福笑い
僕は「え、どっちの目。右なの。左」と訊き返す。
小学一年の君は「右だよ」と今にも吹き出しそうに笑いを堪えた声で答える。
僕は訝しがりながらも受け取った紙片をここ、という位置に狙いを定めて置いていった。
目隠しを取ると、どう見ても渡された順番がおかしいとしか思えない顔がそこに在った。
右目の位置には口が。左目の位置には鼻。鼻と口の場所には右目と左目が縦に並んでいる。
しかし、鼻の向きが逆さまなのは置いた僕に責任があるのは間違いはない。
何しろ僕は貰った紙片の形を確かめることなどもせず言われるままに置いていったのだ。
少し困った顔をして出来上がった福笑いを眺める僕を見て、君は大喜びで笑い転げた。
僕はそんな君の顔の方がよっぽど福笑いだと言いたかったが、何故か口には出さずに、今度は君の番だと目隠しのタオルを君に差し出した。
最初はイヤだイヤだと君は言っていたけど「じゃあお兄ちゃんは遊びに行っちゃうから、今度は先生に遊んで貰ってね」と言って立ち上がろうとすると、行っちゃダメと言ってタオルを僕に差し出した。
どうやら自分では結べないという事を言うのがイヤだった様だ。
僕達はそのあと代わり番こに四五回福笑いをして遊んだ。
アヤちゃんは姉の勤める保育園の園児だった。
そのアヤちゃんは元旦の朝に僕の家に連れてこられてさっきまでは不貞腐れて居間の端っこに小さくなって固まっていたのだった。
何でもアヤちゃんのお母さんのお母さん、つまりは田舎で一人暮らしのアヤちゃんのおばあちゃんが交通事故に遭って緊急入院したと言うのである。
母子家庭のアヤちゃんのお母さんは他に頼るところも思いつかなかったらしく、小学校の先生から順に保育園の先生まで片っ端から電話を掛けて八人目の姉が預かる事になったらしい。
「とても遠慮深いお母さんだったのよ。あんな電話をくれるなんてよほど困ったんだと思うの」と姉は僕に元園児のアヤちゃんを預けて言ったのだった。
そんな姉は年末に買っておいた材料を使って元旦の朝からおせち料理なんかを作っていたのだった。
中学一年の僕は小さい子供の相手なんてした事は無く、逃げ出してしまいたい気持ちで一杯だったけど、母のいない我が家では家ではあまり役に立たない父より、姉は逆らい難い存在だったのだ。
始めは頑なだったアヤちゃんだったけど、アヤちゃんは絵が上手なの、という姉の言葉に学校で使うスケッチブックを渡して「絵でも描いてみる」と誘うと案外簡単に乗ってきたので僕は少し安堵した。
熱心に描いている何人かの人を見て、これは誰と尋ねると、これはお母さん、これは○○先生、これは□□先生、と教えてくれた。
姉の名前が出てこなかったのでその事を訊こうとすると、台所から顔を出した姉が「直接担当した事はなかったのよね」と僕ではなくアヤちゃんに言った。
そのどれを見ても同じ顔にしか見えないものを見ながら僕は福笑いをしようと考えた。
スケッチブックに大きな顔を描かせてその輪郭に合わせて切った別の紙を置いて顔を描いてもらった。そしてそれを目、口、鼻と別々に切り取って輪郭の中に配置して見せた。
ちょっとした置き方で色々な表情が作りだせ、子供にはそれだけでも面白かったようだ。
ときどきタオルを直すふりをして盗み見をして作った顔は、当然の事ながら僕のよりは数段出来がよかった。
すっかり機嫌が良くなったアヤちゃんはその晩は姉と一緒に寝て、翌日は僕が凧上げに連れて行った。
夜になると又福笑いをして、結局二晩泊まった翌日の夕方にお母さんが引き取りに来てアヤちゃんは帰って行った。
実家に近い遠い親戚の家に暫く預けるのだと言う。
お母さんに会えて嬉しそうなアヤちゃんは手を振りながら帰っていった。
その後アヤちゃんは二回ほど我が家を訪れた。
正月になると我が家を思いだすらしく、母親にせがんで連れて来て貰うのだ。
おばあちゃんがどうなったかというと、あれからすぐに亡くなったのだとお母さんが教えてくれた。そうでなければアヤちゃんを連れて田舎へ帰ろうと思っていたらしい。
そしてアヤちゃんは少しだけ遊んで帰って行った。
次にアヤちゃんに会ったのは、アヤちゃんのお母さんのお葬式だった。
高校の制服を着たアヤちゃんは初老の男の肩に額を預けて泣いていた。
姉が挨拶をするとその初老の男を父親だと紹介してくれた。
父親とは死別だったと聞いていたので、そんな二人を見ていると再婚して幸せになったんだなと、少し安堵したのは何故だったのだろう。
――そして、息子夫婦が孫を連れて帰ってしまったあと、置いて行った菓子のおまけの福笑いを見て綾が楽しそうに僕を誘ってきた。
「ねえ、やってみましょうよ」そして僕にタオルを差し出した。
おわり
目 目 鼻 ロ
鼻 目
口 目
2012.12.08