日記
2020.12.3
どんなに温かい一日を過ごしても、変わらず夜は悪魔のようだ。
「死にたくなる夜」をもう何ヶ月と越えただろう。薬はやはり、良い武器だと思う。
喉を締め付けられる感覚も、鼓動が意味も分からず早くなる感覚も、鋭利な刃物で首を
引き裂いてしまいたくなる衝動も、忽ち薬を多めに飲めば和らいでくる。
脳を強制的にシャットダウンする日々も、慣れてしまえば日常と化して、1人の家に帰宅する時は玄関で「ああ、また死にたくなるぞ」とごちて薬を貪る。
薬は、親より私に寄り添ってくれている。
いい歳をした大人が比較対象に親を出すのはおかしな話だけれど、事実そうだ。
前に、「薬に依存してるんじゃないか」と問われたが、それは違う。精神疾患が寛解すれば、自然と薬は減り、いずれは飲まなくてよくなる。
つまりは、依存ではなく、病気が良くなるまでの一時的な痛み止めや抗生物質と同じで、今治すには必要不可欠な要素だから飲んでいる訳で、決して薬が無ければ死んでしまうわけでも、不安に駆られて発狂してしまう訳でもない。
病が治まるまでの関係でしかない。
それに、死にたい夜を薬を飲むことで越えられるならば、生きるために薬を貪るのは諦めの境地に至っている。もし、薬が無くてはならない精神状態及び脳機能の低下なのであれば、受け入れなければならない。
薬生活も早10年。少し絶望的かもな。