小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Wedge

INDEX|4ページ/4ページ|

前のページ
 

 決まり文句のように何気なく受け流していた言葉が暗転したのは、月子が十歳になった年だった。同じ話をテープレコーダーの録音のように繰り返した賢二の言葉に、おれは受話器を放り出しそうになった。腕の毛が立ち上がり、頭から氷水をかけられたように全身が凍った。事務所になんとなしに蓄積されて、得意先のとごっちゃになった年賀状は、計十枚。つまり、十年経ったのだ。まだ生まれないのか? その疑問が投げかけた影をやり過ごすように、おれの頭にはひとつの結論が生まれていた。
 おそらく、月子の父親はおれだ。その考えが頭に浮かんでからは、月子がどんな行動を取っても、おれ譲りに見えた。誰も文章の書き方を教えていないのに、月子は中一のときに作文コンクールに入賞した。同じ頃、おれが政治について面白おかしく茶化した記事を読んで、そこからは師匠扱いされている。
 明日も、またあの忌々しい餅が出るのだろうか。
 おれは、十年前に書斎で親父と話したときのことを思い出していた。弁護士と入れ違いに呼ばれたおれは、親父から『大事な話や』と伝えられた。
『お前は、本を出せ。雑誌の記事とかやない。なんべんでもええから、挑戦して、自分の名前だけが載ってる本を出すんや』
『それは、金も時間もかかるよ』
 おれが言うと、親父は遺言状の中身を語った。
      
 翌朝、一番先に起きたのは母で、次に親父、賢二、麻希、最後に月子の順番だった。おれは寝ていない。味噌汁や焼き魚の匂いに混じって、あいつがいる。納豆餅が親父の目の前に並び、全員がいただきますをしてから、食べ始めた。自分の将来を案じて貯金をしていると知ったからだろうか、月子の横顔は突然大人に近づいたように見える。同時に、賢二と麻希は格下げされた。今、頭に浮かんでくるのは、皮肉めいた笑いだけ。賢二は、ひとつ目の餅に取り掛かった親父の顔を見ている。母も同じだ。麻希の視線が泳いでいるところを見ると、この三人は同じ考えを共有している。ポケットで鳴っているスマートフォンが気になりながらも食事に集中している月子は純粋だ。たまにおれの方を見て、夜は墓で寝ているのかとでも言いたげに笑う。
 この中で、おれだけが知っていること。親父が忘れていても構わない。遺言には、はっきりと書かれているのだから。今、この場で親父が餅を喉に詰めて、亡き人になったとする。その場合、賢二の手元に転がり込むのは、一本のハンマーだ。資産は全て、おれに引き継がれる。親父が語った内容は、それだった。
『本当に必要としている人間に、必要なものを与える』
 おれは、三つ目を完食した親父の姿を見て、賢二に言った。
「来年こそは、やな」
 沈黙が流れて、空気が止まったことに気づいた月子が、おれたちの顔を代わる代わる見た。麻希が苦笑いを浮かべて、とぼけている。母は知らん顔、賢二だけがおれの言葉にクリーンヒットを食らったように見えた。家族というのは、ここまで落ちないと、家族ではいられないのだろうか。それとも、おれたちだから、ここまで落ちることができたのか。
「兄貴、来年の抱負は?」
「ない」
 おれは短く答えると、味噌汁を飲んだ。そう。お前には関係が『ない』。実際、お前がやろうとしていることは、おれがやろうとしていることを、結果的に助けている。月子が真っ先に指摘した、おれの顔色。残念ながら、これは仕事疲れじゃない。瀧野家の遺伝子に体がうんざりしたのか、全てを諦めたのだ。先月の健康診断で、おれは悪性リンパ腫と診断された。予後はかなり悪いし、何よりおれは、この年末を越えるまでは、治療を始めるつもりはない。抗がん剤治療が始まって、出家でもしたようにつるっぱげになったら、賢二と麻希が何を考え出すか読めないからだ。もちろん二人は遺言のことを知らないから、おれの考えも知らない。おれは、相続した資産は全て寄付するつもりでいる。これは、自分の人生に終わりが見える前から決めていたことだ。長い歴史の中で肥え太った瀧野家は、莫大な資産に麻痺したまま、ただの一度も、我に返らなかった。そんな中で産み落とされた金は、家族の誰にも引き継がせない。しかし、もしおれが親父より先に死んだら、おれが相続する部分に関しては、遺言は無効になる。そうなれば、資産は法律に基づいて分配される。
 つまり、賢二が餅を食わせる相手は、おれであるべきなのだ。
 おれの来年の抱負。それは、手遅れにならない内に会社を清算することだ。かつて親父の遺言を整理した弁護士には、明日連絡を取る。今まで養ってきた面子には申し訳ないが、かなり格好の悪い幕切れになるだろう。路頭に迷う人間も出てくるかもしれない。昨日、月子が貯金していることを知ったときに、自分が唯一できることに気づいたのだ。身売りすれば、それなりの額が生まれる。後は時間との闘いだ。しかしおれには、間に合わせる自信がまだ残っている。全てが更地になったとき、おれの資産は月子が手にすることになるだろう。それが今のおれの、至上命題。償いにしてはあまりにも陳腐だし、罪は残り続けるが、それ以外にできることは思いつかなかった。
 賢二と麻希は、今晩ワインを飲みながら、おれの言葉の意味をよく話し合うに違いない。それなら、引っ搔き回してやるのも、一興だ。おれは、親父に言った。
「もう一個、焼こうか?」
 親父はゆっくりと首を横に振った。生まれた瞬間から、三個と決めていたようだ。どこまでも思い通りにならない。病気のことを伝えても、記憶の上を上滑りするだけだろう。おれは親父の中で、永遠の生を与えられている。賢二が、おずおずとおれの方を向いた。まだ決めかねているが、共犯者と目星をつけているのかもしれない。お前は、タイヤの空気圧とギアチェンジのことだけ考えてろ。おれがそう思いながら笑うと、母が笑うのをやめた。今さら、何も変えられない。親父はゴールポストを見失って、スタート地点に戻った。母と賢二と麻希は、人のゴールポストを躍起になって動かそうとしている。
 おれは、自分の分を手に入れた。そこで、晴れて積荷を下ろす。
 思い通りにならない栄光も、救いがたい罪も、全て。
作品名:Wedge 作家名:オオサカタロウ