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短編集80(過去作品)

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写真に潜む謎



                写真に潜む謎


 今日はいったい何日だろう?
 今日という日が永遠に続けばいいと思っているのは、園部だけではあるまい。毎日を同じように過ごしてきて、
――早く今日みたいな一日は過ぎてしまえばいいんだ――
 と感じていた頃が嘘のようだ。
 今日一日を何度も繰り返していると感じたのは、最初からではなかった。これは夢だと思っていたので、一日が終わらなくとも、それほど気にはならなかった。むしろ終わらない一日に感謝をするほどであった。
 しかし、いずれそんな気持ちも変わっていくことだろう。それが怖いのだ。ある時突然の不安に襲われると、それを取り除くすべを知らない。同じ世界で生きている自分に何ができようというのだろう。
――これが夢であれば、早く覚めてほしい――
 と思うに違いない。
 元々夢見があまりよい方ではない。怖い夢を見ると、そのことが頭から離れず、その日の夜の夢にまで影響するほどであった。
「園部さん、そんなことは普通ないですよ」
 大学時代の後輩に話しても、そう答えるだけだった。まったく要領を得ない話だといって一蹴してしまう人もいるが、真面目に聞いてくれる人もいる。やはり同じ感性を持った人がいるという証拠だろう。
「どういうことだい?」
「自分などは、どんなに怖い夢を見ても、次に夢を見る時には、完全に前の夢は消えてますね。そうじゃないと、新しい夢を見ることなんてできないんですよ」
「そんなものなのかな? それだけ夢を見る時に感じる気持ちに限りがあるということだろうか?」
「それもあると思いますが、夢って共有できないものだと思うんですよね。人と共有できなかったり、現実でも日が変われば、間違いなく違う日でしょう? 繰り返すことなんてないんですよ」
 同じ日を繰り返すことはできないということを強調していた後輩だったが、それは同じ意見である。夢の世界でも同じことなのかも知れない。
――夢とは潜在意識が見せるもの――
 といわれるが、意識がなければ夢だって存在しない。まったく不可思議な夢であっても、それは潜在意識の範囲から逸脱することはできないのだ。
 夢を見ていてそんな意識を感じることがある。夢の中の自分が感じるのだが、主人公としての自分が感じるのではない。映画を見ているように観客席から傍観している自分も存在するのだ。自分が見ている夢だと分かっているのに、どうすることもできない傍観者、それも自分なのだ。
 最近の夢の中で、いつも会っている女性がいることに気付いていた。最初は意識していなかったが、
「こんにちは、また逢えましたね」
 最初にその言葉を聞いて、初めてだと思いながら、どこかで会ったことがあると思った疑問をすぐに解決してくれる言葉だった。
「以前にもどこかで?」
「嫌ですわ。いつもここでお会いしているじゃないですか。あなたが私を待っていてくれるんですよ」
 言われればそんな気がする。顔を見つめていれば、初めてでは決してない。いつも会っている顔なのだ。
 満面の笑みを浮かべる彼女のその顔を最初に思い出せなかったのは、彼女のもう一つの顔もイメージが強いからである。笑顔など信じられないような凛々しい表情、廊下を歩いていて無駄な動きを感じさせない隙のない歩き方、声を掛けるなどできようはずもない。
 そんな彼女の方から話しかけてきたのだ。満面の笑みを浮かべるその口元が怪しく歪んでいるように見えるのは気のせいではないだろう。彼女の笑顔にはいつも日が差していて、光った顔が妖艶な笑みとして映っている。
「そうだよ、私はいつも君を待っている」
「嬉しいわ。私もあなたに会えるのを楽しみにしているんですよ」
「そういってもらえると光栄ですね。ゆっくりお話がしてみたいといつも思っているんですよ」
 そういって、話をすることになるのだが、他愛もない話から始まった気がする。内容は覚えていないが、いつも同じような話ではないだろうか。そのわりにいつも新鮮で、聞いたことがあると思っていることがこれほど新鮮に聞けるものかと、不思議な気持ちにさせられる。
 いつも出会いは同じシチュエーションだとは限らない。むしろ違っていることの方が多い気がする。覚えていないのだ。
 だが、話すセリフはいつも同じだ。同じ世界を毎日繰り返しているのではないかと思うのも、同じセリフを毎日話しているように思うからだ。
 シチュエーションが違うのはなぜだろう。夢を見ているのだと思うからだろうか、それとも同じ日を繰り返しているのが嘘だと思いたいからだろうか、どちらにしても感覚は同じである。
 昨日は海を見ていたようだった。海の香りがまだ鼻に残っている。潮の香りが身体にへばりつく湿気の気持ち悪さを思わせ、気だるさを感じてしまうのだ。
 海というとあまりイメージはない。小学生の頃に連れて行ってもらっただけで、友達と海水浴に出かけることもなく、プールに行くこともなかった。泳ぐことが嫌いなわけではないのに、なぜか水を怖がっている。ドラマの中で溺れるシーンなどが出てくると、震えが止まらなくなりそうである。
 行ったことのない海を思い浮かべる時というのは、必ず夜の海である。夕焼けの海を思い浮かべたいと思っていても夢で見ることもない。海面に写る月が歪に見え、遠くから聞こえる細波に誘われるかのように、波の音が静かに響いている。
――静かな海――
 釣り糸を垂れながら、何も考えず月明かりに身を委ねていたいと思ったこともある。名も知らない小さな漁村に、一軒の民宿があり、地元で取れた魚に舌鼓を打つ。そんな光景を思い浮かべたこともあった。
 仕事の合間のふとした瞬間、背筋を伸ばしながら思い浮かべていたものだ。しかし一度として見たことのない夜の海、イメージは潮の香りだけである。
 沈んだ夕日が、また朝になると浮かんでくる。夜の海を見ていて、朝日の光景を思い浮かべることは困難かも知れない。沈む夕日も昇る朝日も思い浮かべることは難しくない。だが、夜の海を思い浮かべてからの発想にはかなりな無理を感じるのである。暑さの残る時期に感じた夕日というものは、身体に湿気を充満させるに十分なのだから……。
 夜のしじまが訪れると、音が篭って聞こえるようだ。昼間の喧騒とした雰囲気を夜が癒してくれると感じていたが、夜は夜の世界があるのだろう。昼間に生活している人たちと本当に同じ人ばかりなのか、不思議に感じる。
 夜の団地を一人で歩いていると、自分の影が信じられなくなる。足元から伸びる影が、静かに建物の壁を這っている。トカゲが壁を這って、穴の中に入っていくイメージがなぜか頭の中に浮かんできて、その上を自分の影が綺麗に隠していくのだ。
 夜自体が影の世界なのに、さらに影が存在する。夜はいまや影ではないのだ。昼の影を残しているのには違いないが、夜独特の影との見分けがつかない。
 夜に独特な世界をいつも見ているつもりだが、海面を見ていると、写る月明かりが幻のように思える。
 月というのは、海と密接な関係にある。潮の満干は月の引力の関係によるものだ。夜にだけしか目の前に現れることのない月が、一日中影響しているのだ。
「夜の海って綺麗ね。私は好きよ」
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次