58の幻夢
28.豆腐日和
夜半から今朝にかけて、東京とその近郊には真っ白な木綿豆腐が降った。
カーテンを開け、白い化粧を施した様な外の世界を眺めながらため息をつく。昨晩のニュースを聞いて覚悟はしていたが、それでも憂鬱感は拭えない。気分の乗らぬまま顔を洗い、居間へ行く。TVで天気予報を見ているばあさんは、朝から上機嫌だ。そんなばあさんを尻目に、わしはそそくさと日課の散歩に出る事にした。
街の住民も、私の沈んだ気分とは裏腹に浮き足立っているようだった。
「こんなの、俺に言わせりゃとても豆腐なんて言えねえシロモンだぁな。
でもタダにはかなわねえ。今日はもう店じめえだ」
祖父の代からずっと続いている豆腐屋の大将は、向かいの八百屋にこうぼやいていた。だが、その声がどことなくうれしそうなのは、ふいに休業になったからだけではないように思えた。
「あなた。大丈夫ですか。気を付けて下さいね」
雪かきならぬ豆腐かきをしてる夫婦。奥さんはボウルを片手に下から呼びかける。果敢に屋根の上でスコップを振るう旦那さん。果たして気をつけてほしいのは旦那さんだろうか、それとも豆腐のほうだろうか。
「へっへっへっへ」
犬を連れたホームレスが、小脇に醤油と酒の瓶を抱え笑顔で通りすぎる。さしずめ誰も居ない公園で、豆腐を肴に酒宴でもおっぱじめるのだろう。しかし、犬は豆腐でも駆け回るようだ。猫はやっぱりコタツで丸くなってるんだろうか。
「おーい。遊ぼうぜー」
登校中の子供たちが、おもむろに豆腐をつかみだす。まあ、こんなもんが道端に落ちてれば、子供は遊びたくなるのが道理ってもんだろう。しかし豆腐なんて投げ合って大丈夫だろうか。さすがに角に頭をぶつけても死にはしないと思うが。
「パパ、いってらっしゃい」
一軒家の軒先に豆腐ダルマが作られていた。ダルマは、父親へのメッセージと思われる文章が書かれたボードを首から提げている。そいつは、目がカツオブシ、鼻がミョウガ、口がキムチ、腕がねぎでできていた。お父さん、嬉しかっただろうけど、それ以上に一杯やりたかっただろうなあ、と思いつつ通り過ぎる。
……色々あったが何とか散歩を終え、家に帰りついた。程良い疲れの中で朝の食卓へつく。
しかし案の定、その日のメニューは、湯豆腐、豆腐サラダ、炒り豆腐、そして豆腐とねぎの味噌汁。……いい加減にしろ。もう我慢の限界だ。わしは言い放った。
「わしは……、わしは絹ごし派なんじゃ」