八九三の女
[社長]
絶叫の館から解放された社員は
通りに停車していた自車のドアロックを解きながら
背後のマンションを見上げる
七階建ての、賃貸マンション
最上階の叔母の部屋から飛び降りなくて良かった
と、改めて思う
そうしてガードレールに腰掛け
少女の荷造りを待つ社長に怖ず怖ずと聞く
「本気で、あのガキを担保にするんですか?」
「ガキ」と言ったが見た所、十五、六歳だろうか
母親の年齢は知らないが
今、叔母が二十代なら姉は十代で母親になったのだろう
裏街では珍しくもないが
でもって、確かに女は金になる
若ければ若いほど、需要があるってモンだ
だが、はっきり言って見た事がない
社長が女を食い物にする姿等、見た事がない
叔母の件にしたって風俗店云云は脅しだった筈だ
飽くまで、脅しの筈だった
普段の社長らしからぬ行動に聞かずにはいられなかった
だが、答えは彼の望んでいたものではなかった
「お前、お茶出してもらった事あるか?」
「へ?」
「俺はな」
一瞬、言い淀むも続ける
「初めてだ」
言われてみれば確かに
裏街だろうが、表街だろうが
取り立てに来た金貸し屋を持て成す客はいない
思いながら社長の横顔を盗み見るが相変わらずの、無表情だ
チンピラ風情で接客も真面に出来ない、口の聞き方もなっちゃいない
と、先輩社員達に指導を受ける運転手兼社員の自分が
今回の同行を命じられたのは脅し役としてだ
「自分、期待に応えられました、かね?」
唯唯、彼女と一緒に騒いでいただけの気がする
そんな所感を抱く社員に社長は顔を向ける事なく、一言
「良くやった」
素気ない口振りだが
社長の口角が微妙に上がっている?気がした社員は
「あざーっす!」と、勢い良く、角度45度の最敬礼をした
以降、会話もなく置き物と化した社長と待っていると
マンションの正面玄関から手提げ袋を片手に少女が出て来る
その背中に背負われていたランドセルを確認して
社員が素っ頓狂な声を上げて、言う
「お前!小学生かよ?!」
驚くのも無理はない
社員に「お前」呼ばわりされるも気にする風もなく
頷く少女は、どこからどう見ても小学生には見えなかった
社長も微かに、その目を丸くする
「背、幾つだよ?」
「百六十」
「でけーよ!」
「歳は?歳は幾つよ?」
「十二」
「マジかよ!」
学校保健統計調査の確定値報告によると
女子の身長の年齢別平均値は十一、二歳で百四十六糎前後だ
百五十八糎いけば年齢的には十六、七歳頃となる
「足は?足は幾つよ?」
矢継ぎ早に不躾な質問をする社員に
言葉少なく答える少女を安定の無表情で眺める、社長が聞く
「名前は?」
問われ、少女の顔がこちらを向く
「千(ゆき)」
「部田 千(とりた ゆき)」
不愛想というより、機械的に答える少女
一瞬、その顔を食い入るように見つめる社長だったが
直ぐに感情は消え、がらんどうの眼差しに戻る
「俺は社長、でいい」
社長の自己紹介に社員は唖然とする
「社長でいい」って
名前を考えるのが面倒だからって、いい加減過ぎやしませんか?!
(ごめん)
「で、初潮は?初潮は迎えたんか?」
さり気なくセクハラ質問を噛ます社員に
少女のキャリーケースを引き、見送りに来た叔母が睨み付ける
無論、質問に答える気のない少女
自分に向けられる社長の視線も何処となく、痛い
叔母が無言でキャリーケースを自分の足元に転がす
項垂れたまま、受け取り自車のトランクへと積みに行く
だが、これだけは言わずにはおれない
「お前はちんちくりんなのになあ」
幼い印象に輪を掛けているのが、その低身長だ
叔母の身長は百五十糎いくか、いかないかだ
百六十糎の姪と並ぶと丸で子どもだ
社員の呟きに目を剥く叔母だが、相手にはしない
背中から下ろしたランドセルを胸に抱えて
自車の後部座席へと乗り込もうとする少女に叔母が手を伸ばす
出勤時間が近いのだろう
先程の素顔の叔母とは違い、今はばっちり化粧が施されている
それか、少女が荷造りしている間、手持ち無沙汰だったのだろうか
いずれにせよ彼女は今夜も夜の蝶になるのだ
手を伸ばすも少女に掛ける言葉が出ず
代わりに堪え切れず出た涙で化粧した顔が崩れそうになる
少女が手提げ袋の中からハンカチを取り出す
化粧を気にしながら頬を拭う少女に叔母がしゃくり上げ、言う
「あたし、頑張るから~」
「頑張って、お金返すから~」
「あたしあたし、頑張る~」
繰り返す言葉に少女も何度も頷く
金貸し屋である社長が借金を買った以上、金利は付いてくる
メソメソ泣いている暇があるなら働いて働いて
一円でも多く稼ぐのが借金をした人間の唯一、出来る事だ
そうして応援するように叔母の肩を抱く
一層、泣きじゃくる様子に後ろ髪を引かれるが
少女はゆっくりと、その腕を離した
「長居は無用」と、ばかりに
ガードレールに腰掛けていた社長が立ち上がる
「お前の夢はなんだ?」
問われ、叔母が顔を上げる
マスカラで睫毛を濃く長く施した為、黒い涙を流す彼女だが
社長は気にも留めず続ける
「一番の蝶になる?」
「一番の男を手に入れる?」
ホストに貢ぐのは多かれ少なかれ、ナンバーワンに育てたいからだ
「姪と一緒に暮らす?」
顎を上げて社長が少女を指し示した瞬間
叔母が顔を歪めて、叫ぶ
「ソレ、全部!」
それは叔母らしい答えだ、と少女が小さく本当に小さく笑う
偶然、その笑みを目の端に捉えた社長も小さく笑った
欲深い人間は大好物だ
欲深い人間がいなければ自分達の稼業は成り立たない
「イイ女だな、お前」
唐突に褒められるわ
唐突に笑い掛けられるわ
叔母は揶揄われていると思い、顔を赤くして唇を尖らせる
「馬鹿にしてる~!」
社長は答えず少女の隣座席に乗り込む
心からの賛辞だ
今生の別れ云云は大袈裟だが
姪と一緒に暮らせるようになるかは、お前次第だ
一日でも返済が遅れた時は自分じゃねえ
姪の身を案じろ