58の幻夢
46.写し世
定年退職してから数年、水尾は久々にかつての勤務先である研究所を訪れた。共に働いていた後輩研究者が、偉大なる発明をして先日、賞を取ったからだ。
「ご無沙汰しておりました」
以前と変わらぬ様子で、笠原研究員が水尾を迎え入れる。
「では、早速ですがモニターをご覧下さい」
多少の世間話の後、笠原氏はモニターの電源を入れた。
モニターには、頭部に電極を刺された胎児が写っている。
「この胎児、実は中絶児なのですが、中絶前に私達が用意した夢を見てもらっています」
笠原氏の説明によると、胎児や人の夢を自在にコントロールできる、という発明らしい。
「ということで、中絶の前に胎児に一生分の夢を見てもらおうというわけです。
普通の家庭に生まれ、普通の学校に通い、普通の会社で、普通に仕事をする。
それなりの家庭を築き、それなりの地位に上り詰め、
それなりの寿命で死んでいく。そんな平凡な人生を営む夢を、です」
「そんなに長い夢だと、見終わるのに時間がかかるんじゃ」
「2時間程度です。母体にも影響はありません」
「夢を見終わった後は、どうなるんだ」
「老境に入り、病気やケガ等で意識を失った所で夢の映像は終わります。
その後、中絶処理を施して、本当に亡くなっていただくのです。
つまり、中絶児は実際に一生を送ったかのような経験ができる、
というわけです」
水尾が感心していると、笠原氏は少々困り顔で話を付け足した。
「中絶児であるならば良いのですが、
最近は人生に希望を持てない方がよくいらっしゃいます。
これからの人生、良い夢だけを見せてくれ、その後楽に死なせてくれ、
とおっしゃるのです。
こちらとしては、れっきとした殺人になるので丁重にお断りしていますがね。
よくよく事情をお伺いしてみると、
思わず同情してしまう境遇の方もいらっしゃいますよ」
「なるほど。安楽死制度が認可されればさらに使い途が出てくるのか」
水尾は思った。これは確かに素晴らしい発明だ。私自身は至極平凡な人生だったが、後を継いだ研究者がこんな大発明をしたということは、少なからず私の人生にも意味があったのだろう。
……平凡な人生? とある疑念が、水尾の頭に浮かぶ。
『私のこの人生は中絶児の夢ではない、と断言できるのか?』
その直後、ぐるぐると世界が回りだし、猛烈なめまいが水尾を襲う。薄れゆく意識の中、「そろそろ夢の終わりですね」という笠原氏の声。
『ジャキン』と鉗子の閉じる音がした。