息のかかった若手を、と考えてはいたが、そのくらいの条件は飲まないわけには行かない、実際、ローズは自分と同等かそれ以上の実力者なのだから党としては当然の選択とも言える。
フローレンスはローズに握手を求め、ローズは満面の笑みでその手を握った。
ほくそ笑みがこぼれてしまうのを隠すには満面の笑みを浮かべてしまうに限る……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「厳しいわね……」
数か月後、大統領本選の開票が始まると、票集計システムが各地の開票状況をグラフにして伝えて来る。
フローレスは序盤からわずかにリードを許す展開、開票率10%の時点ではその差は僅かだったが、20%、30%と開票が進むにつれてその差は徐々にだが拡がって来る。
「この手はあまり使いたくなかったけど……」
「ええ、このままでは勝ち目はないですね」
選挙参謀のファンも渋い表情で受話器を取って手短かに指示を与えた。
「上手く出来そう?」
「そうですね……あまりあからさまにやると疑われるかもしれませんからね」
「そうね……」
そう答えながらも、ローズの目は刻々と変わって行くグラフを追っている。
すると、フローレスのグラフは徐々に追い上げを見せ始めた。
「うーん……まだ届かないか……」
「厳しいですね……」
フローレスは追い上げを見せるが、開票率80%を超えても僅差だが現職に追いつかない、このままでは敗北だ。
「プランBを」
「大丈夫ですか? 相手陣営では既に不自然だと騒ぎ始めているようですが」
「わかってるわよ、でも負けるわけには行かないの」
「どうやって隠蔽するつもりですか?」
「勝ってしまえばなんとでもするわ」
「なにか秘策が?」
「あたしを誰だと思っているの?」
「既に何か手を……?」
「ええ、手は回してあるわ、向うが不服を申し立てても動かぬ証拠がなければ結果は覆せない、世論はマスコミが抑え込んでくれるわ」
「覚悟の上であれば、私からはもう何も……」
ファンが再び受話器を手にすると、急にフローレスの票が伸び始め、開票率98%の時点でとうとう並んだ。
「行けますかね……」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ローズは子供の頃から『賢い子』と評判だった。
学校の成績は優秀、大人相手に話していても驚くほどに頭が切れたのだ。
だが、彼女の『頭の良さ』をつぶさに考察すれば、そこに『攻撃性と戦略』も見えて来るはずだ。
自分に都合の良い結論をまず設定し、そこへ誘導して行く話術が巧みなのだ。
他者の考えを容れることはなく、多方面から攻撃し、言いくるめて自分の考えに誘導し、結果的に常に正しいのは彼女だと言う結論に持って行く、それゆえに彼女は常に『正しい』と言うことになる。
その能力をフルに発揮することによって、彼女は小学生の頃から大学に至るまで常にリーダー的立場にあった。
この国では表向き平等を装っていても人種差別は根深い、中国系とアフリカ系のハーフである彼女はともすると差別の対象となった。
そんな時には彼女の能力が物を言った。
その差別意識がいかに理不尽なものなのか、相手が降参するまで論破して行く。
それ自体は間違った事ではない、ただし彼女はそこに留まらない。
東洋とアフリカの血を引くことの優位性を認めさせるまで攻撃の手を緩めないのだ。
そのことによって、彼女は黒い肌や黄色い肌を持つ生徒のヒロインに祀り上げられた、白い肌を持つ生徒に疎まれることはあっても彼女は気に留めなかった。
なぜならいつでも論破できるというゆるぎない自信があったのだ。
大学を卒業した彼女はロー・スクールを経て弁護士になった。
そこでも彼女の能力はいかんなく発揮された。
彼女にとって重要なのは『結果』であり『正義』ではない、求める結果に判決を導くためには事実を曲げることも厭わない、仮に強盗殺人と言うような凶悪犯罪で動かしようのない明白な証拠が揃っていたとしても彼女はひるまない、巧みに論点をずらして行き、最後は『社会が悪い、被告は事件の被害者にとって加害者であっても、歪んだ社会の被害者でもある』と言う印象を引き出して最低限の量刑を勝ち取るのだ。
弁護士として名声を得るようになった彼女だが、35歳の時に彼女の人生を大きく変える事件が起こった。
急進派として知られ、革新党の代表候補にまで名前が挙がるようになっていた父が殺害されたのだ、白人至上主義者の極右による残虐にして短絡的な犯行だった。
それを機に彼女は政界へと打って出た。
父の支持基盤をそのまま受け継いだだけでなく、『人種差別が父を殺したのだ』と主張し、リベラル派を自認する白人の広い支持も勝ち取った彼女は稀に見る高得票率で当選し、議事堂のじゅうたんを踏んだ。
それから15年、革新党内で着々と力をつけて行った彼女は、党の大統領候補指名を争うまでの力をつけた。
今や左派が揃う革新党の中では彼女は対立候補と対等以上に支持されている、だが、話はそう単純ではない、大統領候補となることはまだ『勝利』ではない、大統領に就任してこそ『勝利した』と言える。
保守層に絶大な人気を持ち、自国の利益を最大限に追及して経済を立て直し、国際社会においても自由主義の砦と評されている現職の大統領を破ることは容易ではない。
ローズは急進的左派の間では絶大な支持を誇るが、政治的中間層、すなわち浮動票を持つ層にはあまり人気がない、それは彼女自身も自覚している。
翻って、党内のもう一人の候補・ティム・フローレスはと言えば、70代半ばと大統領候補となるには少々高齢ではあったが、党内では穏健派として知られ、その容姿も穏やかな紳士に見える、中間層にも受け入れられやすいソフトムードを備えているのだ。
だが、左派が揃う党内ではそのソフトムードは『ぬるく』映る。
大統領候補選びは終始ローズがリードする展開で進んでいた。
ところが……ローズはだしぬけにそのレースから降りることを表明した。
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その前日、ローズはフローレスに会って、大統領候補を辞することを伝えていた。
「最終目的は革新党から大統領を出すこと、それには広く支持を得られそうな先輩の方がより大きな可能性があります、党内で争うのは止めて、先輩を立てて応援させていただきます」
「そうか、ありがとう……」
フローレスはそう言いながらも今一つ腑に落ちないと感じていた、あのローズが自ら降りるとは思えなかったのだ、だが、ローズが応援に回ってくれれば急進派も自分に投票してくれるはず、そうなれば大統領候補に選ばれるのは確実、そして大統領にも……。
自分の年齢を考えれば、最初で最後のチャンスだろう、フローレスにはローズの提案を拒否する余裕はなかった。
「その代わり、副大統領候補には私を指名していただけますか?」
「ああ、もちろんだよ」
実のところ副大統領候補には自分の息のかかった若手を、と考えてはいたが、そのくらいの条件は飲まないわけには行かない、実際、ローズは自分と同等かそれ以上の実力者なのだから党としては当然の選択とも言える。
フローレンスはローズに握手を求め、ローズは満面の笑みでその手を握った。
ほくそ笑みがこぼれてしまうのを隠すには満面の笑みを浮かべてしまうに限る……。
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「厳しいわね……」
数か月後、大統領本選の開票が始まると、票集計システムが各地の開票状況をグラフにして伝えて来る。
フローレスは序盤からわずかにリードを許す展開、開票率10%の時点ではその差は僅かだったが、20%、30%と開票が進むにつれてその差は徐々にだが拡がって来る。
「この手はあまり使いたくなかったけど……」
「ええ、このままでは勝ち目はないですね」
選挙参謀のファンも渋い表情で受話器を取って手短かに指示を与えた。
「上手く出来そう?」
「そうですね……あまりあからさまにやると疑われるかもしれませんからね」
「そうね……」
そう答えながらも、ローズの目は刻々と変わって行くグラフを追っている。
すると、フローレスのグラフは徐々に追い上げを見せ始めた。
「うーん……まだ届かないか……」
「厳しいですね……」
フローレスは追い上げを見せるが、開票率80%を超えても僅差だが現職に追いつかない、このままでは敗北だ。
「プランBを」
「大丈夫ですか? 相手陣営では既に不自然だと騒ぎ始めているようですが」
「わかってるわよ、でも負けるわけには行かないの」
「どうやって隠蔽するつもりですか?」
「勝ってしまえばなんとでもするわ」
「なにか秘策が?」
「あたしを誰だと思っているの?」
「既に何か手を……?」
「ええ、手は回してあるわ、向うが不服を申し立てても動かぬ証拠がなければ結果は覆せない、世論はマスコミが抑え込んでくれるわ」
「覚悟の上であれば、私からはもう何も……」
ファンが再び受話器を手にすると、急にフローレスの票が伸び始め、開票率98%の時点でとうとう並んだ。
「行けますかね……」