日記
2020.12.2
もうすぐ1年が終わる。振り返ると、現代史に残る世界的に見ても傷を負った年だったと思う。自殺者が顕著に増えたし、コロナによる困窮者も未だ苦しんでいる。変わりゆく生活様式に反抗する者も居るが故に事件に発展する争いもあったし、「平和で安全」を掲げる日本がらしくない状況に陥っている。ヘイトニュースで始まる朝が当たり前になってしまってから、朝はテレビを見なくなった。SNSで発信されるニュースも、見る事が無くなってしまったので、目を背けている時点で私が冒頭で語った言葉が正しいか少し恥ずかしい思いもある。下手に語るべきではない。
自分自身も振り返ってみると、今年は「出会いの年」だったと思う。
プライベート、仕事面での出会い。仕事面では、幻聴や著しい妄想等による症状で休職という形になってしまったものの、会社側の人は皆いい人だし、何より一人一人を大切にしてくれるし、「あなたの能力は手放すに惜しい人、会社に必要だからいつでも戻っておいで」との言葉を頂き、人生で初めて自分という存在の価値を僅かに知れた気がした。プライベートでの出会いは、この先もう無いかもしれない、と思える大切でかけがえのない人達と出会えた。
それが嬉しくて、幸せで堪らない。見えない暗がりを立ち止まらずフラフラと歩いてきた意味はここに有ったのかも知れない。そんな想いが日々溢れている。
私は言い訳がましいがとても繊細な子供で、なんでもない些細な言葉や表情を察してしまったり大袈裟に受け止めてしまう。最近、本屋には「繊細さん(HSP)」という本をよく見かける。五感が敏感であったり、コミニュケーションに対して繊細すぎる麺を持っていたりする人達を指すのだが、精神疾患を抜きとして、私の人生を振り返ると、この性質を抱えて生まれてきたのではないかと思う。悪い事ばかりではもちろんないものの、生き辛さは非常に強く感じる。話がまとまりなく脱線してしまったが、私はこの素敵な出会いも、その性質を上手く活かせない限り手からするりと抜け落ちてしまう気がしている。
変わることは1秒後から出来る。そういった意味でも、日記をつけて思考をまとめ、自問自答しながら書くことで少しずつ本来の自分を取り戻せたらと思う。