続・くらしの中で
運命の歯車 その一
同じ兄弟姉妹でも晩年になると大いなる違いが出るものだ。
先日異母姉妹の下のお姉さんなる人と1時間あまり電話で話をした。この姉という人は85か86歳になったとおっしゃっていた。
なぜ敬語を使うかというと、色々事情がある。最初にお会いしたのは長女のお姉さんだった。当時60代でいらしたと思う。
私は母子家庭で育ち、母は女医だったけれど、お姉さん二人は父親の元で5人の兄弟姉妹として成育した。
お姉さんとは私が娘の大学の卒業式に状況した折、新宿で落ち合って懐石料理を御馳走していただいた。私の母が生存していたころだがそのことを母と夫に話したかどうかは記憶にない。
当時はお姉さんと1年に一度果物の送り合いをし、その際に電話で話をしていた。一度岡山の牛窓への旅行に誘われて夢のような2日間の旅をしたこともある。その頃お姉さんは耳鼻科を開業しておられたご主人が亡くなられて、鳥取で一人住んでおられた。私は子供のことであくせくしていた時期だったので精神的には不安定で電車や船での遠出には緊張したものだ。
私は実母と養子の夫の3人暮しで、娘二人は家を離れてそれぞれ別の場所に住んでいた。優劣をいえば、ご主人は亡くなられていてもお姉さんのほうが気楽な境遇だったと思う。