僕の弟、ハルキを探して<第一部>
それから数年が経った。春喜たちが居なくなった時、僕は高校を卒業する手前の、十八歳だった。
そして街にはほとんど人が居なくなり、始めに話した通りこのあたりでは店も無い。スーパーはあるが、ほとんど品物は並ばず、その中から何を持って行ったところで、誰も見向きもしなかった。床屋の主人は金を取らずに土産物だけもらって髪を切り、居酒屋のおかみは酒さえもらえればあるものを出してくれた。僕も居酒屋には何度か行ったが、二度と入りたくなかった。
その居酒屋ではどの客も「あいつが居なくなってせいせいした」だとか、「この世も終わりだなあ」なんてことを言いながら、「次は自分なのではないか」という絶望を隠すためだけに酒を飲んでいて、おかみはいつ行ってもろれつが回らないほど酔っぱらっているらしい。あんな場所はもうごめんだ。
学校や行政の方はどうかと言うと、生徒も教員もほとんどが居なくなってしまったので、新宿では今、小学校も中学校も、大学に至るまでが一つずつしか残っていなかった。進学も学部もあったもんじゃない。
国外でも状況は同じだった。人が居ない。残りの人たちは生きていくために働き、物を分け合っている。海外産の嗜好品などは真っ先に手に入らなくなった。流通も、経済も死んでいた。
つまりは、世界は、終わりかけていたのだ。でも僕は、弟を必死に探していた。
それはある日のこと。その日、僕はいつもの通りに「小早川会計事務所」の戸を開けて、侵入者が居ないかだけを戸口から確認してから、中に入った。スーパーから「もらってきた」荷物を応接間の方へ運ぼうとして、いつもの通り、気分が暗くなるだけではあるが「所長」のテーブルの上に置いた、手回しラジオのスイッチを押した。このビルには電気は通っていない。
ラジオから聴こえてきたのは、行方不明者の読み上げではなかった。
「本日起きました行方不明事件の中で一件、警察が興味を示したものがありました。皆様にも注意を呼び掛けるため、お知らせ致します。本日午後から姿が見えなくなりました葛飾区の二十五歳の男性のテーブルにメモ書きのようなものが見つかったと家族からの通報があり、そこに「子供が」とだけ書かれていたそうです。テーブルの周囲に争った形跡が見られることから、警察はまたしても捜査の軌道修正を迫られ、いまだに手探りのまま、残り少ない警察関係者による、必死の捜査が続けられております…」
僕は途中から、ラジオを両手で掴み取り、かじりついて聴いていた。いつもは名前だけが続くラジオにうんざりしていたが、僕がラジオを手放さなかったのは、この瞬間のためだった。
「子供…」
この事件は、春喜の失踪からすべてが連なっている。僕は葛飾に向かうべく、駐輪場に向かった。
作品名:僕の弟、ハルキを探して<第一部> 作家名:桐生甘太郎