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跡始末

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8:舞台



 明乃丞にとっての運命の舞台が、文字通り幕を開ける。その幕が上がりきり、役者たちの姿が観客たちの前に露わになっても、舞台の隅に座っている一人の黒衣を、おかしいと思うものは誰も居なかった。観客や、他の役者が誰も騒がないのを見て、差し当たり明乃丞は一安心し、黒衣としての役割を全うしようと全神経を張り巡らせる。だが、ここ数日の疲労と、初舞台の緊張感が、黒衣に身を包む明乃丞の神経を少しずつ蝕んできていた……。
「ここだ、ここが正念場だ」
明乃丞は、うわ言のように口内でつぶやきながら、ここ数日、血の滲むほど繰り返してきた練習のとおり、一つ一つ黒衣としての役割をこなしていく。

 芝居は、順調に進んでいた。明之丞も、色々つたない箇所がないわけではなかったが、概ね黒衣の役割を無難にこなしていく。
 やがて時間も経ち、芝居も終盤に差し掛かってきた。明之丞が行う黒衣が行うべき役割もあと少し。
「やっと、終わる」
安心して紗幕の内で息をつく。この時、明乃丞は完全に油断をしていた。

『パタン』
その時、明之丞にはなにが起きたかわからなかった。ただ、自分の足元で何か音がした、ということだけは理解できた。次の瞬間、主演の香竜がやってきて、小道具の受け渡しを要求する。ハッと気づいた明乃丞は、袂から急いで小道具を取り出そうとする。しかし、そこに目的の小道具は存在しなかった。
「!?」
明乃丞は焦り、幾度も袂を探し回る。混乱は頂点に達し、思わずきょろきょろと周囲を見回してしまう。ややあって、やっと自分の足元に目的の小道具が落ちているのを発見する。それを慌てて拾おうとする明之丞の手より早く、小道具は何者かの手に掴まれ、消え去った。

 それは香竜の手だった。

 香竜は、自ら屈みこんで、明乃丞の足元に落ちていた小道具を拾い上げた。その際、スッと下から見上げる形で、黒衣頭巾の紗幕の中を見る。香竜は、その紗幕の中の「顔」を確認すると、何事もなかったかのように、演技を再開した。
 舞台の上も観客も、舞台の主役である香竜に従うかのように、平穏な空気をまといつつ、芝居はちゃくちゃくと進んでいく。

 その中で、明乃丞はただ一人、羞恥で身動きが取れなくなっていた。

 痛恨のミスだった。
 小道具を取り落とし、さらに演者に拾わせるなど、師匠の麗京はもちろん、舞台に上がりたての黒衣ですらまずしない行いだ。さらに、演技に厳しい香竜に、顔を見られてしまったという大失態。それを、こともあろうに、最初で最後の大事な舞台でやらかしてしまったのである。
 だが、明之丞にはそれを反省する時間すら与えられなかった。なぜなら、急いで会場を立ち去り、早急に十二代目麗京の死と、流派の解散手続きを行わねばならなかったからだ。
 明乃丞は、動揺する心を半ば無理やり抑えつけ、師匠の家へと舞い戻る。そして、本日付けで十二代目早水 麗京の逝去を発表した。ただし、葬儀は身内でのみ行うとし、告別式の場所などは一切公表しなかった。そして翌日、直葬という形で、師匠十二代目麗京の葬儀を終えたのだった。


作品名:跡始末 作家名:六色塔