この馬鹿馬鹿しき、面白き人生 ~掌編集 今月のイラスト~
東大出身の女流、学生名人のタイトルを引っ提げて入門した当時はずいぶんと話題になって人気も高かったが、二つ目では大した収入はなく、入門時の騒ぎの後は彼女の意向もあってメディアにはあまり顔を出さなくなっていた。
つまり大して金は持っていないと言うことだ、詐欺の相手としては適していない。
だが、それがわかっても俺は姿をくらませたりしなかった、落語に打ち込む彼女に強く惹かれていたのだ。
そして深入りし、どんどん惹かれて行くにつれて俺は苦しくなって行った。
俺は彼女に相応しいような男じゃない。
詐欺師も落語家も舌先三寸の世界、しかし隙だらけの女性を狙うだけの俺と、耳の肥えた好事家を唸らせる彼女とは月とすっぽんだ、ましていつ捕まるかわからないような詐欺師が彼女を幸せにできるはずもない……。
以前に働いた詐欺の罪で手が後ろに回った時、俺はどこかホッとしていた。
これで彼女と離れられる……詐欺師だったとわかれば彼女もきれいさっぱり俺のことなど忘れてくれるだろう……と。
「お久しぶりね」
「ああ……あの後すぐに真打になったんだな、塀の中じゃ君の噺を聴くこともできないが、高く評価されていることは知ってるよ」
「そう……」
「こんな詐欺師に、今さら何の用だい?」
「あの時の事……今なら冷静に聴いて判断できると思うの……あの時、私に近づいたのは何故?」
「バーで一人酔っぱらってる女性ってのは隙だらけだからね、心に何らかの隙間を抱えてそれを埋めてくれるものを探してることが多いものさ、それに君の顔には見覚えがあった、特に落語ファンでもない俺でも知ってたくらいだからかなり有名でしこたま稼いでいるんだろうとも思ったんだ……それだけさ」
「そうなの……わかった……私は本気だったのよ……」
「まあ、本気になってもらわないと詐欺は成功しないんでね」
「お金も地位もなかった私に近づくメリットって何だったんだろうと思って……それを確かめたかっただけ」
「そうか……でも、まあ、聞いての通りさ」
「わかったわ……会ってくれてありがとう」
「いや、囚人や看守以外の人間と話す機会はめったにないからね、俺も娑婆の空気に触れられて良かったよ」
「じゃあね」
「ああ、じゃあな」
私は『さよなら』とは言わずに面会室を出た。
彼の刑期がもうすぐ終わることは知っている。
それを切りとるような高い塀に囲まれた刑務所の門を出ると、青空が果てしなく広がっていた。
(彼が出所する時、あたしはきっとここの門で出迎えるんだろうな)
とも思った。
彼の言葉に嘘があることを感じていたのだ。
近づいて来た時の嘘とは逆のベクトルを持つ嘘が。
出迎えることで大きく人生が変わって行くのか、ちょっとしたクスグリにしかならないのか、それはわからない。
だが彼が自分の人生にかかわって来たことで、私は自分が自分で思うほど完璧な人間じゃないと悟った、女であることも身に沁みてわかった。
結局、それが芸の肥やしになって今の自分がいる。
完璧な人生なんてありえないし、全てが計画通りに進んだら面白くもなんともない、二つ目までの私の落語のようなものだ。
落語に登場する人物は大抵どこか抜けているものだ、抜けたところがあるから面白い。
完璧な人間などいない、だから完璧な人生などあり得ない、それだからこそ面白い。
今の私にはそれがわかる、それが受け入れられる……。
(死ぬ時に『ああ、面白かった』と思えればいいのよ、人生なんて)
そう思うと肩の力が抜けて、気持ちがこの青空のように広がって行くのを感じた……。
作品名:この馬鹿馬鹿しき、面白き人生 ~掌編集 今月のイラスト~ 作家名:ST