かけがえのない思い出 ~掌編集・今月のイラスト~
「麻美、昼飯にしようか」
「うん、そうだね」
「何が良い?」
「う~ん、味噌ラーメンかな」
「なんだ、もっといいものあるだろう?」
「ううん、味噌ラーメンが良い、だってあったまるし美味しいじゃない」
「そうだな、それじゃそうしようか」
実は俺も味噌ラーメンが良かった、もやしとひき肉を炒めたのを乗せた味噌ラーメンに七味を多めに振りかけて……。
麻美は俺のひとり娘だが、会うことを許されているのは年に一度だけだ。
その貴重な機会に一泊二日のスノボ旅行を楽しんでいるのだ。
俺は元々スキー派だった、俺の若い頃にはまだスノボは少数派でともすれば邪魔者扱いされたこともあり、スノボが滑れるゲレンデを制限するなどと言うことも実際行われていたくらいだ。
ところが今じゃどうだ、すっかりその勢力図は塗り変わっている、時代は刻々と変わっているのだと感じないわけにいかない。
俺は雪国育ちでスキーは得意だったし、好きだった。
麻美にスキーを教えたのも俺だ、幼稚園児だった頃に初めてスキーに連れて来た時、まるで滑れずに転んでばかりで『スキーなんかもうヤダ!』と泣き出したのだが、俺がストックの先を腰だめに握り、握りの方を麻美に持たせて逆ボーゲンで支えるようにして対面して一緒に滑ってやるとすぐに感覚を掴み、二泊三日の最終日には『また来ようね!』と嬉しそうに笑ったものだ。
その時の笑顔は今でも鮮明に憶えている。
その後、時代の流れか、麻美がスノボに転向してしばらく後、俺もスノボをやるようになったのだが、その時の指南役は麻美だった。
麻美は俺の宝物だった。
その麻美と引き離されたのは十年ほど前のことになる。
当時勤めていた会社で課長になっていたが、社長の息子が営業部長に抜擢された。
奴は『このやり方が新しいんだ、これからはこのやり方でなければダメなんだ』と突っ走り営業部を混乱させた。
無論、新しいことを取り入れて行ったり無駄を省いたりすることに異存はなかったが、現場の事情を全く無視するような急な改革は営業部を混乱させたし、事実、実績も落ちた。
すると奴はそれを社員の理解力が足りないからだと決めつけ、むしろ強硬に改革を推し進めようとした。
そんな時、中間管理職は辛い立場に置かれるものだ、いくら進言しても部長の考え方を変えられないと悟った時、俺は会社に辞表を出して自分の会社を興した。
新しい会社はなかなか軌道には乗らなかった。
俺は毎晩遅くまで残業し、休日も返上して働いたが、数少ない社員の給与を支払うのに汲々とするばかりで自分の給料はほとんど取れない。
そんな日々に妻の麻子は嫌気がさしたのだろう、それとも大きな借金を背負ってしまわないうちに見切りをつけようと考えたのだろうか、麻美を連れて静岡の実家に戻ってしまい、しばらく話し合ったがもう折り合うことはできないと悟って俺は離婚届にハンを押した……。
結局、起こした会社が軌道に乗ることはなかったが、俺はその頃の取引先に営業部長として迎えられ、安定した生活を取り戻すことが出来た。
妻の麻子とは離婚以来会っていない、最小限必要な話し合いを電話でするだけだ。
麻子にはわがままなところがあり、こらえ性もないことは結婚前からわかっていた。
だが、そこは惚れた弱みと言うやつだ、それに極端な贅沢をしたがるような性質でもないし浮気性でもなかったから、俺が人並みよりちょっと多い給料を家に入れ、休日には麻美を交えた三人で行楽地に行ったり買い物や食事に出かけたり出来ている内は不満もなかったようだ。
だが、俺が仕事のやり方に悩み、辛い立場に立たされた時、麻子にはそんな俺を支えて辛抱できるだけのこらえ性がなかったと言うことだ。
麻美は成長するにしたがって麻子に似て来た、今では恋人時代の麻子にそっくりだと言っても良いくらいだ。
だが性質は随分と違うように感じる。
中学生と言う多感な時期に、年々年老いて行く祖父母と一緒に暮らすことになったからだろうか、麻美はある意味古風とも受け取れるような、地に足がしっかりついている感じに育っている。
祖母の料理に親しみ、大学生の頃からは祖父母の為に料理もするようになったからだろうか、こじゃれた料理よりも素朴な味を好むし、軽度だが介護が必要になった祖母の面倒を見てやっているからだろうか、思いやりの心も人一倍育っているようだ。
「あのね……」
麻美が選んで予約しておいてくれた、民宿ともペンションとも呼べる感じのアットホームな宿で向かい合って夕食を楽しみ、食後のコーヒーを飲んでいる時、麻美は真顔になって切り出した。
「あたしね、好きな人が出来たの」
「ほう……」
俺は平静を装ったが内心はドキドキものだった、年に一度しか会えなくとも麻美は俺の一人娘であることに変わりはないのだから。
「ついこの間のことなんだけど、結婚して欲しいって言ってくれた」
「それは良かったな……相手はどんな奴なんだ?」
「普通……かな」
口ではそう言ったが、顔は嬉しそうに笑っている。
「地元の会社で営業マンしてる人、お父さんを早くに亡くしてるから高卒なんだけど、通信教育で経済の勉強もしてる、いつになるかわからないけど学士号も取るつもりだって」
「へぇ……努力家なんだな」
「うん、あたしもそう思う、そう言う所、尊敬してるんだ……それにすごく誠実で優しいし……イケメンじゃないけど笑顔が素敵な人」
「そうか……」
かつての部下にもそう言う奴がいた、彼は俺が起業した時も付いて来てくれて、奮闘してくれていた……俺の力不足で最後まで雇ってやれなかったが、やはりちゃんと見ている人はいるもので、良い会社に再就職して行った。
俺はそいつのことをひとしきり麻美に話してやったが、麻美は真剣な目で聴き入っていた、麻美もそいつのことが好きで、彼を信じて支えてやりたいと思っているのだろう……それを確信した俺はコーヒーカップを置き、背筋を伸ばして麻美に向かって頭を下げた。
「おめでとう……幸せにな」
「うん……ありがとう……」
「お祖母ちゃんはなんて言ってる?」
「おめでとうって言ってくれた、いざとなったらホームにでもどこへでも入るから心配しなくていいって……でも彼も地の人だからそんなに遠くに住むことにはならないと思うんだ、だから出来るだけお世話はするつもり」
「そうか……」
「でもね、お祖母ちゃんったら、それよりも早くひ孫を見せておくれだって」
その時の祖母の顔を思い浮かべたのだろう、麻美はクスリと笑った。
「あ、でも、勘違いしないでね、出来ちゃってるわけじゃないから」
「そうか……お前に子供が出来たら俺にとっても孫になるんだな」
「そうだね、お父さんにも会わせてあげるね、年に一回じゃなくて何回でも」
「楽しみだよ」
「それで、幼稚園くらいになったら、ゲレンデに連れて来るね、あたしに教えてくれたみたいに教えてあげてくれる?」
「スノボなら麻美の方が上手いじゃないか」
「ううん、でもお父さんが教えてあげて欲しいの、あの時の……初めてのスキーはあたしにとっても忘れられない楽しい思い出だから……」
「そうか……そう言うことなら任せてくれ」
「うん、そうだね」
「何が良い?」
「う~ん、味噌ラーメンかな」
「なんだ、もっといいものあるだろう?」
「ううん、味噌ラーメンが良い、だってあったまるし美味しいじゃない」
「そうだな、それじゃそうしようか」
実は俺も味噌ラーメンが良かった、もやしとひき肉を炒めたのを乗せた味噌ラーメンに七味を多めに振りかけて……。
麻美は俺のひとり娘だが、会うことを許されているのは年に一度だけだ。
その貴重な機会に一泊二日のスノボ旅行を楽しんでいるのだ。
俺は元々スキー派だった、俺の若い頃にはまだスノボは少数派でともすれば邪魔者扱いされたこともあり、スノボが滑れるゲレンデを制限するなどと言うことも実際行われていたくらいだ。
ところが今じゃどうだ、すっかりその勢力図は塗り変わっている、時代は刻々と変わっているのだと感じないわけにいかない。
俺は雪国育ちでスキーは得意だったし、好きだった。
麻美にスキーを教えたのも俺だ、幼稚園児だった頃に初めてスキーに連れて来た時、まるで滑れずに転んでばかりで『スキーなんかもうヤダ!』と泣き出したのだが、俺がストックの先を腰だめに握り、握りの方を麻美に持たせて逆ボーゲンで支えるようにして対面して一緒に滑ってやるとすぐに感覚を掴み、二泊三日の最終日には『また来ようね!』と嬉しそうに笑ったものだ。
その時の笑顔は今でも鮮明に憶えている。
その後、時代の流れか、麻美がスノボに転向してしばらく後、俺もスノボをやるようになったのだが、その時の指南役は麻美だった。
麻美は俺の宝物だった。
その麻美と引き離されたのは十年ほど前のことになる。
当時勤めていた会社で課長になっていたが、社長の息子が営業部長に抜擢された。
奴は『このやり方が新しいんだ、これからはこのやり方でなければダメなんだ』と突っ走り営業部を混乱させた。
無論、新しいことを取り入れて行ったり無駄を省いたりすることに異存はなかったが、現場の事情を全く無視するような急な改革は営業部を混乱させたし、事実、実績も落ちた。
すると奴はそれを社員の理解力が足りないからだと決めつけ、むしろ強硬に改革を推し進めようとした。
そんな時、中間管理職は辛い立場に置かれるものだ、いくら進言しても部長の考え方を変えられないと悟った時、俺は会社に辞表を出して自分の会社を興した。
新しい会社はなかなか軌道には乗らなかった。
俺は毎晩遅くまで残業し、休日も返上して働いたが、数少ない社員の給与を支払うのに汲々とするばかりで自分の給料はほとんど取れない。
そんな日々に妻の麻子は嫌気がさしたのだろう、それとも大きな借金を背負ってしまわないうちに見切りをつけようと考えたのだろうか、麻美を連れて静岡の実家に戻ってしまい、しばらく話し合ったがもう折り合うことはできないと悟って俺は離婚届にハンを押した……。
結局、起こした会社が軌道に乗ることはなかったが、俺はその頃の取引先に営業部長として迎えられ、安定した生活を取り戻すことが出来た。
妻の麻子とは離婚以来会っていない、最小限必要な話し合いを電話でするだけだ。
麻子にはわがままなところがあり、こらえ性もないことは結婚前からわかっていた。
だが、そこは惚れた弱みと言うやつだ、それに極端な贅沢をしたがるような性質でもないし浮気性でもなかったから、俺が人並みよりちょっと多い給料を家に入れ、休日には麻美を交えた三人で行楽地に行ったり買い物や食事に出かけたり出来ている内は不満もなかったようだ。
だが、俺が仕事のやり方に悩み、辛い立場に立たされた時、麻子にはそんな俺を支えて辛抱できるだけのこらえ性がなかったと言うことだ。
麻美は成長するにしたがって麻子に似て来た、今では恋人時代の麻子にそっくりだと言っても良いくらいだ。
だが性質は随分と違うように感じる。
中学生と言う多感な時期に、年々年老いて行く祖父母と一緒に暮らすことになったからだろうか、麻美はある意味古風とも受け取れるような、地に足がしっかりついている感じに育っている。
祖母の料理に親しみ、大学生の頃からは祖父母の為に料理もするようになったからだろうか、こじゃれた料理よりも素朴な味を好むし、軽度だが介護が必要になった祖母の面倒を見てやっているからだろうか、思いやりの心も人一倍育っているようだ。
「あのね……」
麻美が選んで予約しておいてくれた、民宿ともペンションとも呼べる感じのアットホームな宿で向かい合って夕食を楽しみ、食後のコーヒーを飲んでいる時、麻美は真顔になって切り出した。
「あたしね、好きな人が出来たの」
「ほう……」
俺は平静を装ったが内心はドキドキものだった、年に一度しか会えなくとも麻美は俺の一人娘であることに変わりはないのだから。
「ついこの間のことなんだけど、結婚して欲しいって言ってくれた」
「それは良かったな……相手はどんな奴なんだ?」
「普通……かな」
口ではそう言ったが、顔は嬉しそうに笑っている。
「地元の会社で営業マンしてる人、お父さんを早くに亡くしてるから高卒なんだけど、通信教育で経済の勉強もしてる、いつになるかわからないけど学士号も取るつもりだって」
「へぇ……努力家なんだな」
「うん、あたしもそう思う、そう言う所、尊敬してるんだ……それにすごく誠実で優しいし……イケメンじゃないけど笑顔が素敵な人」
「そうか……」
かつての部下にもそう言う奴がいた、彼は俺が起業した時も付いて来てくれて、奮闘してくれていた……俺の力不足で最後まで雇ってやれなかったが、やはりちゃんと見ている人はいるもので、良い会社に再就職して行った。
俺はそいつのことをひとしきり麻美に話してやったが、麻美は真剣な目で聴き入っていた、麻美もそいつのことが好きで、彼を信じて支えてやりたいと思っているのだろう……それを確信した俺はコーヒーカップを置き、背筋を伸ばして麻美に向かって頭を下げた。
「おめでとう……幸せにな」
「うん……ありがとう……」
「お祖母ちゃんはなんて言ってる?」
「おめでとうって言ってくれた、いざとなったらホームにでもどこへでも入るから心配しなくていいって……でも彼も地の人だからそんなに遠くに住むことにはならないと思うんだ、だから出来るだけお世話はするつもり」
「そうか……」
「でもね、お祖母ちゃんったら、それよりも早くひ孫を見せておくれだって」
その時の祖母の顔を思い浮かべたのだろう、麻美はクスリと笑った。
「あ、でも、勘違いしないでね、出来ちゃってるわけじゃないから」
「そうか……お前に子供が出来たら俺にとっても孫になるんだな」
「そうだね、お父さんにも会わせてあげるね、年に一回じゃなくて何回でも」
「楽しみだよ」
「それで、幼稚園くらいになったら、ゲレンデに連れて来るね、あたしに教えてくれたみたいに教えてあげてくれる?」
「スノボなら麻美の方が上手いじゃないか」
「ううん、でもお父さんが教えてあげて欲しいの、あの時の……初めてのスキーはあたしにとっても忘れられない楽しい思い出だから……」
「そうか……そう言うことなら任せてくれ」
作品名:かけがえのない思い出 ~掌編集・今月のイラスト~ 作家名:ST