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ウチのコ、誘拐されました。

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第一章:始まりの喧騒


その女性がやって来たのは、昼の一時半を過ぎた頃だった。
警察官――武東 岩音は、丁度昼食を終えた頃で、少しうつらうつらしていた。
特に事件も起きないし、交番の戸を開けていると、日の光と共に心地よい春の風がそよそよと入ってきて益々眠気を誘う。
五分だけ。五分だけ寝てしまおうか――などと考えていたその時、コツコツという靴音と共に「あのう」という遠慮がちな女声が聞こえて、武東は慌てて机から上半身を起こした。
「あッ、あ、失礼!」
「いえ、あの、お休み中に失礼します。」
「いや、あの」
こちらこそすみません、と言いかけて、武東は続きの言葉を失った。
交番の戸口に立っていたのは、途轍もない美人だった。切れ長の優しい目元に、ゆったりと括られた黒髪が、色白の肌に良く映えている。春の日差しの中で、まるで映画のワンシーンのようだった。
「あの」
無意識のうちに女性に見惚れていた武東は、その声にはッと我に返った。
反射的に立ち上がった瞬間に机の角に膝を思い切りぶつける。
「痛、ほ、本当に失礼しました!何のご用でしょうかッ!?」
涙目になりながらビシ、と敬礼を決める武東を見て一瞬女性の表情が和む。しかし、彼女は思い直すように表情を引き締めると、悲愴な面持ちで武東を見上げた。
「うちの猫が、誘拐されたんです。」
「はあ……」
意外、というか完全に予想外の答えに、武東はどう反応していいか分からず、とりあえず一つ頷いた。
そして、一番重要な部分を聞き返す。
「ネコ、ですか。」
「猫です。」
はっきりと肯定して、女性は真剣な表情で武東を見上げた。
「助けて戴けませんか?」
「いや、助けます、けど、何というかですね……あの」
猫、と誘拐、という単語が全く繋がらない。少なくとも、これまでの武東の人生24年間の中にそんな妙な出来事はなかった。
そもそも猫は誘拐されるものなのか。
というか、心配性なだけでただ単に『帰ってきていない』だけなのではないか。
「あの、散歩中なだけじゃないですか?いつもより遠出してて、とか。」
遠慮がちにそう言うと、しかし女性はきっぱりと「いいえ」と否定した。
「いつもあのこはこの時間、家で寝ている筈なんです。それに、家の郵便受けに、こんなものまで。」
そう言って女性がハンドバックから取り出したのは、白いハンカチで包まれた、二つ折りの紙だった。
武東は指紋を付けないように白手袋を嵌めてからそれを受け取り、紙を開く。
「ああ……これは」
武東は思わず眉をひそめる。
それは、新聞を切り貼りして作られた脅迫状だった。白いコピー紙に、大小の無機質な切り抜き文字が並んでいる。
[オ 前 の 家 ノ ネ コ を 預 カ つ た 返 シ て 欲 シ い な ラ 金 を 出 セ]
その文章を三回読んでから、それにしても、と武東は心の中で呆れた。
――今時なんて古風な……
今時、パソコンなりワープロなりという文明の利器があるのだから、筆跡をごまかす為ならそっちを使うほうが良い筈だ。というか、取り敢えず、新聞の切り貼りなんかよりもっと良い方法があるはずだ。絶対。
「……」
これ以上考えると何だか阿呆らしくなりそうだったので、武東は無理やり思考をストップさせた。
そして、何とか頭を切り替える。
取り敢えず、どうやら本当にこの女性の飼い猫は誘拐されたらしい。
イマイチどころか全くピンとこないが、事件が起きたら解決し、市民の平和を守る。これが警察の務めだ。
しかも今回の被害者(の飼い主)はただの人ではない。とんでもない美人なのだ。これはやるしかない。
そう思うことで、武東は半ば無理やり気合を入れた。
そして、ヨシ、と女性の方に向き直る。
「判りました。猫が無事帰ってくるよう、全力で協力致します、えーと、」
そこまで言ってから、武東はまだ女性の名前を知らなかったことに気が付いた。
「あの、お名前は?」
今更ながらに名を問うと、女性は一瞬意外そうな表情をした後、ふわりと微笑んだ。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたわね。……カスカベ キョウカと申します。京都の京に、花と書きます。」
春日部 京花、と書くのだろう。綺麗な名前だ、と武東は益々やる気が湧くのを感じた。
「春日部さんですね!自分は武東 岩音といいます!」
「カスカベだあ?」
「え?」