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蜘蛛の糸

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蜘蛛の糸
とは言っても皆様、幼少の頃よりご存知の、そう文豪芥川龍之介氏の二番煎では決して有りません。いえ有り得ません。
・・・はるか以前、網に絡まりそれを振りほどこうと必死にもがいている蝶々やバッタなどを見かけた折、なにやら幼心にも義憤にかられ、小枝を持ちだしては、幾度か助け舟を出した覚えがあります。
が、今にして思えば、彼ら(蜘蛛)の狩猟行為のじゃまをし、果ては大自然の摂理を踏みにじるような身勝手な行為だったのでしょう。
しかし声が出せれば、明らかに泣き叫んでいるであろう獲物と、それにとどめを刺そうとしている悪魔に映る蜘蛛とでは、子供心にも前者の肩を持ちたくなるのが、順道なのではないでしょうか。
しかし、その蜘蛛達に、とっても肩入れをしたくなるような、珍しい出来事を目の当たりにしたのです。
と言うのも、実は小生レストランを生業にしているのですが、こじんまりとした店舗の割には、こだわりとでも申しましょうか、手作りメニューも数多く、気苦労が多い割には利が薄い、あっ失礼、内々の話しをついこぼしまして、それはさて置き、とりあえず日々の仕入れは事欠かせません。
介護施設用語では、小規模多機能施設などとか言って、良いとこ取りのなんとも欲張ったような所でしょうか。
話はもどりますが、その日も欠品した食材を補充する為、いつも通りバイクでの仕入れ先回りに向かっていたのですが、帰り際ふとスロットルをつかんでいる右手の甲辺りに、何とはなしに目を向けると、まさかの小さなジョロウ蜘蛛が、レバーの付け根辺りに、まるで私の店のようなこじんまりとした網を、掛けているではありませんか。
そして、風圧にさらされながらも、必死に網と一緒に震えているその姿を目にした刹那、おもわずスロットルを戻したのですが、ここでいきなり止まる訳にもいかず、しっかり摑まっていろよと祈りながら、緩やかに走らせ帰宅の途についたのでした。
さて、店に着き勝手口を通る頃には、仕込みの段取りやら、店内の用意やらで、彼女のことなどすっかりと忘れてしまい、その日一日あっという間に暮れてしまいました。
翌日も又、何品かの補充の為バイクにまたがり別のルートで、商品を調達しての帰り道、なにやら忘れていた不安気な気持ちに襲われまして、その脳裏の先にある健気なエピソードを思い出すや、はっとなり手元に目を向けると、なんと昨日と同じような姿勢のジョロウ蜘蛛が必死になって、体を丸めながら、しがみついているではありませんか。
普段見過ごしそうな、その小さな命の振る舞いに心打たれた私は、これは絶対に助けてあげねばならぬと肝に銘じ、後ろから煽られながらも、ゆるりと家路についたのでした。さて、まずレジ袋に入った品物を冷蔵庫に収めたのち、やおら虫眼鏡を持ち出しては、じっくりと観察してみた所、なんと彼女の足は6本しかありません。
それも右側の一番目と2番目が、おそらくは弱肉強食の世界に身を置く彼女らの事、不幸にも失ったのであろうと察し、益々愛おしくなったのでございます。
ですが、このまま此処に網を掛けさせておく訳にもいかず、住まいを変えてもらうことに。丁度、店の玄関口には、背丈はおよそ2メートル以上にはなろうかと思える、シコンノボタンの植木を置いていたので、まずは、ここに移動してもらうことに。
この木は、冬の格別寒い季節以外は、ほぼ一年を通じ、可憐な青い花を咲かせ続ける常緑低木の植木で、店のシンボルツリーにはもってこいのものです。
更に玄関を照らす照明の下なので、えさを捕獲するには不自由しないと思い、両手で包み込むように蜘蛛(いやいや、これからは愛情を込めて、あみむしさんと呼ぼう)をシコンノボタンの重なり合う、うぶ毛に覆われた葉のたもとへ静かに置いたのでした。
このシコンノボタンの花言葉とは、謙虚な輝きとか、落ち着きなどとか言われており、私の店にはぴったりの、・・・いやいや、スパイダーフラワーと言う別名も持っているので、女郎蜘蛛さんの住まいとしては、もっともふさわしいものであると思いました。
翌日、あみむしさんはどうしているだろうかと、朝早くから、玄関口のシコンノボタンを観察して見ますと、いました、いました、こんなやせ細った体で、しかも6本足というハンデを持ちながらも、やっぱりこじんまりとしているとはいえ、中空に新築の螺旋状の網を見事に掛けていて、感心するやら、安どするやらの気持ちが交錯した次第です。
さて、あみむしさんの開店を見どけると、私のほうも負け時とばかり、まるで幼児期の無垢な心にプチライバル魂が宿ったかのように、開店準備に向かったのでした。
さて次の日、あみむしさんの成果が気になり出し、さっそく彼女の網をのぞいてはみたものの、ほぼ獲物を捕らえた様子もなく、しかし網の方は、午後の太陽の木漏れ日を存分に浴びて、心地よい木々の間を通り抜けるそよ風に、優しくきらめきながら、美しい螺旋形を保っていました。
彼女は中央に坐して、禅僧のごとく微動だにせず、待ちの姿勢を崩してはいません。
ネット販売が主流を占めるこのご時世、彼女も一応ネット商売に通じるのかなとか、つまらない事などをふっと思いながらも、しかし、実は私の商売も待ちの商売であることに気付き、少しばかり、感心した次第でした。
しかしながら、つい毎朝期待を込めて覗いては見たものの、中々ハンティングできておらず、ますますやせ細る有り様で、心配になるばかりでした。
うちも暇なので、よそ様の心配をする余裕はないのですが、これも性分と申しましょうか。
そして意を決し、彼女の食事の手助けをしようと、プチ介護を思い立ったのです。
以前から、玄関口の水銀灯に誘われては、勇躍飛び回っていたかと思うと、途端に体中をそこここにぶつけた挙句、裏返しとなりバタバタと体を震わせているカブトムシや、蝶類、セミなどには、すぐさま救助の手を差し伸べ、果汁などを与えてまいったのですが、今回、生き餌をやるとなると、それはもう私的にはなかなか踏み切る覚悟のつかない、又未開の地に足を踏みいれるような心持でした。
まず最初に思いついたのが、ねんごろになったばかりの虫を探せばいいじゃないかと言う、安易な考えが浮かんだのです。しかしながら、この辺りを隈なく探しては見たものの、なかなかねんごろになった昆虫などは、ほぼ皆無です。
子供の頃は、そこら中を駆け巡り、トンボや蝶々などを嬉々として、追いかけまわしていたものでしたが、・・・年を重ねた今、ねんごろになった虫を探し回っている我が身になにやら、可笑しさを覚えたものです。
しかし一方、生きたエサ、失礼、生きた虫達はそこら中を飛び回り、とくに猫の食べ残しのエサ入れには、丸々と肥太った黒いハエなどが何匹もたかっていました。
これは美味しそうだなと、いえこれは、決して私が食す訳では無く無論、店で出す訳でもなし、むしろあみむしさんの気持ちを察するがあまり素直に代弁しただけで、誤解のなきように願います。が、慈しみに満ちた生き方をしてきた私にとって、このハエたちをのこらずひっ捕らえ、あみむしさんの待ち構える地獄の網に放り込む事など、罪悪感に心が痛み、到底出来るはずもありません。
作品名:蜘蛛の糸 作家名:森 明彦