八九三の女
[贖罪]
石階段を数段、下った所
微微たる踊り場の石畳に社員は抱き抱えていた叔母をそっと、下ろす
子どものような泣き声を背後に聞きながら
叔母は足元の石階段にへたり込む
手を添え、手助けする社員も叔母の隣に座る
そうして、涙を零す叔母のふわふわの頭をぽんぽんする
唇を尖らせ、鼻を啜る叔母の横で
是又、盛大に鼻を啜る社員のしゃくり声が聞こえ始めた
驚き、社員を仰ぐ叔母が
思わず、その腕を掴み大袈裟に揺らす
「なに?泣いてるの~?」
「なんで?なんで泣いてるの~?」
叔母に「気遣い」を求めるのは不可能だ
自分の事を棚に上げて
執拗に聞いてくる叔母に社員はきっぱり、はっきり言い切る
「分かんねえ!」
「…え?」
「分かんねえけど、止まんねえ!」
返答に頬を引き攣らせる叔母に
社員は震える咽喉をなんとか整えながら言葉を続ける
「本当に、分かんねえんだ」
「唯、あんなに泣く社長が可哀そうで可哀そうで」
どんだけの罪を犯したんだ、あの人は
そんだけの罪を犯したのか、あの人は
違うだろ?
「本当に俺は胸が苦しくて、切ない」
歯を食い縛る
大粒の涙を零しながら言う社員を見つめながら叔母も思う
自分もそうだ
「禄でなし」と言っておいて
「禄でなし」が可哀そうで愛おしくて、仕方がない
今すぐ駆け寄って
今すぐ抱き寄せてあげたい
でも、それは自分の役目じゃない
叔母が見つめる手前
込み上げる悲哀に空を仰ぎ、口をへの字にして堪える
必死に拳を握り締める社員の姿に叔母は吹き出しそうになった
そうして社員の癖のある前髪を掻き揚げるように、その額を撫でる
残念だが、叔母が腕を伸ばしても届くのはここまでだ
「よ~しよし」
突然の、天真爛漫過ぎる叔母の行動に
鼻を啜りながらも固まる社員だったが、暫く考えた末
小さく背中を丸め、おずおずと自分の後頭部を叔母に差し出す
にっこり笑う叔母は「よ~しよしよし」
と、社員の頭部を某動物研究家並みの手付きで撫でる
仰向けになり、服従したくなる衝動を抑えるも
余りの気持ち良さに社員は瞼を閉じた
「腹減った」
心を空っぽにして
涙も空っぽになる程、泣いた結果
社長は腹も空っぽになった
自車を停めた駐車場に戻る際
道路を挟んだ向かい側に、ファミリーレストランを見留めた
が、何気なく言った後で少女の存在に気付き、押し黙る
熟、薄情だ
少女の肩を借りて散散、打ちまけたというのに
(食)欲の前では忘れてしまうのか
なんとも、ばつが悪い
俯き、後頭部を掻き揚げる社長に立ち止まる少女が答える
「なにか食べよ」
「ん?!」
「え?!」
社長と叔母が同時に顔を向ける
「いいな、賛成!」
姉妹の事情を知らない社員の同意を得て、少女が促す
目線を交わす社長と叔母も無言で頷く
「外食、久しぶり~!」
自炊三昧、叔母との料理三昧もいいが
偶には「我楽多」と呼ばれる、ジャンクフードが食べたくなるのも本心だ
足取りも軽く
数米先の横断歩道を目指す社員の後ろを少女も付いて行く
横断歩道の前、歩行者信号機が青に変わるのを待つ間
なにかを言いたそうな叔母は、ちらちら
社長を盗み見るが、その目が真っ赤な事に気が付く
そうやって、姪と社員の目元を覗けば二人もそうだ
「若しや?」と、思い携帯電話を取り出し鏡アプリを起動させる
自分の顔を見遣ると案の定、真っ赤だった
瞬間、叔母の笑い声が響く
「ね~ね~!」
「あたし達、お目目真っ赤っ赤でうさぎさんみたいだよ~!」
「見てみて!」と、言わんばかりに
叔母が向ける携帯電話で自分の顔を確認する社員が吹き出す
「違いねえ!」
哄笑し合う叔母と社員を余所に
こっそりと瞼を擦る社長の姿に気が付いた少女が、小さく笑う
少女の視線に戸惑うも社長も薄く、笑う
歩行者信号機が青に変わった瞬間、飛ぶように横断歩道を渡る
出遅れた少女が後に続く
慌てて叔母と社員が訳も分からず、追い掛ける
「あ~!」
「帰ったらポテトサラダも食べようね~!」
「うん」
「了解!」
振り返らずも
三人の会話に耳を傾けながら、社長は不意に思い出す
『人間だったら大切なモンが一つくらいあるだろ』
倶楽部で過ごした、クリスマスパーティー
俺の言葉に煙草の煙を勢い良く
鼻から噴き出た、お前はなんて言った?
『嘘だね、俺にはないね』
お前はそう言った
お前はそう言ったが、あった
俺達が知らなかっただけで
俺達が気付かなかっただけで、本当はあった
俺がお前に出会う前にも
俺がお前と出会った後にも、あった
今はそう、思える
今はそう、お前に言える