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おとめ

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 ぬばたまのような瞳が一瞬だけ私を見た。彼女はいつも通り自室の大きな机に向かっていて、すぐそちらに視線を戻した。
「遅かったのね」
 彼女の声は細い針を思わせる。誰かを咎めることが似合う声。力づくで容易にへし折ってしまうことだってできる細い針なのに、刺される痛みをなぜか受け入れてしまう。
「すみません。聡子様のお手伝いをしていたんです。温室で重たいものをどかさなければならなくて」
「私を優先して。ああ、腹ただしい。いつも私の邪魔ばかり。どうしてなの。貴方、お母様の口車に乗せられないように気をつけることね。あの人は自分では何も出来ないからいつもいつも弱者になって哀れみを誘うの。ああ、腹ただしい」
 ガチャン、と彼女の手元で陶器が割れた。彼女の右手には似つかわしくない無骨な金槌が握られていて、彼女が右手を振り下ろす度に無実の真っ白いティーカップとソーサーが破片に成り下がっていく。もう繋ぎ合わせられない程に破壊されてしまっていて、一体何組の茶器が彼女の「儀式」の生贄になってしまったのかは分からない。
「トモ、怪我をしないように」
「しない。貴方、分かったような振る舞いは許さないわ。私が何度同じことをしたか知らないでしょう」
「失礼しました」
 また一枚、ぶつかる音がして白い破片がうまれた。
 バラバラになったそれらは割れた時に床に落ちたのを別にして、机に置かれた籠に収められている。
 籠の中を覗くと猫の形の取手が埋もれていることに気付いた。
「トモ、このカップは気に入っていたのでは?」
「あの人が割ったのよ。欠けたものは好きじゃない。だからせめて最後は私がおしまいにしてあげるの」
 ああ、それで彼女の怒りが「儀式」をするに達してしまったのだな、と納得した。なるほど、と頷いて私は屈んで床に広がった細かな破片を拾い集めて籠に移す。彼女が金槌を仕舞うのを確認してから、籠を持ち、扉を開けた。
「ありがとう」
 彼女の後ろをついて歩く。自分よりひとまわりは体格の違う十五の少女にこうして付き従うようになって二ヶ月ほどが経つ。彼女の行き先は知っていた。私が拾われた場所だからだ。
 広い屋敷の廊下を静かな足音が二つ。微かにピアノの音がする。聡子様だろう。ピアノを弾くか温室にいることが多い。トモが細く鋭い針ならば、彼女はしおれやすい花のようだと思う。
「聡子様に出掛けると言わなくても良いのですか。この前も心配して少し泣いていましたよ」
「あの人は少し悲しいと思うと涙が出るのよ。私が心配なのではなくて、私も貴方もいなくなったら自分を助けてくれる人間がいなくなるから悲しくて泣くんだわ」
 トモと私は玄関を抜けて、裏門へ回る。この家の裏は山のようになっていて、そして全て彼女の家の敷地である。
 空を灰色の雲が埋め尽くしている。肌寒そうに見えるが実際は湿気が高くやや蒸し暑い。トモは薄い長袖の黒いワンピースの裾が草木で汚れないようにしながら踏み固められた道を進む。十五分程歩いたところが目的の場所だった。
「籠を」
 川が流れている。もっと高いところから流れてくる水は透明で、涼しげな音を立てている。私は二ヶ月前、ここにいた。理由は分からない。どうしてだか私はここに立って彼女を見ていた。
 彼女は私から籠を受け取るとそれを川の真上で逆さにひっくり返した。この時だけ、川の流れに身を任せる真っ白な何かを見つめている時だけ、いつも何かに怒りの炎を燃やしている彼女の瞳ががらんどうになる。あの時もこのように私に気付かず籠の中身を川に流していた。あの時は確か、綿だったと思う。
 彼女は、こうして白いもの(それは彼女の基準を満たせばなんでも良いようだ)を壊しては川に流すことで感情の清算をしている。怒りも、憎しみも、そうして終わらせる。家族も知らない、私だけが知っている。
「トモ。ひとつ聞きたいことがあります」
「何」
「貴方はあの時、どうして私を拾ったのですか。この川流しを私に見られたからですか」
「どうして?」
「自分の名前も知らない記憶喪失の男は不審者でしょう。でも貴方はそんなことより私がこの場にいて、貴方の行いを見咎めるのを嫌がっているようだった」
「口封じに貴方を連れて帰ったのだと思っているのね。何、貴方、拾われたくなかったの。ここでずっと彷徨っていたかった?」
「いいえ。トモに拾われて感謝しています」
「じゃあそれだけで良いじゃない。貴方に教える必要はないわ。帰りましょう、お母様が泣くから」
 至極鬱陶しそうに、彼女は言った。今日も一度も微笑まなかった。怒りに燃えている彼女も、川に白を流している時に見せる虚ろな表情も美しく思うが、未だ知らぬ彼女の笑顔も同じように美しいように思えてならない。


 庭穂智花(にわほ ともか)がこの家の主だった。母親が彼女を前にすると萎縮しているのは誰の目にも明らかだったし、父親は存在はしているようであるがこの屋敷にいるところを見たことがなかった。彼女はこの街のどこでも顔と名前を知られていたし、街の人間もどこか彼女を恐れているようだった。
 記憶が戻るか、警察が失踪者届から身元を割り出すまで私と母が面倒をみますので、とトモが申し添えてそれで全て決まってしまった時に、ああこの少女は、もしくはこの家は普通の家ではないのだなと悟った。
 彼女は私に衣食住を与えた恩人であるが彼女が何故私を世話することに決めたのかは謎のままだ。
 トモとこの家について分からないことはまだある。
「離れ」もその内の一つだ。

 明くる日、居間の窓際でトモの帰りを待っていると、聡子様と鉢合わせた。聡子様は周囲を窺って、そして首を傾げた。ウェーブのかかったロングヘアが一緒にさらりと揺れた。
「……智花は一緒じゃないのね?」
「学校から戻ってきて、そのまま離れへ。ついてくるなと」
 そう言うと、聡子様は怯えているような表情を更に強張らせた。
「そう……」
「聡子様、離れに何が?トモは月に一度離れに行くようなのですが」
「それは」
 聡子様は私とあまり目を合わせようとしない。腕に抱えていた紙の束(楽譜のようだった)に視線を落としながら、細く震えた声で、
「言えないの……智花に怒られてしまう……」
 と言った。ゆっくりと顔をあげると今度は弱々しく精一杯微笑んで私の向かいに掛けた。
「ね、智花は最近元気かしら。貴方が来てから智花はずっと一緒でしょう。貴方のこと気に入ってるのよ。私が貴方とお話するのを見ると怒るものね。智花は私と違ってハッキリしているから……私のことがきらいなのよ……」
 聡子様は目を潤ませている。私のような部外者にも気を遣ってしまうか弱さはトモとは正反対だ。ただ、表への出やすさの違いはあるが、トモの感情の起伏の激しさは間違いなく聡子様譲りだ。
 とにかく離れのことは知られたくない、のだろう。聡子様が、というよりはトモが私にそう思っているのは明白だ。
「私のことを気に入っているかどうかは分かりませんね。私もトモに怒られてばかりですから」
「ごめんなさいね、智花はお母様に厳しく躾けられていたから、どうしても……あ、やだ、いけないわ、お母様、智花のお祖母様のことは秘密にしてって私が約束したのに」
作品名:おとめ 作家名:大文藝帝國