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キャロルの喪失

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「どうしてルゥは良くてリィはダメなの。リィだって高い声、出るのに。ルゥより上手に歌えるのに」
 不貞腐れた自分の声がする。拗ねて、頬を膨らませてママのワンピースの裾を引っ掴んで精一杯の抗議をしている小さい自分の背中を背後霊みたいに見つめている。
 小さい頃の夢だ。
 どうして、なんで、と礼拝堂の隅でママを問い詰めている。いつものミサの時よりも和やかで、少しざわめきがある。皆音楽会を楽しみにしていたのだ。私は教会付きの合唱隊に入れなかったことに拗ねて、もっと正確に言えば弟のルゥだけが入隊を許されたのがつまらなくって、ママのワンピースの裾をしわくちゃにしていた。ルゥも同じ癖を持っていたので、あの頃のママの服はいつだってどこかがよれていた。
「そうねぇ、確かにリィだってお歌が上手いわね」
「でもリィは入っちゃダメって」
「そうねぇ。でも、こればっかりはダメなのよ。昔からの決まりだから、神父様にお願いしてもどうにもならないの」
「つまんない。リィ、帰りたい」
「まあ。ルゥが悲しむわ」
 ほら、出てきたわ。まあ素敵。
 ママが嬉しそうに小さな声でルゥを褒める。お揃いの白い襟付きのジャケットにズボン。金色のリボン。にこにことした薔薇色のほっぺ。リィもあのリボンが欲しかったのに、という言葉をぎゅっと飲み込んだ。
 いつも優しい先生が、ギャラリーに向かってゆっくりとお辞儀をして背を向ける。
 指揮棒を手に取って、すいっとそれをあげる。
 オルガンの音。すぅ、と息を吸い込む音。
 柔らかくて胸がぎゅっとなる音が声なのだと気付くのに時間がかかった。
 もしも天使がいるのなら、きっとこんな声でお喋りをする。
 そうして私はどうしてルゥと同じ場所に立てないのかを知った。
 あの時から、その歌声を聞いた時から、私の世界で一番貴いものはそれになった。


「ルゥ、朝だよ」
「うん、うん……分かってる……」
 六歳になった時二段ベッドを二つに分けて、私は姉のミラと同じ部屋になった。ルゥは元々の部屋に一人だ。本当はルゥと同じ部屋が良かったのに、ママもパパも分けるのが当然だと言ってお願いを聞いてくれなかった。
「ルゥ、練習に遅れちゃうよ」
 でもルゥは中々朝起きられないから、一生懸命起こすのは変わらず私の役目だ。
 ルゥが傷ついたりしないように、腕のあたりを持って呼びかける。
「ねぇ」
「うん……リィが代わりに行っても良いよ……僕のズボン履いて……バレないよ」
「馬鹿なこと言わないで、私は神様への贈り物になれないんだから。ルゥにしか出来ないの」
 私の大真面目な声を聞いてふふ、とルゥが目を瞑ったまま笑う。
「もう、毎回おんなじこと言う。分かったよ、起きるよ」
「そうして。ミラが朝ごはん全部食べちゃうよ」
 それはやだ!と私と同じくらいの高さの声がジャンプした。
 実際、ルゥのズボンを履いたらきっと気付かれないだろうな、とは思う。
 私達はまだ同じ背丈で見た目だけは似ているけれど、ルゥだけが特別だと私は思っている。でもルゥは「リィ」と「ルゥ」は同じだと思っていることも、なんとなく知っていた。
 一階のダイニングまでルゥの背中を押していく。ママはダイニングの途中のキッチンでお湯を沸かしていた。
 おはよう、ママ。とルゥが微笑む。優しくて、ちょっと同い年の子より高い声。
 森の木漏れ日、それか水の中に沈めたガラスみたいなきらきら。ルゥの声と似た素敵なもの探しが好きだ。朝ごはんのミルクココアにもちょっと似ている。
「ミラもおはよう」
「あら寝坊助さん、またサボり損ねちゃったわね」
「ルゥはサボったりしないわ。ミラ、変なこと言わないで」
 ミラは三つ上の十五歳の姉で、私たちとあんまり似ていない。パパに似たウェーブの黒髪がイヤ、と最近しょっちゅうサロンに行っては髪を引っ張っているけれど、毛先は未だにぴょんぴょんと遊んでる。「もう私も大人だからコーヒーを飲むの」と言ってる癖にミルクとお砂糖たっぷりにしたマグカップで少しずつ飲んでいることを私はちゃあんと知っている。友達と長電話したり、ただ甘ったるいだけの溶けたチョコレートみたいな声でキャアキャア騒いでいるだけ。ルゥの方がよっぽど綺麗。
「リィに代わりに行ってって頼んだんだけど断られちゃった」
 ミラの意地悪もルゥはなんでもないことみたいに受け流す。
 シリアルをさくさくと食べて「もう行かなくっちゃ」と楽譜が入った薄い手提げと帽子を手にとってルゥは私を見た。
「私も一緒に行くわ」
「うん。ありがとう」
「リィ、ルゥは赤ちゃんでもないんだからもうお見送りいらないでしょう?」
 ミラがからかうようにテーブルから無造作な言葉を投げかけてくる。
 私が言い返す前より先にルゥが口を開いた。
「僕が一緒に来てほしいんだ。行くまでの道に友達もいないし、寂しいから」
 ハッとミラが笑って片手をひらひらさせる。
「はいはい。仲良しな双子ちゃんですこと。行ってらっしゃい」


「……どうしてミラと私達ってきょうだいなんだろう。ねぇルゥ、どう思う?」
「ミラだって思ってるかもしれないよ。どうして僕たちみたいな弟と妹なんだろうって」
「たしかに」
「ミラは僕たちより三年分物知りなのは確かだよ」
「でもミラはミサにだって来ないしルゥの歌だって聞きに来ないのよ。賢いとは思わないけど」
「ミラにとっての大事なものが違うんだろうねぇ」
 教会はそこまで遠くないけれど、川を一つ越える必要がある。石畳のアーチ状の橋に足を掛けた時、思い出したように「あ、そういえば」とルゥは言った。
「あんまり関係ないけど、リィと買い物に行こうかなって言ってたよ」
「誰が?」
「ミラ」
「……なんで?」
「ううん、分かんないけど。僕も一緒じゃダメなの?って聞いたら『女の子だけの楽しみがあるのよ、お馬鹿さん』って言ってた」
「なあに、それ?私、ルゥと一緒が良い」
 ルゥは「ミラはもっとリィと仲良しになりたいんだよ、多分ね」と言う。ルゥの柔らかいシーツみたいな声にそんなことを言われてしまうと、ミラにイライラしていた気持ちも萎んでしまう。
「じゃあ、僕行ってくるね」
 いつの間にか着いていた教会の前で、手を振り合う。扉の近くで仲間に会ったようで、扉の向こう側からくぐもったおはようが聞こえた。
 合唱隊の練習は礼拝堂で一時間くらいのことが多い。
 私は教会の裏に回って、中から見えにくい茂みにそっとしゃがみ込んだ。
 程なくして、小さく賛美歌のメロディが聞こえてきた。この声のどこかに確かにルゥの声が混ざっている。
 ルゥがお喋りをする声も大好きだけれど、でも歌声は格別だ。
 空気に溶けてしまいそうに細いけれど、決して途切れない柔らかな絹の糸みたいな声。他の誰も辿り着けない、宝石みたいに冷たいけれど恐ろしさはない、天まで届く高い声。
 ルゥの声を聞いている時間が、一番好きだ。
 この声は世界で一番美しくって、他の誰にも作り出せないものだから、だから神様に捧げることが許されているのだ。
 ルゥは神様に選ばれたのだ。
作品名:キャロルの喪失 作家名:大文藝帝國