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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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「キコちゃんはちょっと小さい」〜告白編〜

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10話目 「彼女への返事」






部屋の中では、数秒間の睨み合いが続いていた。俺は、なろうことなら「時が止まっていてゆっくり考えられる部屋」がほしかった。


“一也さんって、誰かといて、嬉しいのに、恥ずかしいなって思ったこと、ありますか?”


キコちゃんはそう言った。

彼女はおそらくだけど、本当に“多分”という見当でしかないけど……俺に、恋をしている。

“いや、嘘だろ!こんな美少女が!?”

といったような驚きは、案外と俺にはなかった。だってキコちゃんは、まだ俺しか知らない。

それに俺は常日頃から、なるべくキコちゃんの好きなように過ごしてほしいと思って、それを実現させるための些細なことなら行動している。

彼女には日々優しさを心がけて接しているし、キコちゃんが何か言った時には、“そうかそうか”と言って、まるでおじいちゃんが孫にするみたいに、猫っかわいがりをしていたのだ。

ここまですれば、嫌いになる可能性よりは、好きになる可能性の方が高い。それは頷ける。

ただ、頷けないこともある。


キコちゃんが俺しか知らないということは、もっと彼女にふさわしい男性もいるこの広い世の中で、キコちゃんは俺しか見ないで恋をしているということだ。

俺はなんとなく、キコちゃんの保護者でいるようなつもりだった。だから彼女を見て、「大きければ普通にいい男が寄ってきそうなのになあ」と思っていたこともある。そして、そうなったら彼女はとても幸せになれるのに、今は俺に守られていることしかできない彼女を、少し気の毒に思った時さえあったんだ。


ともかく、キコちゃんが発言してからもう8秒くらい経っているのだから、俺は何か言わなきゃいけなかった。

しかし、キコちゃんは自分が恋をしているだなんて知らないんだろうから、俺が「君の気持ちには応えられない」なんて返すのは、むしろ頓珍漢だ。そうしたら彼女は、今度は俺の言葉の意味を知りたがるだろう。そしてそれを説明してしまったら、彼女は気づいてもいなかった望みを絶たれて、いたずらに傷つくことになる。

それに、俺だって「君のことは特に好きじゃないから」なんて冷たいことは、キコちゃんには言いたくない。

どうしたらいいだろうか。とりあえず、「そう思ったことがあるか」と聞かれているのだし、言葉通りの答えをここでは返すくらいしか方法はないだろうな。

「一也さん…?」

キコちゃんは沈黙が不安なのか、ちょっともじもじしている。

「…うーん、嬉しいのに恥ずかしい、かぁ…。俺はそんなに何回も思ったことはないかなぁ…」

これは本当のことだ。もちろん俺も恋に近いものは体験したし、だからキコちゃんの言ったことの意味もわかった。

「そうですかぁ…」

キコちゃんはなぜか少し悲しそうな顔をして、またうつむいていた。


俺はキコちゃんに半分だけの返事をして、残りの半分を言わないことで、彼女に嘘をついたような気がした。




翌日は、数学の補習のため、俺は学校に少し居残りをしなければいけなかった。キコちゃんには、「今日は学校からの帰りも少し遅くなるからね」と言った。

「は、はい…」

「大丈夫。5時過ぎには帰ってくるから」




期末考査も終わっていつも通りの授業に戻り、「もうすぐ夏休みだな」なんて考えていると、ホームルームの前に金村さんがまた俺のところに来た。

彼女はちょっと周りを窺ってから、俺を見て、小さな声でこう言う。

「児ノ原君、放課後空いてる?」

えっ…なんだろ。なんの用かな。キコちゃんが心配するし、なるべく早くには帰りたいんだけど…。

「用にもよるけど…長くかかる?」

俺がそう言うと、金村さんは急にしゅんと項垂れて黙ってしまった。困ったな、そっちから話しかけてきたのに。でも俺は、この時すでに何かを察していた。

俺がかける言葉を探していたら、金村さんは、「今日補習あるでしょ。終わるまで待ってるから、クラスに戻ってきて」と俺を見ないで言って、席に戻って行った。


なんだろう。彼女も補習はあったみたいだし、勉強を手伝ってほしいのかな。俺は形式的にそうやって頭の中をなぞりながら、心ではもうわかっていた。金村さんが今日の放課後、俺になんと言いたいのか。



数学IIの補習になった生徒は、学年で4人いた。俺たちは今、3年2組の教室に集められ、数学の先生は黒板の前に立っている。先生は律儀に、黒板に日にちと曜日を書き入れ直していた。

「はい、数学IIの補習を始めます。というわけで、皆さんにはこのプリントに沿って問題の解き方をおさらいしてもらって、最後に小テストをして解散です。後日、補習が合格かどうかを返します」

「ええ?補習って出席すればいいだけじゃないんですかぁ?」

そう言った茶髪の男子を数学の先生はギロリと睨み、すぐさま黙らせる。

「もちろん、出席して勉強に励んでもらえば、単位の方は大丈夫です。でも、この後の勉強を続けるには、自分が合格ラインに届いたかどうかを知るのは、必要だと思いますよ」

ねちっこい口調でそう言ったあとで、先生は俺たちにプリントを配った。



補習はそこまで難しくなかった。というか、先生は厳しそうに見えたけど、説明の仕方は普段からわかりやすいし、今日はそれをさらに噛み砕いて、みんなのわからないところを歩いて聞いて回ってくれた。

ちょっと陰険そうに見えたけど、意外と親切な先生じゃん。俺はそう好感を持ったまま、自分のクラス、3年3組の教室に戻った。



金村さんは、ベランダに出ていた。柵にもたれる彼女の後ろ姿が見えた。俺がドアを開けた音は微かに届いたのか、彼女が振り向く。

彼女は多分、笑おうとした。そして、それが上手くできなかった。

俺は戸惑っていたけど、案外すんなりとベランダに出ることができた。あまり金村さんのすぐ近くには行かず、「えっと…なんだっけ」と、声をかける。


俺たちは二人きりで、梅雨が終わる曇り空の下、季節の切れ目に戸惑うような少し熱い風に吹かれている。彼女は可愛い。俺は、彼女が今これからなんと言うのか、多分知っている。でもその上で、俺は「呼ばれてきた男子」として、やっぱりここに一人だった。

金村さんは、何かを仕方なく諦めたあとのように組み合わせた指に目を落としている。

「児ノ原君、好きな人、いる…?」

その時、俺のまぶたの裏に一人の女の子の顔が浮かび上がった。俺はそれを振り払いたくて、金村さんにわからないように、一度ぱちっと瞬きをする。

そんなはずない。違う。

「…いないよ」

「でも…多分私に、興味ないよね…」

これはどう答えても謝ることになる。いや、多分謝ることが一番彼女の傷を深くするのに、謝るしか道がない。

「……ごめん」




俺は学校から帰る時、バスの中から窓の外を眺めるともなしに眺め、考えていた。

俺が金村さんに「ごめん」と言ったのは、どうしてだろう。

人付き合いが嫌いで、彼女なんか要らないから?

それとも、金村さんとはほとんど喋ったこともなくて、まだあまり知らなかったから?


それとも、昨日の「あの子」の顔を思い出したから?