小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

大晦日のすき焼き

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 エノキは……根元のおがくずが付いたような部分を切り落として適当な大きさの房に分けておく。
 ネギは……そうそう、おふくろは斜めに切ってたっけ……。
 春菊もさっと洗って適当な長さに切りそろえた。
(さて、真打の登場だな)
 牛肉のトレイからラップを剥がして……おっと、皿はもう一杯だ。
(トレイのままでいいか……)
 一瞬そう思ったが考え直した、洗い物が増えると言えば確かにそうだが、皿から取る牛肉とトレイから取る牛肉ではいくらか味が違いような気がするじゃないか……。
(あ、こっちを先にやっておくべきだったかな)
 割り下を作るのを忘れていた、俺は一人用の土鍋を引っ張り出した。
 上京したての頃はこれで水炊きを……昆布も何も敷かずにただ水を張って湯を沸かし、ぶつ切りにした鶏肉と白菜、春菊か小松菜を煮ただけのものを時折作っていた、そんなのでもポン酢で食べると米の飯も進んで満足したものだが……いつの間にかそれもしなくなり、居酒屋で一杯やるか、アパートに帰ってほか弁のおかずをアテにビールを飲むだけになってしまった……今日からは料理をする男になるんだからまた出番は増えるだろう。
(またよろしくな)と思いながら土鍋を軽く洗い、割り下を作って行く。
 そうそう、先輩にすき焼きを奢ってもらった時、いきなり牛肉を焼き始めるので驚いた覚えがある、俺の知っているすき焼きは割り下に素材をぶち込んで煮るものだったからだ。
 どちらがより本格的なのかは知らないが、俺にとってのすき焼きは割り下で煮るものだ。
 計量カップなんてないからワンカップの空き瓶……いや空きコップかな……で大体の見当をつけて酒とみりんとしょうゆを鍋に……ちょっと少ないかな……もうちょっとづつ……こんなもんだろう、後は砂糖を入れて割り下は完成だ。
 鍋がわくのを待っていると炊飯器も久しぶりの仕事に張り切っている様で良い匂いをさせ始める。
 よし、鍋もぶくぶく言い始めたぞ、一番煮えるのに時間がかかりそうなのは……春菊の根元近くの部分とねぎ、それにエノキをぶち込む、焼き豆腐も沁み沁みになってるのが好きだからこのタイミングで……と。
 よし、そろそろかな……どのみち火が通っていないと食えないものなど入ってない、春菊の残りとシラタキを投入してしんなりしてきたら、大トリの牛肉を……少し赤い部分が残るくらいでいい、土鍋だから炬燵に運んでからも火が通るはずだから、入れてすぐに火からおろした。
 おっと、これも忘れちゃいけない、小鉢に卵を割り入れて……と。
 卵はまだ九個もある、黄身が絡んだ肉を味わいたいからあまり混ぜ過ぎないように……と。
 よし! これで完成だ! 良いじゃないか、良いじゃないか、これぞ俺のご馳走だ。
 
「うめ~」
 背中がまだちょっと赤い牛肉に黄身をたっぷり絡ませて……割り下は見た目ちょっとしょっぱそうで心配したが、卵を絡めると絶妙な濃さ、おふくろは間違っちゃいなかった。
 おっと、春菊もあまり煮え過ぎないうちに……おお、これだ、この風味、子供の頃、苦い味は苦手だったのだが、春菊のほろ苦さはなぜか好きだったのを思い出す。
 よし、ここで焼き豆腐を……う~ん割り下から顔を出してた部分はまだ冷たそうだし白いまま……だが問題ない、豆腐なんぞ箸で充分、横二つに切って下の部分を……うん、すき焼きに焼き豆腐を使うことを思いついた人物は天才だな、焼いた部分がないと卵が絡まない……適当に沁み込んだ割り下の味が……絶妙だ。
 ねぎはどうだ? うん、まだ少し早かったかな? シャキシャキ感が残っている方が良いと言う手合いもあるだろうが、俺はクタクタになってる方が好きだ、少なくともすき焼きに関しては。
 おお、結んであるシラタキも割り下をしっかり吸い込んで……結び目の芯の辺りだけまだシャキッと白いのもなかなか……エノキも捨てがたい、こっちは芯までしっかり割り下を吸い込んで、自ら出したとろみをまとっている、こいつら、自己主張し過ぎず、それでいてさらりと個性を垣間見せる名わき役だぜ。

「ピー、ピー」

 おお、炊飯器も己の使命を全うしたようだ、少し蒸らした方が良い事くらい知っている、だが、今、俺の口腔は、舌は、他の何物でもなくただただ白飯を欲している。
 すき焼きは美味いがかなり味が濃い、ビールでリセットすると言う手もあるが、口腔を洗い流すのではなく、白飯で中和して行くと言う方がすき焼きを楽しむ王道なのではないか?
 炊飯器の蓋を開けると立ち上る湯気とほっこりする香り……そう、定食屋ではこれは味わえない、茶碗によそわれて運ばれて来る飯はここまでの湯気と香りは楽しませてくれない……俺は日本人に生まれついた幸福を噛みしめながら茶碗に光り輝く白飯をよそって炬燵に戻った。
 さて、続きだ、すき焼きはまだ打者一巡したばかり、もっとも既に大量得点を挙げて試合の流れを決めているが。
 二巡目の肉を取って黄身を絡めて飯の上に……白い飯にジワリと沁み込む割り下と黄身の混合液! 白飯を汚すのではない、すき焼き色にじんわりと染めて行くのだ、素直に染められて行く白飯もいじらしいじゃないか、まるで白無垢をまとった花嫁のようだ。
「うめぇ~」
 誰も聴いてない事も忘れ、俺は思わず声を上げた。
 両隣のやつら、もう帰ってるかな……俺は今至福の時を味わっているんだぜ! 思わず漏れ出す歓喜の声を聴いてよだれを垂らすが良い。

 俺は卵を絡めたすき焼きと白無垢の花嫁……じゃなかった、白飯の完璧なマリアッジを、ハーモニーを存分に楽しんだ。
 そして……。
 そう、すき焼きの締めはこうでなくちゃいけない。
 鍋の底に僅かに残ったねぎの一番外側の輪っか、シラタキの切れ端、ちぎれてしまった春菊の葉、仲間とはぐれたエノキ、そして半ばひき肉と化した牛肉の切れ端……おお、豆腐はまだ半欠片残っていたじゃないか、隠れ通せると思ったら大間違いだぜ。
 俺は炊飯器に残っていた最後の白飯を茶碗によそうと、すき焼きの残骸をぶちまけ、すっかり茶色くなった卵をその上からぶっかけた。
 ザクザクザク、ザクザクザク。
 最後の一杯をよそった時点でもうすっかり腹は一杯だったはずだ、だが、この一杯はまた別だ、女の子が『甘いものは別腹』とのたまう気持ちがわかる、これはもう勝手に口に飛び込んで来る。

「ふえ~……美味かった、満足だぁ~」
 俺はまた声に出して良い、畳に背中を投げ出した。
 多分、最高級レストランでフルコースを食っても、職人気質のおやじが握るすし屋で腹いっぱい食ってもこの満足感には敵わないと思う、なにしろ『郷愁』と言う隠し味まで聞いていたんだから。
 日本に生まれて良かった、文明開化よ、ありがとう!

(ん? そう言えば……)
 しばらくは幸福感に浸っていたが、俺はふと思い出した。
 年越しそばのもう一つの意味って……? 俺はスマホを手に取った。
【一年の悪い運気を断ち切って、新しい一年の多幸を願う】
 しまった……思っていたのと逆じゃないか、この一年はあまり良い事はなかったぞ、それと言うのもコロナのせいだぞ、それを新年に繋げてどうする……。
 
 だが、もう食えない、そばの一本だって入らない。
作品名:大晦日のすき焼き 作家名:ST