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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Wedge

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 アルファードの、電動スライドドアが閉まるときのブザー音。まるで、爆発のカウントダウンだ。おれがそれを待っていると、助手席に飛び上がるように乗り込んだ月子が言った。
「シート、フカフカや。この車、ばり高いやんね」
 おれは、瀧野賢一。四十五歳。後部座席で、スライドドアを手で閉めたくてたまらない様子の賢二は三歳年下の弟、先に乗り込んでいた麻希はその妻でさらに三歳下、常に助手席を選ぶ月子はひとり娘で十七歳。賢ちゃんだと兄弟のどちらを指しているか分からないから、月子はおれのことを『いっちゃん』と呼ぶ。
「いっちゃん、ひとりでこんな大きい車、何に使うん?」
 会えば質問攻め。苦笑いで返そうが、無視しようが、月子には関係がないらしい。瀧野家は、年末から正月にかけてを、実家で過ごす。自分で稼ぐようになって気づいたことだが、豪邸だ。広い庭に、宴会ができるぐらいの広間、ゲストハウスもある。そんな洒落た洋館を建てられたのは、瀧野家の主人であり、鉄工を飯のタネにしてきた瀧野グループの会長である、瀧野正夫の経営手腕によるところが大きい。つまり、おれたちの親父。グループ自体は十年前に売却したが、名前は残されている。この家も、名残りのひとつ。おれは電動のシャッターが開くのを待った。最近は、なんでも電気で動く。賢二はおそらく、手で押し上げたいと思っているだろう。
「はい、無視ですね」
 月子の言葉に、返事を忘れていたことに気づいたおれは、ガレージの隙間からゆっくりと差し込んでくる光に目を細めながら言った。
「いや、何に使ってるんか、すぐ浮かばんかった」
「顔、ほんまに疲れとる。ちょっと痩せたし」
 月子はおれの顔を見ていた。賢二がシートの隙間から顔を出そうとしたが、おれが額を弾く形に指を丸めると、頭をひっこめた。兄弟の関係性は、四十年間変わらない。しかし、独身のおれと、所帯持ちの賢二では、その生活様式は完全に異なる。おれは、自分の会社を持っている。人を焚きつけて、そのケツを叩く仕事だ。うまくいったら『よかったね』と言い、うまくいかなかったら『チャンスは何度でもある』と言うだけだから、簡単だ。今年は、オンラインサロンでそれらしいことを語る機会が増えた。そんな中でも、WEBマガジンのライターだけは続けている。収入面から考えると、ひと晩の飲み代程度にしかならない執筆業を続ける必要はない。ただ、若い頃に志した仕事がそれで、親父がおれの書いた記事をくまなく探して保管しているということを知ってからは、辞めるタイミングが分からなくなった。音もなく滑り出したアルファードのタイヤが、道路脇に避けられた雪を踏んで回り出した時、月子が言った。
「げっそりしてる」
「どこまで言うねん、そんなにひどい?」
 おれが笑うと、後部座席から麻希が言った。
「年末はゆっくりせな。いっちゃん、仕事の緩急すごいやん」
 それは確かに、仰る通りだ。おれは自分の話題からいい加減逸らせたくて、バックミラー越しに賢二に言った。
「つうか、納豆餅って何?」
 賢二は肩をすくめた。おれたちが『豪邸瀧野』に集まったのは、昨日の夜。母が出迎えて、親父が書斎にいて、何かを読んでいた。晩飯はすき焼きだった。母は七十五歳、親父は七十八歳。三歳しか違わないが、頭の明晰さにはかなりの差がついている。母の美知恵は、立ち姿からして、どこかで年齢を刻むのを辞めたのではないかと思うぐらいに、澄み渡っている。昔よりは話すスピードがゆっくりになったかもしれないが、それでも、早口で機関銃のような話し方をする月子と会話のラリーができるんだから、明晰な頭脳は衰えていない。問題は親父だ。会長の座を退いてから、急激にボケ始めた。直線の道路を走らせていると、また雪がちらつきはじめた。
「三百メートル先、右方向。でっす」
 月子がそう言ったとき、スマートフォンの地図アプリの声がオーバーラップした。スーパーマーケットの大きな看板が見えてきて、おれは駐車場に停めた。今は、朝の十時。昼に食べたいものはないかと尋ねたとき、親父が『納豆餅』と言った。瀧野家に、餅を食べる習慣はない。客人がいれば出すが、家族だけで集まるここ数年は、目にしたことはなかった。
「納豆、餅と混ぜんの?」
 カートにカゴを乗せたおれが言うと、賢二はうなずきながら納豆のパックと餅を放り込んだ。それで用は済んだが、おれたちはぐるぐると歩き回った。月子はあちこちに目移りしているが、遠慮している。麻希は何も言わずにひとりだけ離れると、違う列から持ってきた日用品を入れた。家に持って帰るに違いない。ここの勘定が、おれ持ちだからだろう。瀧野賢二を主とする瀧野家の経済事情は、あまり明るくない。賢二はトラックを運転している。長距離だから稼ぎは悪くないが、家に居着かない仕事だし、豪邸で暮らせるような甲斐性はない。おれもそこまでの稼ぎはないが、おれと賢二の人生は、真逆の時期にそのピークが訪れている。おれは大学を出たての頃に、金に苦労した。その頃の一カ月のメシ代は、今の自分の『ひと晩の飲み代』より少なかった。それから色々あって、今は『その発想はすごい』とか『やってみようよ』とか、適当なことを言っているだけで良くなったわけだが、賢二は大学を出てしばらくの間、瀧野グループの役員を務めていた。新人相手にスピーチをしたり、補助輪付きの案件を任されたり、色々とやっていた。何でもできそうで、首輪をがっちりとはめられた環境。空に向かって飛んでいけそうでも、近づいてよく見れば、壁に描かれた青空と雲の絵だということに気づく。家族経営というのは、そういうものだ。だから賢二は、その狭い世界の中で麻希を選んだ。当時は二十歳で、『高西』という名札をつけた、とびきり美人の受付嬢だった。受付なら口利きできると言ったのは、当時二十五歳だったおれ。
 月子が買いたそうにしていたお菓子をひょいと掴み上げると、おれはカゴに入れた。賢二は酒のコーナーを眺めながら、言った。
「兄貴、ウィスキーは?」
「飲まん、胃が痛くなる」
 おれはそう言うと、代わりに賢二が好きな日本酒を手に取った。月子がサプリメントのボトルを持ってくると、これ見よがしにカゴへ入れた。
「いっちゃん、その肌は、絶対ビタミン足りてない」
「ありがと」
 おれはそう言って、レジまでカートを押した。会計を済ませて、アルファードに乗り込み、月子が助手席に飛び乗った。カウントダウンのようにゆっくりと電動ドアが閉まり、おれは家まで引き返した。母がすでに味噌汁の準備を始めていて、書斎には親父がいた。賢二が言った。
「親父、餅あったで」
「おー、これで完璧やの」
 親父のぼんやりとピントのずれた声。口癖は昔から変わらないが、テープに録った声を少しだけ速度を落として再生しているようだ。おれが通り過ぎようとすると、親父は手招きした。
「賢一」
 他の面子が食卓へ消えて、おれが向かい合わせに座ると、親父は言った。
「痩せたな」
「いつと比べて?」
作品名:Wedge 作家名:オオサカタロウ