入眠逢瀬
終.逢瀬
「……」
「続きは?」
「これで、終わりです」
春太は軽くうつむきながら、応えた。
「強いて補足をするなら、その後紀三郎は眠気を克服して再び成績も元に戻り、偉大な博士になりました。ただ、彼女を想い続けていたのか、生涯独身を貫きましたけどね」
「灯さんは?」
「最後の夜以降、決して姿を現すことはなかったそうです」
「じゃあ、灯さんの正体って……」
春太は遺影の方を見て、少々言いにくそうに答える。
「古い電灯が化けて出たものだと、大叔父さんは頑なに信じきっていました。大叔父さんが晩年、猛反対する親族と縁を切ってまで全財産と心血を注ぎこんで行った研究。それは灯さんを蘇らせ、この電灯からもう一度呼び出して再会するというものだったんです」
「そう、だったのか」
春太はゆっくりと立ち上がり、戸棚から風呂敷の包みを取り出してきた。その風呂敷を想太の目の前に置いて結び目を解くと、古めかしい電灯が現れる。その電灯はシェードがひどくひび割れていたが、丁寧に修復をした跡があった。
「この話を聴かせてくれた折、大叔父さんから託されました。『俺は民俗学の方面からアプローチしたがどうやらダメだったようだ、お前は工学方面からこの電灯を調べてくれ。そしてなんとしてもあの人を、灯さんを蘇らせてくれ』と」
「なるほど、3流大卒の俺には話してくれなかったわけだ」
想太は自嘲気味につぶやいたあと、春太に問いかける。
「で、調べた結果はどうだったんだ?」
その質問に、春太は大きなため息をついてから答えた。
「調べるまでもありませんよ。ただの型の古い電灯なんですから。一応、電灯として使えるように直してはおきましたが」
その答えを聞いて、想太は怖い顔つきになる。
「おい春太。お前この話、信じていないのか」
「……」
春太は少し臆した後、切り出した。
「信じていないのではありません。大叔父さんや兄さんとは違う解釈をしているだけです。過眠症という病は眠りに落ちる際、非常にリアルな夢を見ることが確認されています。ですから、大叔父さんが見た灯さんという女性はただの幻……」
「頭のいいお前のご見識は聞いてないんだよ」
想太は大声で弟の話をさえぎり、言い聞かせる。
「一人の少年が、女の子と出逢って恋に落ちて、いろいろ助けられて病を克服したんだろ。それが実際に起きたことだろうが」
「しかし彼女が出現する条件は、過眠症の者が現実感のある夢を見る時とかなり適合しているんです。例えば興奮したり怒ったりといった、感情が高ぶっているときに出現する点。これはよくある症状の一つなんです」
「灯さんは悩みをよく聞いてくれるしあんなに優しい性格なんだから、大叔父さんが感情的になった時ほど心配して出てきてくれたんじゃないか。話を聞く限り隔日で現れていたようだから、どうしても出現できない日はあったようだけれども」
「じゃあ、灯さんに逢う前に、大叔父さんが必ず眠りに落ちるのはどうしてですか。夢だからという理由でなければ、説明はつかないでしょう?」
しばらく考えて、想太が反論する。
「だが灯さんは、大叔父さんが夜勉強しているときにしか現れていないじゃないか。夢ならば、昼間寝ているときや本当に床に就いているときに出てきたっていいはずだ」
「……」
「夜に勉強するなら、当然電灯のスイッチを入れるよな。電灯として活動できる夜にだけ出てくることこそ、彼女が電灯の化身であることの他ならぬ証拠だろう」
黙り込む春太に、追い打ちをかけるように想太は畳み掛ける。
「灯さんが答えなかった、『どうやって小屋にやってきて、出入りしているか』、『なんで大叔父さんのことを知っていたか』、これらの疑問も説明がつくよな。電灯ならやってくるも何も上から降りてくるだけだし、かつて母屋にあった電灯なら大叔父さんのことを知っていてもおかしくないんだから」
「しかし、それだけでは灯さんの存在は証明できません。せいぜい議論が平行線になるだけです」
そう言う春太を無視して、想太は電灯を手に取った。そして、それをいろいろな角度から眺め始める。しばらくそうしてるうちに、彼は声を上げた。
「おい。これ見てみろよ」
想太は電灯のとある箇所を指差す。そこには電灯の製造年が記載されていた。
「1911年製?」
その数字を見て、春太は何やら考え込む。しばらくして、思い出したかのようにつぶやいた。
「大叔父さんは、1914年生まれ……」
想太はその言葉にうなずいて言った。
「な。大叔父さんより3歳『お姉さん』だよ、この電灯は」
勝ち誇った顔の想太を見て、春太はやれやれと言った顔つきをする。
「まあ、これもただの偶然だとは思いますけど、一応研究はしてみます。でも……」
「今度はなんだ」
「仮に灯さんを蘇らせたとしても、他ならぬ彼女がその蘇生を喜ぶでしょうか? すでに愛する大叔父さんはこの世を去っているというのに」
そう言って春大は憂い顔をする。先程まで幻覚だという解釈をしていた彼も、この可憐なあやかしの女性には思うところがあるのだろう。
「そんなの、本人に聞いてみなけりゃわからないじゃないか」
想太は、あまり前向きでない弟の背中を押すように言う。
「灯さんだって、その後大叔父さんがどうなったか気を揉んでいるかもしれないんだ。病が治らないまま、辛い人生を送っていないかなって心配してるかもしれないぜ。病気が治って、偉い博士になって、死ぬ間際まであなたのことを想ってましたと伝えたってバチは当たらないだろう」
「……それも一理ありますね。わかりました、きちんと調べます」
「そうそう、それでいいの。大叔父さんをひどい目に逢わせたくないんだろう? なら遺言はちゃんと守らなくっちゃ」
「あと……」
「まだ何かあるのか」
「実はこの電灯、大叔父さんの骨壷と一緒にお墓に安置しようと考えていたんです。でも僕が研究するとなると、手元に置いとかなければならなくなるので、大叔父さんと灯さんは離れ離れになってしまいます。それはかわいそうです」
「それもそうだな」
想太は腕組みをして考え込む。そしてしばらく思案をしたあと、何かを閃いたらしく顔が明るくなった。
「なあ。大叔父さんの遺骨を、少し家に置いとけないもんかな」
想太の提案に、今度は春太が考え込む。
「そうですね。確か遺骨を分骨してミニ骨壷に入れて手元に残す、手元供養とかいうのがあると聞いたことがあります」
「そっか、ミニ骨壷ね……。そうだ。いっそのことその小さい骨壷のふたをこの電灯にしてしまうというのはどうだろう?」
「どういうことですか?」
「シェードの幅に合わせて、ふたのない骨壷を作ってもらうのさ。そこに大叔父さんの遺骨を入れて、灯さんの電灯でふたをすれば、骨壺という部屋の中で二人はいくらでも逢瀬を重ねられるという寸法さ」
「なるほど、悪くありませんね。少し壺が大きくなりますが、どうせなんにもない部屋ですし」
「だろう?」
「ええ。兄さんにしては、良いアイデアです」
「なんだよ、それ」
「いえ、でもやっぱり兄さんに話をしておいてよかったです」
大叔父さんとその想い人を再会させることに決めた二人は、せかせかと出棺の準備に取り掛かり始める。
夜はいつの間にか、すっかり明けていた。
(了)