川と海の境には
電車も、雲も、風も、魚も、そして私も。皆、明確な目的地に向かって進んでいたり、もしくは目的地がないことを不安に思って空回りしているように思えるが、その根底には見えない闇が潜んでいる。そしてそれから逃げているだけなのだ。この闇は言い換えれば「堕落」だ。電車ならエンジンや車輪が錆びつかないように、風なら自身の存在概念を保つために、魚なら塩水にやられないように、自身の後ろからじいーっと付きまとう「背後の堕落」からの誘惑、――もう終わりにしてしまおうか、というような――それから無意識の内に逃げているだけなのだ。逃げなければ、生きていくことは叶わない。終わりのない鬼ごっこを一人でやっている。そして、私も――。
少年は先に家に向かってしまった。暗い川面には魚の姿がいない。運命は夜に隠されて私に未来を啓示してはくれない。月の灯りが暗闇で影を掘って、さらに暗くなる。この月明りには一体、何が潜んでいる?
どこまでの真理かは、私には分からない。それをこれからの長い逃亡人生の中で体験しなくてはならないらしい。
風は止まらないように必死に生きている。自分勝手だ、我儘だと言われようと、生きている。それは夜でも同じだった。
生きるために、目的地を見出そうとして、ひとまず少年の家に向おうとするが、途端に背後の闇が顔を出す。このままここで……、という逃避だ。向かう先、そこに一体何がある? 都会から逃げ、無人駅から逃げ、こんな場所まで流されてきた。私は堕落を選んでここまで落ちてしまった。もう一度、生きることを求めて足掻いたとして、一体どこまで続ければ良い?
想いは壮大になるが、夜はそれ以上に広がっている。想いの大きさすら図ることもできない。川と海の境で、夜を見上げ、次のようなことを思い上がりながら独り、納得しながら絶望している。
――「生きる」というものは、背後の堕落から逃げ、逃げ続けた副産物でしかない。逃亡の終点は永遠に先延ばしされる。