この馬鹿馬鹿しき、面白き人生 ~掌編集 今月のイラスト~
私の名前は佐藤幸恵、ありきたりな名前だが、別の名前も持っている。
今昔亭つば女(め)。
私は女流噺家なのだ。
噺家に学歴は関係ないが、実は東京大学を卒業した。
噺家になったばかりの頃は『東大出の女流噺家』ともてはやされ、逆に東大出であること、女流であることばかりに注目されることが嫌で、わざと男名の『燕吉』を名乗っていた。
師匠が二つ目時代に使っていた名前を貰ったので、それ自体出世名だが『芸は売っても色は売らない』深川芸者の心意気を気取っていた部分は確かにあった。
二つ目に上がるのはすぐだった、大学で落研に所属し、学生名人のタイトルも取った私の芸は高く評価されたのだ、『真打に』と推す声がかかり始めるのも早かった、だが師匠はなかなか首を縦に振ってはくれなかった。
そんな折、私も一人前に恋をしたのだが、その相手は結婚詐欺だった。
中々真打にしてもらえない鬱憤が溜まっていた心の隙に付け込まれたのだろうが、私にとっては何を棄ててでも飛び込みたい恋だった。。
だが、現実には彼が逮捕されて正体がわかり、私の一世一代の恋は終わった。
そんな折、『三枚起請を演ってみな』と言われ、それを聞いた師匠は真打になることを許してくれた。
それまでの私は、自分が女であることを無理に押し込めて、男性が大多数を占める落語界に喧嘩を売っていたようなところがあった、そして東大出をことさらに取り上げられることを嫌っていたくせに、自分の噺は完璧だと思い込んでいた……実際には登場人物のうわっつらをなぞっていただけだったのに……。
だが、恋をし、それが破れたことで自分が女であることを自覚し、自分が結婚詐欺に引っかかりそうになったことで、人間の弱さ、愚かさを悟り、自分なりの噺と言うものが見えて来たのだ。
師匠に真を打つことを許された時に『つば女』と改名した、女であることを否定せずに自然体で演じて行こうと心に決め、わざと『女』の一文字を入れたのだ。
それから五年が経った。
噺家としてのキャリアはまずまず順調だ、『燕吉』を名乗って突っ張っていた頃とは違う味を出せていると自分でも感じているし、客席の反応も上々だ。
だが、女であることをむしろ意識した高座とは裏腹に、実生活ではとんと浮いた話がない。
真打になる前の自分ならともかく、今は恋の訪れを拒むような気持はさらさらないのだが……。
テーブルの上には編みかけのカーディガン。
高校時代からの友人がもうすぐ二人目の子供を出産する、そのお祝いにと編んでいる物だ、もういつ生まれてもおかしくないので早く編み上げてしまいたい、そう思って少し根を詰めていた。
「ふう……」
少し肩が張って来たのを感じ、熱いお茶を淹れて一息入れる。
大学を出て真打になるまでに十年、それから五年……私は三十七歳になった。
友人も有名私大を卒業後、商社に就職してバリバリと働いていたのだが、一人目の子供を産む時に産休を取り、そのまま会社を辞めて子育てに専念していた、そしてあまり間を置かずに二人目だ、おそらく彼女が社会復帰するのはだいぶ先になるだろう。
『子供を産んで育てるって、仕事の片手間に出来るようなことじゃないわ、どうしてもそうしないと暮らしが成り立たないんじゃ仕方ないけど、幸い主人の収入だけでも充分にやっていけるの、だから当分仕事する気はないわ、だって人一人を、それも自分のお腹を痛めた子供を大きくするのよ、それってビジネスなんかよりずっと複雑で難しいこと、そしてずっとやりがいのある楽しいことなの、私は今幸せよ』
彼女がそう言うのを聞いて(愛する人の子供を産んで育てて行く喜びってどういうものなんだろう?)と思った。
古典落語にも母親の愛情を扱ったものは多々ある、それがテーマではなくとも母親の愛情を描いたシーンはしばしば出て来る。
それは想像で演じる他ないのだが、それを身をもって知ったら、もっと深みが出るだろうな、とも……。
ふと、それを思い出して、私はちょっと苦笑した。
(女性が一生を賭けるに値する大事を落語に結び付けて考えるなんて……)
そう思ったのだ。
だが、芸はともかくとして、その喜びを知らずにいるのは、せっかく女として生まれて来たのに勿体ないな、とも思う。
噺家は個人事業主、定年はない、体が続く限り、声が出る限り続けて行くことは出来る。
子供を産んで育て上げてから復帰することも十分可能なのだ。
だが……出産にはタイムリミットがある、生物学的に仕方がないことだ、いくら医療が進歩して高齢出産の危険は小さくなっていると言っても妊娠できなくなってからでは遅いのだ。
(ふふふ……相手もいないのにね……)
そう思った時、あの結婚詐欺師の顔がふと浮かんで来た。
(馬鹿馬鹿しい……)
そう思ったのだが、彼の顔はなかなか消えてくれなかった。
彼を愛したのは確かな気持ちだったと今でも言える。
彼が逮捕されて結婚詐欺師だとわかった時は目の前が真っ暗になった。
騙されていたんだ、とわかったショックからばかりではない、彼を失ってしまうことが心底怖かったのだ。
だが、彼が詐欺師であったことは紛れもない事実、ロクな男ではないことも……。
(……馬鹿馬鹿しい……よね……)
そう自分に言い聞かせたが、別の考えも浮かんでくる。
(しょせん噺家の人生だもの、馬鹿馬鹿しくたって良いじゃない……)
彼が捕まった時、色々と自問自答したことが思い出される。
当時の自分は二つ目、それなりに人気はあったが収入は知れている、そんな私に近づいたのは何故? 詐欺を働くつもりなんかなかったんじゃ……。
そう思いたかったが、その頃の私は噺家としてはまだまだでも、テレビや雑誌などで顔は売れていた、もっとお金を持っているに違いないと考えたのかも……そうも考えられる。
そして真相は今塀の中にある……。
手にしていた湯呑はいつの間にか空になっていた。
(そうよ……馬鹿馬鹿しい人生だった、でも面白かった、そう思えればそれは良い人生だったと言えるんじゃないかしら……)
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「鷲田、面会だ」
俺の名は鷲田雄太郎、結婚詐欺を働いていた罪で服役している。
詐欺師なら偽名を使うのは当たりまえだが、本名がかなり勇ましい感じなのでなるべく単純で記憶にも残りにくいだろうと言う理由で田中一郎と名乗っていた。
「面会? 誰です?」
「佐藤幸恵と言う女性だ」
ドキリとした。
佐藤幸恵……当時は今昔亭燕吉と名乗っていた女流落語家だ。
バーで一人飲んでいる彼女を見かけた時、どこかで見た顔だなと思った、おそらくはテレビか雑誌で……そして彼女の様子がちょっと普通じゃない事にも興味を惹かれた。
当時、真打になれる実力は充分なのになかなか師匠がそれを許してくれないことにいら立ちを募らせていたのだ。
落語界のことにはあまり詳しくなかったので彼女について調べてみた。
今昔亭つば女(め)。
私は女流噺家なのだ。
噺家に学歴は関係ないが、実は東京大学を卒業した。
噺家になったばかりの頃は『東大出の女流噺家』ともてはやされ、逆に東大出であること、女流であることばかりに注目されることが嫌で、わざと男名の『燕吉』を名乗っていた。
師匠が二つ目時代に使っていた名前を貰ったので、それ自体出世名だが『芸は売っても色は売らない』深川芸者の心意気を気取っていた部分は確かにあった。
二つ目に上がるのはすぐだった、大学で落研に所属し、学生名人のタイトルも取った私の芸は高く評価されたのだ、『真打に』と推す声がかかり始めるのも早かった、だが師匠はなかなか首を縦に振ってはくれなかった。
そんな折、私も一人前に恋をしたのだが、その相手は結婚詐欺だった。
中々真打にしてもらえない鬱憤が溜まっていた心の隙に付け込まれたのだろうが、私にとっては何を棄ててでも飛び込みたい恋だった。。
だが、現実には彼が逮捕されて正体がわかり、私の一世一代の恋は終わった。
そんな折、『三枚起請を演ってみな』と言われ、それを聞いた師匠は真打になることを許してくれた。
それまでの私は、自分が女であることを無理に押し込めて、男性が大多数を占める落語界に喧嘩を売っていたようなところがあった、そして東大出をことさらに取り上げられることを嫌っていたくせに、自分の噺は完璧だと思い込んでいた……実際には登場人物のうわっつらをなぞっていただけだったのに……。
だが、恋をし、それが破れたことで自分が女であることを自覚し、自分が結婚詐欺に引っかかりそうになったことで、人間の弱さ、愚かさを悟り、自分なりの噺と言うものが見えて来たのだ。
師匠に真を打つことを許された時に『つば女』と改名した、女であることを否定せずに自然体で演じて行こうと心に決め、わざと『女』の一文字を入れたのだ。
それから五年が経った。
噺家としてのキャリアはまずまず順調だ、『燕吉』を名乗って突っ張っていた頃とは違う味を出せていると自分でも感じているし、客席の反応も上々だ。
だが、女であることをむしろ意識した高座とは裏腹に、実生活ではとんと浮いた話がない。
真打になる前の自分ならともかく、今は恋の訪れを拒むような気持はさらさらないのだが……。
テーブルの上には編みかけのカーディガン。
高校時代からの友人がもうすぐ二人目の子供を出産する、そのお祝いにと編んでいる物だ、もういつ生まれてもおかしくないので早く編み上げてしまいたい、そう思って少し根を詰めていた。
「ふう……」
少し肩が張って来たのを感じ、熱いお茶を淹れて一息入れる。
大学を出て真打になるまでに十年、それから五年……私は三十七歳になった。
友人も有名私大を卒業後、商社に就職してバリバリと働いていたのだが、一人目の子供を産む時に産休を取り、そのまま会社を辞めて子育てに専念していた、そしてあまり間を置かずに二人目だ、おそらく彼女が社会復帰するのはだいぶ先になるだろう。
『子供を産んで育てるって、仕事の片手間に出来るようなことじゃないわ、どうしてもそうしないと暮らしが成り立たないんじゃ仕方ないけど、幸い主人の収入だけでも充分にやっていけるの、だから当分仕事する気はないわ、だって人一人を、それも自分のお腹を痛めた子供を大きくするのよ、それってビジネスなんかよりずっと複雑で難しいこと、そしてずっとやりがいのある楽しいことなの、私は今幸せよ』
彼女がそう言うのを聞いて(愛する人の子供を産んで育てて行く喜びってどういうものなんだろう?)と思った。
古典落語にも母親の愛情を扱ったものは多々ある、それがテーマではなくとも母親の愛情を描いたシーンはしばしば出て来る。
それは想像で演じる他ないのだが、それを身をもって知ったら、もっと深みが出るだろうな、とも……。
ふと、それを思い出して、私はちょっと苦笑した。
(女性が一生を賭けるに値する大事を落語に結び付けて考えるなんて……)
そう思ったのだ。
だが、芸はともかくとして、その喜びを知らずにいるのは、せっかく女として生まれて来たのに勿体ないな、とも思う。
噺家は個人事業主、定年はない、体が続く限り、声が出る限り続けて行くことは出来る。
子供を産んで育て上げてから復帰することも十分可能なのだ。
だが……出産にはタイムリミットがある、生物学的に仕方がないことだ、いくら医療が進歩して高齢出産の危険は小さくなっていると言っても妊娠できなくなってからでは遅いのだ。
(ふふふ……相手もいないのにね……)
そう思った時、あの結婚詐欺師の顔がふと浮かんで来た。
(馬鹿馬鹿しい……)
そう思ったのだが、彼の顔はなかなか消えてくれなかった。
彼を愛したのは確かな気持ちだったと今でも言える。
彼が逮捕されて結婚詐欺師だとわかった時は目の前が真っ暗になった。
騙されていたんだ、とわかったショックからばかりではない、彼を失ってしまうことが心底怖かったのだ。
だが、彼が詐欺師であったことは紛れもない事実、ロクな男ではないことも……。
(……馬鹿馬鹿しい……よね……)
そう自分に言い聞かせたが、別の考えも浮かんでくる。
(しょせん噺家の人生だもの、馬鹿馬鹿しくたって良いじゃない……)
彼が捕まった時、色々と自問自答したことが思い出される。
当時の自分は二つ目、それなりに人気はあったが収入は知れている、そんな私に近づいたのは何故? 詐欺を働くつもりなんかなかったんじゃ……。
そう思いたかったが、その頃の私は噺家としてはまだまだでも、テレビや雑誌などで顔は売れていた、もっとお金を持っているに違いないと考えたのかも……そうも考えられる。
そして真相は今塀の中にある……。
手にしていた湯呑はいつの間にか空になっていた。
(そうよ……馬鹿馬鹿しい人生だった、でも面白かった、そう思えればそれは良い人生だったと言えるんじゃないかしら……)
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「鷲田、面会だ」
俺の名は鷲田雄太郎、結婚詐欺を働いていた罪で服役している。
詐欺師なら偽名を使うのは当たりまえだが、本名がかなり勇ましい感じなのでなるべく単純で記憶にも残りにくいだろうと言う理由で田中一郎と名乗っていた。
「面会? 誰です?」
「佐藤幸恵と言う女性だ」
ドキリとした。
佐藤幸恵……当時は今昔亭燕吉と名乗っていた女流落語家だ。
バーで一人飲んでいる彼女を見かけた時、どこかで見た顔だなと思った、おそらくはテレビか雑誌で……そして彼女の様子がちょっと普通じゃない事にも興味を惹かれた。
当時、真打になれる実力は充分なのになかなか師匠がそれを許してくれないことにいら立ちを募らせていたのだ。
落語界のことにはあまり詳しくなかったので彼女について調べてみた。
作品名:この馬鹿馬鹿しき、面白き人生 ~掌編集 今月のイラスト~ 作家名:ST