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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Red eye

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― 二十年前 ―
     
 反対側に回り込んだつもりが、逃してしまった。有坂が舌打ちする間もなく、男の影だけが見えた。佐山が陸上競技の選手のように身を低くすると、独り言のように言った。
「すばしっこい野郎です」
 男は駐車場に向かっている。佐山がその後を追って猛然と駆け出し、有坂は自分に残された仕事を考えた。男を『逃げさせる』ためには、追手が必要だ。佐山がそれをやる。いわゆる『猟犬』の担当。有坂はコンテナの間の細い通り道を走り抜けて、金網を越えた。なだらかに傾斜した草むらを駆け下りて、揺れる視界の先でぼんやりと光る駐車場の看板を捉えた。百メートルを全力で走り切って、息を整えながらトラックの荷台に片手をつき、屈みこんだ。十秒も経たない内に、勢いよく走りこんできた男の足が見えて、そのすぐ後ろを佐山が追っているのが足音の間隔で分かり、腹の前でずっと全力疾走に付き合ってきたコンバットコマンダーを抜いた。有坂の担当は、『引き金』。その親指が条件反射のように安全装置に触れたとき、足音を捉えているのとは逆側の耳が、タイヤのスキール音を拾った。かすかな音だ。静かに発進しようとしたが、それでも勢い余ってアクセルを踏みすぎたのだろう。ストレートカットのギア特有のうなり音は、車がバックで近づいていることを意味する。男は、逃げる段取りをしていた。ただ、その待ち合わせ場所が意外に遠かっただけで。有坂の頭の中で危険信号が光った。相手はひとりじゃない。
「待て!」
 有坂は立ち上がって銃を構えた。佐山が足を止め、男はそうしなかった。ランサーがブレーキランプを真っ赤に光らせながら急停車し、後部座席のドアが開いた。もぐりこむように飛び込んだ男がドアを閉めるより前に、その車体ががくんと跳ねて急発進した。有坂が構えた銃のフロントサイトに重なる白い車体が急激に遠ざかっていき、引き金を引くこと自体を諦めかけたとき、まばらに並ぶ駐車車両の間を斜めに縫って走る黒いアリストが見えて、有坂と佐山は再び走り始めた。アリストは時速四十キロでランサーの横っ腹に激突し、進行方向を捻じ曲げられたランサーは照明柱の土台に乗り上げて横転した。
 アリストを下げて、運転席から降りた葉月は、言った。
「危なかったな」
 葉月の担当は、『足』と呼ばれる。普段なら有坂と佐山を逃がすことが目的だが、今晩は違った。一回転して元の向きに戻ったランサーは、ガラスが四枚とも粉々に割れていて、中にいる人間がよく見えた。有坂は、追っていた男とその運転手に、一発ずつ撃った。振り返ると、アリストの歪んだフロントバンパーを見て、葉月に言った。
「あまりへこんでないな」
「これで逃げなきゃいけないだろ」
 葉月は笑いながら運転席に乗り込んだ。有坂と佐山が後部座席に乗り込むのと同時に、アリストを発進させた。スクラップ工場へ辿り着くまでは、ひと言も話さなかった。有坂と佐山は、アドレナリンを抑え込むように、景色が切り替わるたび、過去にやった仕事の話を始めた。トンネルに入ったとき、いよいよ話題が尽きて、そこからは話さなかった。
 少数精鋭と呼ばれるが、ひとり当たりの仕事量が多いだけだ。こじんまりとした会社で、社長の飯山と、専務をやっている社長の弟、そして経理の時田。社員は、葉月たちを含めて六人。あとは同業他社で、協力関係はあるが、付き合いは薄い。スクラップヤードもそのひとつだが、相手は顔を覚えることを拒否するように、目も合わせようとしない。葉月は、ヘッドライトをパッシングさせて、鉄製のゲートが開くのを待った。アリストを中に入れて、ダッシュボードの上に店主への謝礼が入った封筒を置いた。
 クレスタに乗り込み、今度は有坂が助手席に座った。佐山は後部座席ですぐに目を閉じ、眠りに落ちた。依頼があれば、その通りのことを限られた予算の中で、できるだけ実現する。死体を残せと言われれば残すし、すべて消し去ってほしいなら、そのようにする。人のやりたいことを、代わりにやっているだけだ。葉月は、有坂に言った。
「危なかったな」
 その言葉を聞くのは二回目だが、そんなことは分かりきっている。有坂はうなずいた。
「あの運転手の顔は、調べ物の中にあったぞ。従兄弟だったはずだ」
 事前調査は佐山がやったが、あの運転手が協力者だという可能性には、誰も気づいていなかった。若いからという言い訳は十分に成り立つ。佐山は二十一歳だ。葉月と有坂は二十七歳で、佐山よりも六年キャリアが長い。毎回の仕事で、毎回同じように死ぬリスクがある。そういった業界で六年生き延びるのは、それ自体が大仕事だ。しかし、五体満足で朝を迎えたときの高揚感は、麻薬のように捨てがたい。『もちろん、家庭を持てば、また話は別』。葉月と有坂が話すときは、いつもその言葉で締めくくられた。そのとき、あの高揚感のために自分の命を差し出す気は、なくなるのだろう。どちらも、続きを言葉に出すことはなかったが、同じことを考えていた。
「夜が明ける」
 紺色に変わり始めた空を眺めながら、有坂が言った。葉月はうなずいた。何とか間に合ったが、ギリギリだった。
 夜が明けることは、仕事の失敗を意味する。
       
       
― 現在 ―
      
 専務取締役の椅子。ただ、そこに置かれたからそうなっただけで、元は通販で買えるただの椅子だ。四十七歳。葉月は自分の年齢をコーヒーのひと口と合わせて、噛みしめた。湯気で曇る眼鏡も、昔はなかったものだ。組織は相変わらず、『少数精鋭』で、得意先や協力会社との他人行儀な関係も変わらず、社員は六人。その中でも優秀な二人は、社長の護衛を兼任している。大森と藤吉で、二人とも三十代半ば。飯山は当時四十歳だったのが、公平に年を重ねて六十歳になっただけで、その言動はさほど変わっていない。専務だった弟が病気で死んだのは、五年前のことだった。その時点で最長老だった葉月に白羽の矢が立ち、葉月は四十をまたいでようやく殺しから解放された。協力会社からの評判は、気難しかった先代よりもおおむね高い。事業内容は相変わらずで、かつての自分がそうだったように、半端な人間にスーツを着せて拳銃を持たせ、町に放つ仕事だ。経理は、元銀行員の増井。横領で捕まった前科があるから、普通の企業には戻れない。そして、塀の中でしっかりと更生したのかは、誰も知らない。
 雑居ビルの最上階にある、こじんまりとした貸オフィス。一見、空き部屋に見えるぐらいに殺風景で、パソコンが数台と、パーティションが何枚か。社長室と専務の部屋だけは別で用意されている。やってくるのは経費の精算に訪れる社員ぐらいで、ほとんどの打ち合わせはホテルや喫茶店を使う。葉月は、スマートフォンの画面を持ち上げると、しばらく眺めた。二十年以上変わらないスタイルで業界の一端を担ってきた飯山社長の、最近の口癖は『引退』。残り数十年を乗り切るだけの金は、十分にあるだろう。
『葉月、お前もよく仕えた。百歳まで生きても苦労しないぐらい、退職金をやる』
作品名:Red eye 作家名:オオサカタロウ