58の幻夢
6.アラクネ
「根負けしたわ。今晩私の家に来て」
幾度も袖にされた久美子からの、色よい返事だった。
久美子は冷徹無比な女だ。顔立ちは端整だが無表情。普段眉一つ動かさない。義理人情など全く省みない、透徹しきった仕事ぶり。人当たりも冷淡で、どこか見下しているようなものを感じさせた。
そんなマシンのような久美子だが、体つきは蠱惑的だった。ブラウスをこれでもかと押し上げる大きな魅惑の胸。タイトスカートに包まれる妖艶で劣情を抱かせる尻。すれ違った後、好色な目つきで後姿を見送る男が絶えなかった。
久美子に言い寄る男も少なからずいたが、誰もが一様ににべもない返事を貰うだけだった。しかし、特定の恋人がいるという噂も全くなかった。
その久美子が、やっと私の誘いに首を縦に振ったのだ。嬉しくない筈がない。気だけが逸る。何も手につかぬまま、一人時計の針の進みに焦れていた。
待ち焦がれた夜が訪れ、私達は久美子の家の玄関をくぐる。
シャワーを浴びた後の久美子のバスタオルを、少々乱暴に剥ぎ取って押し倒す。いつも冷静で狼狽える事などない久美子が、どんなふしだらな表情で、どんな痴態を見せるのかと思うと、もう体が疼きっぱなしだった。
しかし、ベッドの上でも久美子は変わらなかった。どれだけ唇を重ね合わせ、体を抱きしめ、乳首や恥部を愛撫しても。体の隅々にまで、終には不浄の穴までも指や舌を這わせた。それでも久美子は平然としていた。
「やっぱり、駄目ね」
屈辱的な科白に動揺し、顔を上げた時だった。壁に何かが居た。
「ああ、出てきちゃったの」
その何かに気付いた久美子は、無造作にそれを掴んで近くのケージに入れた。
「丁度良かった。教えてあげる」
久美子はケージを開ける。
そこには、八本の足を持つ蟲――蜘蛛が大量に蠢いていた。
「私ね、この子達じゃないと駄目なの」
そう言うと久美子は、全裸のまま膝立ちになり、両手でケージを高く掲げる。その仕草は気高くて凛としていて、水瓶を持つ女神に似ていた。
ケージが少しずつ傾き、中身が零れ出す。美しい顔で、豊満な胸で、久美子は受け止める。
夥しい数の蜘蛛。蜘蛛。蜘蛛。それらが久美子の肢体を這い回る。
普段の久美子とは思えない、理性が崩壊したような至福の声。いつもの顔は消え失せ、目を瞑り、口を開け、悦楽に浸る淫らな表情。
陰裂からは、ぬらついた愛液が滴り落ちて糸を引いていた。その光景はまるで、久美子自身が一匹の巨大な蜘蛛のようだった。